まず誤解しやすいポイントですが、「心の理論」というのは、心について誰かが提唱している理論、という意味ではありません。そうではなくて、「心の理論」とは、健常に発達した大人が皆持っている、他人の心に対する推理能力のことを指します。
つまり、私たちは一般に「心の理論」というものを、一人一人が頭の中に持っている、と説明すればいいでしょうか。
「心の理論」とはどんなものか、まずは下の下手なアニメ?を見て、この動画に簡単な説明をつけることを考えてみます。
どうでしょうか?
恐らく、例えば「丸と四角が歩いていたら、怖い三角に出会って驚いて逃げた」といった説明になるのではないでしょうか?
この説明では、図形を擬人化しているだけでなく、心まで持たせています。「怖い」とか「驚いて」といった部分に注目してください。
ここで出てくるのは、丸とか三角とかのただの図形ですが、物理法則とは違った動きをしています。そのような「不可解な動き」を説明するのに、私たちは、これらの図形に心があると仮定し、その心の動きを推測することで、この動画を説明しようとします。
この認知プロセスこそが、一人一人が頭の中に持っている、「心の理論」なのです。
もう少し具体的に記述すると、「心の理論」とは、他人の行動とその人の心とを結びつける(帰属させる)能力のことで、次のような認知能力の集合体だと考えられます。
1. 他人にも心があると理解していること。より詳しくは、
1) 他人の考えていること・感じていることは、自分とは違う。
2) 他人の考えていること・感じていることは、目には見えない。
3) 他人の行動は、その人の考えていること・感じていることによって決まる。
といった考え方をすること。
2. 他人の心を、目に見える行動や状況から推測する能力。
「心の理論」が発達していないと、相手の表情から気持ちを推し量ることができなかったり、社交辞令や皮肉や嘘が理解できずに相手の言うことをすべて額面どおり受けとって失敗したりします。
自閉症におけるこういったコミュニケーション上の問題は、特に知能の高いアスペルガー障害などで問題になることが多いようです。
ここで、有名な「サリーとアン課題」を改めてご紹介しておきます。これは「心の理論」課題としては最も簡単な部類に属するもので、一般的な子どもの場合、人形劇のような分かりやすい方法で出題すれば、大体4歳で正答できるということです。
太郎君は、部屋でビー玉で遊んでいました。
やがて太郎君は、ビー玉をおもちゃばこの中にしまってふたをして、外に出かけました。
この部屋に、花子さんがやってきました。
花子さんはおもちゃばこからビー玉を取り出して遊んでいました。
やがて花子さんは、ビー玉を机に引き出しの中にしまって、外にでかけました。
その後、太郎君が部屋に戻ってきました。
太郎君は、またビー玉で遊ぼうと思いました。
太郎君は、どこを探すと思いますか?→正解:おもちゃばこの中
「心の理論」と自閉症の原因追求との関係については、少し誤解があるように思います。
自閉症児が「心の理論」課題をうまくこなせないことが、そのまま自閉症の原因は心の理論障害だ、と短絡的につながるわけではありません。「心の理論」という概念は、自閉症における認知プロセスの障害を考える枠組み、出発点として位置付けられるべきものです。
つまり、行動レベルの「コミュニケーション障害」といった、あまりに漠然とした説明よりははるかにマシな、より明確な自閉症の症状の説明であり、「心の理論」の発達と関係している、更に深いレベルの認知プロセスを研究していくための「入り口」となるものなのです。
下記の本は、自閉症と心の理論との関係を正面から取り扱った力作ですが、上記のような立場にたった上で読むと、より理解が深まるのではないかと思います。(以前の紹介記事はこちら)
自閉症とマインド・ブラインドネス
著:サイモン バロン=コーエン
青土社
補足:健常な大人は誰でも「心の理論」を持っていて、「他人は自分とは別の心を持っていて、その心に基づいて行動している」というのは当然のこととして疑うこともありませんが、実はこの常識が正しいという確証はありません。
この事実が、認知面から自閉症の療育に近づくときにも本質的な問題となるのですが、とても一言では説明できませんので、ブックレビューの中の「心の哲学・心脳問題」の項の本などを参照ください。