あたし研究 -自閉症スペクトラム~小道モコの場合
著:小道モコ
クリエイツかもがわ
1 あくまでも私のイメージ
2 慣用句に弱いワケ
3 ちょっと待ってて
4 方向感覚
5 見えないモノはないもの!?
6 ならべる
7 あこがれの優先席
8 体の把握
9 服との格闘
10 マニュアル操作
11 学校はjungleのようでした
12 いじめって何?
13 私を救ったにゃんころりん
14 自分という器
15 特訓の成果
自閉症スペクトラムの人が自ら障害について語る「当事者本」というのは、なかなか難しいものだなあ、と最近思います。
そもそも、「当事者本」の魅力とは、何でしょうか?
「当事者以外の第三者には書けないこと」にこそ魅力の源泉があるはずだ、と考えればすぐに分かるとおり、当事者本の魅力とは、
障害を自ら生きている人が、外部からの「解釈※1」とか「一般化※2」なしに、その自らの体験をそのまま語っていること、つまり「一次情報であること」にあります。
※1 こういう行動をするのはこんなことが原因だろう、と(主に内面から)理由づけをすること。
※2 特定の個人に起こっている事象から、同じ障害を持っている人全般に成り立つ事象を導き出すこと。
ただ、一次情報であることは、何者にも代えがたい強みでもありますが、表裏一体で弱点でもあります。なぜなら、そこに描かれている内容は、たった1人の個人の、精査されない生のエピソードであり、
・著者だけに当てはまり、他の自閉症スペクトラムの人には当てはまらない事象が含まれる。
・著者が比較しているのは、自らの体験と、「自らが想像する」定型の人の体験であり、後者は正確でない可能性が高い。
といった問題が内在しているからです。「当事者本」は、読者をミスリードする潜在的な危険をもっているわけです。
この問題を解決する方法は大きく分けると2つあります。
一つは、一人ではなくたくさんの当事者に登場してもらうこと。もう一つは、数多くの当事者と接している経験豊かな「専門家」に登場してもらうことです。
いずれも「少数のエピソードから一般論を読み取ろうとしてしまう読者のバイアス(これは誰にでもある認知的傾向です)」を修正するために有効です。
ただし、後者の場合、せっかくの一次情報としての当事者本の魅力をスポイルしないためには、当事者の語る内容に「口出し」をしたり、余計な「解釈」や「一般化」をせず、少し離れた場所から、「当事者」の語る内容に影響を与えないような形で解説するスタイルが望ましいでしょう。
さて、能書きが長くなりましたが、本書は上記のような「当事者本のもつジレンマ」をうまく解決し、分かりやすくて、読んで役に立つ、優れた「当事者本」になっています。
本書の構成はこんな風になっています。
まず、著者の体験が15のトピックに分類され、著者自らが描く(ここが重要。しかも後の「感動のクライマックス」への伏線になっています)カラーのイラストによってビジュアルかつ分かりやすく紹介されます。
そして、個々のトピックに対して、精神科医であり、療育センターの責任者でもある畠中氏が、「経験豊かな専門家」としての解説を別コラムとして寄せています。
↑「あたし研究」の1ページ。左側が著者のイラスト解説、右側が畠中氏の解説(と読者用のメモ)になっています。
1トピックにつきイラストは1~数ページ、コラムは1ページ未満なので、15トピック分あわせても50ページ程度と非常にコンパクトにまとまっていて、短時間で一気に全部読めます。
選ばれているトピックは、感覚過敏や視覚優位性、行間や「空気」を読むことの難しさ、全体よりも細部に注意が向いてしまうこと、「見通し」が持ちにくいことなど、自閉症の人の認知の特徴としてよく言われる「常識的な」話題が多く、ある程度この障害について知っている人をびっくりさせるような記述は少ないですが、だからこそ逆に「よく言われる自閉症の人の○○といった傾向は、たとえばこんな風に現れるんだな」と納得して読み進めることができます。
ところで、本書を頭から順に読んでいった読者は、まさかこの15のトピックが終わったところで「感動のクライマックス」が来るとは夢にも思わないでしょう。
本書でいうと62~63ページになります。私は読んでいて、思わず目頭が熱くなりました。
皆さんにも、私が味わったような新鮮な感動を味わってもらいたいので、あえて内容は書きません。
また、先に62ページを読んでしまうと面白くないので、ぜひ前から順番に読んでいってください。
・・・さて、本書は、この「62ページ」のところで終わりではありません。
「イラストパート」を楽しく読んで、ちょっと感動した後には、著者による解説、「あたし目線」が続きます。ここでは、先の15のトピックが再度順番に登場し、著者がイラストで表現したかったことが、文章でより詳細に解説されていきます。とても読みやすくユーモアにあふれていて、エッセイとしても楽しめる(もちろん勉強にもなる)ものになっています。
本書全体から感じるのは、アスペルガーの当事者である著者の「頭のキレ」と、恐らく厳しいものであった(ある)はずの社会、世間に対する「やわらかで、温かな視線」です。
少し考えれば分かるとおり、(1)著者が経験している世界と、(2)著者が想像する「定型の人の世界」、そして(3)定型としての私たちが経験する世界と、(4)私たちが想像する「自閉症スペクトラムの人の世界」、これらはすべて異なっていて、しかもどれも正確には検証できません。
分かりやすくて、相互理解が深まる当事者本を書くためには、上記の4つのパラレルワールドの存在を、本の制作にかかわるすべての人が意識している必要があるのですが、本書はそれができている稀有なケースだと思います。
著者の記述は慎重かつ誠実で、あくまでも「自らの経験(一般化できるかどうかは分からない)」と、その経験の中で感じる「想像の産物としての定型の世界(正しいかどうかは分からない)」、という構図から逸脱することはありません。
なにより、まえがきで著者自身がはっきりこう書いています。
この本は、タイトル『あたし研究』のとおり、あくまでも私個人の経験や体験をふまえ、イラスト化、文章化したものです。ですので、自閉症スペクトラム(以下、ASD)の人みんなに当てはまることではありません。
でも、なるべく多くの人たちにASDについて、理解してほしい、という気持ちで、描き/書きました。(初版6ページより)
そして、畠中氏は枠で区切られたコラムのなかで(つまり、象徴的な意味で、著者とは「別の世界」から)、自閉症の認知のしくみについて、専門家としての見解・解説を述べています(内容的には、「心の理論」や「セントラル・コヒーレンス」といった、認知心理学的な観点からの解説になっていて、自閉症理解として手堅い内容だと感じます)。
つまり、この本のなかには、上記の「4つのパラレルワールド」が、混同されることなくちゃんと分離して(文脈的にも、本の構成的にも)描かれているわけです。
これは、(2)と(3)、あるいは(1)と(4)がごちゃごちゃになってしまいがちな「当事者本」のなかにあって、特筆すべき特長だと言えるでしょう。
そう考えていくと、著者が自らイラストを描いていて、「当事者の考えていることをイラスト化する過程での第三者の解釈」が入る余地がないということも、本書をよりFreshな「一次情報」に触れることのできる、魅力的な当事者本にしていることに気づきます。
さらに、先の「62ページの感動」も含め、著者の、自分自身、そしてこの世界に対するポジティブな姿勢には、読んでいるこちらまで勇気付けられます。
著者自身が「個性を丸ごと応援されている、受け入れられているという感覚は、それ自身が社会で生きていくための課題に直接応えるものではないが、どんな困難をも乗り越えられるパワーを与えてくれる」と書いているように、愛すべき存在を愛する、そのことの「当たり前な大切さ」を改めて実感させられます。
そんなわけで、本書は、
・最初のイラスト部分だけを読んで、自閉症スペクトラムの人がどんな世界に生きているかのヒントを短時間で得る
(誰にでもすぐ読めるので、本をじっくり読んでもらえないような家族とか親戚、知人などにさっと見せるにも役立つでしょう)
・自閉症について、入門書(たとえばこちら)を読んだ親御さんが、「次の1冊」として読む
・自閉症に関心のあるすべての人が、楽しく読めて障害への理解も深まる、エッセイ的な本として読む
といったあらゆるニーズに応えることができる、優れた当事者本だと言えるでしょう。
当ブログにも何度かコメントを寄せていただいている門眞一郎先生が、著者のイラストを見て、書籍化をすすめられてこの本ができた、といったエピソードが本書のなかで紹介されていますが、この内容ならそれも納得です。
私自身も、本当に久しぶりに、当事者本を楽しく安心して読むことができました。
これまで、当事者本を殿堂入りさせたことはなかったのですが、この完成度なら、「殿堂入り」でいいでしょう!
※その他のブックレビューはこちら。
小道さんの本を取り上げていただき,そして過分なお褒めの言葉で紹介していただき,著者ではないですが,この本を世に出すためのお手伝いをした身としてはとてもうれしいです。日頃から心より尊敬しているそらパパさんの賞賛なので格別です。
私も感動のページには触れたかったのですが,身近なおじい様のことに触れました。そのような人が2人もいたわけで,私も感動しました。このような書き方をするとどうしても読みたくなると思います。皆さん,ぜひお読みください。そらパパさんも書かれているように,くれぐれも最初から読んでください。
そらパパさんのブックレビューは本当に参考になります。単にご紹介いただいた本だけでなく、ウィトゲンシュタインについても、杉山尚子先生にしても、周辺の本を購入し、とてもヒントをいただいています。ありがとうございます。
門先生も、こちらのブログで紹介されていた(と思いますが)「子供と親~あなたならどうしますか?こんな行動~」はいろんな場面で保護者の方々に紹介してきました。
で、今回の「あたし研究」。ここのブログからアマゾンに飛んで注文し、本日手元に届きました。そらパパさんの記事、門先生のご指摘とおり、きちんと頭から読んでいきたいと思います。ドナ・ウィリアムス氏やテンプル・グランディン氏の著作は、やっぱり読んでいて「ちょっとつらい…」というところがありますし、「自閉っ子」シリーズは、逆にぶっ飛んでいる(それはそれで面白いのですが)ところがありますが、この「あたし研究」は親近感を持ちながら、「しっとり」読んでみたいと思います。
読後、感想も書き込めればと思います。
コメントありがとうございます。
(こちらこそ、あまりにも過分なコメントをいただき恐縮です。)
今回、この本を手に取ったのはまったくの偶然(まあ、自閉症の本のコーナーを覗いていて見かけたわけですから、まったくの偶然とは言えませんが)だったのですが、とてもいい本に出会えたことを嬉しく思っています。
無条件に愛されること、受け入れられることは、誰にとっても本当に大切なことですね。
私たちも親として、子どもにとってのそういう存在でありたいと強く思います。
門先生にもお礼を言いたいなあと思いました。門先生、瀬戸市での講演会もありがとうございました。(一応、その関係者です)
私が同僚に本を紹介すると「読んだら貸してね」と言われる事が多いんですが(貸してあげるのは良いんですけど…)この本に関しては「私、買います。この本」という反応が多いんです。まわりの数人が買ったかな。(Dr.保健師,保育士など)中にはそう言いながら,ちょっとウルウルしてる人もいたりして…そういう感動,確実に広がってます。瀬戸市と名古屋市エリアでささやかにですが,紹介していこうと思ってます。
そらパパさん,一度感想を出したつもりだったんですが,送りそこねだったかな?と思い図々しくまた送ります。すみません。(ボツだったかもしれないのに…汗)
実は私、本は好きですがアマゾンで買うのは初めてです。でも、どう~しても欲しくなって買ってしまいました。
アスペの息子の事を理解するのに役立つといいなと期待してます。
当事者本って、どんなものだったら「誰にでもすすめられる」ようなものになるのか、私も現物が出てくるまで分からなかったんですが、この本を読んでみて、「ああ、この本は間違いなく1つの『解』を出しているな」と感じました。
今回のレビューは、そういう率直な感想を書いたつもりですが、それが意義深い本との出会いのきっかけになればとても嬉しいと思います。
(M_ママさんにおっしゃっていただけたように、「すごく読みたくなる」レビューになっているとしたら、それも嬉しく思います。)
それともうひとつ大事なこと。「なんだ、やっぱり私もASDなんだ。」ということ。この本のエピソードとは違うのですが、私が;
・レストランに入るための行列が大嫌いなこと(待つのは嫌いです)
・将棋やマージャン、囲碁やポーカーといった相手の「スジ」を読むゲームが、全くできない(不得意)なこと(役を作ることや、駒を動かすことしか頭にありません)
・初めての土地で地図を見ながら目的地に行く時に、ポイントポイント(とおもわれるところ)で、必ず後ろを振り返って、「風景を記憶する」こと
(デパートのトイレでも同じです(笑))
・なぜか小さな子供や猫、犬と話が合うこと(笑)
などなど。今まで数多くの当事者本を読んできたつもりですが、こんなに「合点のいく」本は初めてでした。
そらパパさんご指摘の、このての本の企画・構成のうまさが、さすがクリエイツかもがわ!という感じですね。
コメントありがとうございました。
やはりあのページは感動的ですよね。
観念的な話じゃなくて、ちゃんと「形」として結実しているところが、さらにぐっとくるところだと思います。
後半については、私も似たようなところがあって興味深いなあ、とは思いました。
(JKLpapaさんと同じく、私も戦術的なゲームは非常に苦手だったりします。だからこそ、先日ご紹介した「カジュアルゲーム」に大いにはまったわけですが)
ただ、この辺りの話をすると、そもそもの自閉症スペクトラムの「定義」の話になってきてしまうな、とも思いますね。
まさにそうですね。以前もこちらのブログで「自閉症とは何か」といった議論になったときに、人間の気質・特質といったものの、ある「うねり」「偏り」「ベクトルの向き」のようなものとしてイメージしては?という話になっていたように記憶しています。
じゃあその「うねり」の、どこからが「自閉症」なのか?というと、そういった線引きができないので、ローナ・ウィング氏は自閉症「スペクトラム」という連続体としてとらえたのだと思います。杉山登志郎先生のおっしゃるように「症」とか「障害」とかいうネーミングでなく「失調」という状態把握が正しいのかもしれません。
そもそも「障害」は「社会問題である」というのが最近の理解(障害者の権利に関する条約など)ですから、そういった気質・特質が社会参加する際に「障害(バリヤ)」となるかどうかで判断するしかないのでしょうね。私もそらパパさんもお勤めして、給料をいただいて、税金を払っているのですから、少なくともこの点で「障害者」ではないですね。
こういった観点から、もっとたくさんの子どもたちや成人の方々に、支援が必要なのだ、とも思います。逆に、自身の特性を把握すれば、小道さんのように、社会参加への道も開けてくるのではないでしょうか。
さすがの鋭いご指摘で、まさに私が書きたかったことを全部書いていただいたので、追加して書くことは何もありません。
「障害」というのはまさに社会的に構成された概念だと思いますから、「働きかけ」は単に支援者と子どもの関係からだけ考えるのではなく、社会のなかにどうあるのかから考えなければいけないと思います。
いつもありがとうございます。
62ページ、いいですね。グッときます。
親としては、こどもがこのようないい経験に巡り合うように願わずにはいられません。
一方、支援者として、こどもの「応援者」にならなくてはと、身の引き締まる思いがしました。
いい本ですね。
コメントありがとうございます。
ひとと関わっていくこと、それ自体がチャレンジとなる自閉症の人にとって、「いい出会い」があることがどれだけ人生にとって大きなインパクトがあるかを感じさせるエピソードですよね。
私も、とてもいい本だと思います。
当事者本の新しい「定番」が生まれた、と言っていいと思いますね。(^^)
とても素晴らしいと思いました。
障害当事者である小道さんの謙虚さや、
障害者に対して対等な眼差しで寄り添う畠中医師の誠実さに触れ、
この方々と同じ時代に生きていることを感謝したくなりました。
いろんな方に読んでいただきたいなと心から思います。
コメントありがとうございます。
この本はいろいろな読みかたができそうですよね。
あるところでは、子どもの障害を初めて知った親御さんにおすすめできる本だ、と紹介されていました。
いろいろな立場の方に、長く読み継がれていく本になればいいですね。
今までの当事者本とは一線を画す良本だと思いました。ご紹介頂きありがとうございます。
まず思ったことは、絵が書けるって良いなあということ(自分がダメなのも大いに関係しますが)。
視覚化を当事者が図った本ということで、厳密には読者と著者で同じ絵を見ても受け取り方に差異があるのかも知れないとは思うものの、少なくとも文章でのそれよりははるかにブレが少ないだろうと推測されますので、自閉症の方の内面理解に役立ったと思っています。
寝耳に水について、昔「笑点」で楽太郎さんが「寝耳に水って良くないですよ、中耳炎になりますから」と言っていたのを思い出し、彼のボケは自閉的だったんだなあと変な納得もしました。
皆さんの涙腺を刺激したページ、すいませんが泣けませんでした。ただ、妙に透明感があって「郷愁」という言葉を目に見えるようにしたら、こんな感じかなあと思いました。
子どもに大事な思い出を持たせてあげたいと決意を新たにしました。
62ページ、実は私も泣く事は出来ませんでしたが、これってタイミングもあるなと思いました。
「療育を一生懸命していてる時」にふと読んだら、なんか「ぐっ」と来るのかも?と思います。
それでもこの本、本当にいい内容だと思います。
息子の目に入る所においておいたら、自分から手に取ってくれました。
一緒に座ってページをめくり、くすくす笑う息子に時々「こういうことってある?」なんて聞いてみたりできる。そんな本ですね。今度こっそりフリガナを付けてあげようと思います。
この手の本はあまり読んでくれない息子ですが、やはり「絵」があると違うなーと思います。
それから、絵が大好きなものとして個人的に共感する事も沢山ありました。
何か大好きな事があって
「それがあることで救われる」っていうのも本当だなと思いました。
ネタばれになりそうなのでこの辺で…!
そらパパさん、すてきな本を紹介してくれてありがとうございました!
コメントありがとうございます。
もともと記事ではそこまでの表現はしていませんでしたが(^^;)、「泣けるかどうか」というのは相当に高いハードルですよね。
ちなみに私はけっこう涙もろいほうだと思います(あざとい感じの「泣ける系」は大嫌いですが)。
私が62ページにぐっときたのは、そこに「奇跡」を感じるからかもしれません。
何度も書いてますが、ある人に対して(それが定型のひとでも自閉症スペクトラムのひとでも)他の人が意図的に「影響を与えられる」と考えることは、ほとんどの場合、影響を与えているつもりの人の単なる思い上がりだというのが私の基本的な考えかたです。
だからこそ、誰かが誰かに対して、本当にプラスの影響を与えている場面に出会ったときには、私はそこには必然ではなく奇跡を感じます。
そういう「奇跡」を意図的、人為的に起こすことは本質的にできない相談だけれども、そういう「奇跡」が起こるかもしれないような出会いやかかわり、「機会」をたくさん作っていくことはできます。そういう働きかけができたらいいなあ、と思います。
当事者本のイラストを当事者自らが描く、というのは、ちょっと大げさに言えば、当事者本にとってのある種のパラダイムシフトだとさえ言えるんじゃないかな、と感じています。
考えてみれば、当事者の語っている内容の横に、当事者ではない人のイラストが描かれていて、それがあたかも「当事者側からみた世界」であるかのように表現されるというのは、やむを得ないことだとはいえ、実はとても奇妙なことでもあるんだなあ、と、この本に出会うことで、改めて気づかされたところがあります。
(イラストを自分で描けるというのは、私もうらやましいと思います。私もからっきしダメですから(^^;)。)
そういう意味で、この本は「いい本」でもあると同時に「すごい本」なんじゃないかな、と感じていたりします。
多くの人に長く読まれていってほしい本だと思います。
まず、イラストがかわいいっ!実はイラストが苦手なタイプだと、私はマンガでも本でも気持ち悪くなってしまうのですが、小道さんのイラストは単純な線ながら過不足なく情報が読み取れてとてもわかりやすかったです♪
15トピックというのは少ない気もしましたが、上手にまとめてあるし、イラスト+文章で読み解きやすくなっていますし、読んでみると適度な分量なのかなと思いました。
そして62ページ…
そらパパさんのおっしゃる「奇跡」、誰の上にも起こっている「奇跡」だと私は思っています。
ただそれに気付くか気付かないかの違いで…。そういう意味では、気付けることが「奇跡」なのかもしれません。
自他の境界が低いことは、自分の場合、ある意味では幸いなのかもしれない、と思う所以です。ちょっとした刺激や悪意に容易に打ちひしがれやすい反面、ちょっとした善意やポジティブな体験をも受信しやすいですから。
コメントありがとうございます。
確かに、イラストのページはもっとあっても楽しいものになっていたかな、とも思いますが、コンパクトによくまとまってもいると思います。
「出会い」というのは、誰にとってもとても貴重で、「奇跡」と呼ぶにふさわしいものだと思います。
その、誰にでも起こりうる奇跡を、実際に起こりうる環境を作っていくことが、支援の本質のひとつだと思います。
私の娘の通う公立の幼稚園に行ったところ、2月の図書案内で「あたし研究」が紹介されており、保護者向けの貸し出し図書の中の目立つところに置いてありました。
園長先生に尋ねたら、一月に一度程度来園される、巡回指導の先生に薦められたのだそうです。
私の住んでいる近隣の書店の自閉症関連のコーナーでは見かけたことがなく(自分はアマゾンで注文しましたが)意外なところで「あたし研究」を目にすることができて、とてもうれしく思いました。
先生だけでなく、ママさん達にも読んでもらえたら、なおうれしいなぁと思ってます。
追記、 「あたし研究」のことについて娘の担任とも話し込んでいたら、それを見ていた他のママさんが、「ちったんパパが楽しそうに先生と話してたよ。不倫だよ。不倫」と妻に冗談で告げ口をしたらしいです。
コメントありがとうございます。
この本は、できるだけ幅広い方に読んでいただきたい本だと思いますから、幼稚園や図書館のようなところで、多くの方の目にとまることは素晴らしいことですね。