その「考えかた」は、療育の見通しをよくして、「抜け出せない迷宮」に迷い込んでしまったり、ある種の「一見よさそうで、実は無意味な療育法」にだまされてしまうのを防いでくれます。
その「考えかた」について、具体的な例からみていきましょう。
例えば、仕事をさぼっている人をみて、「あいつは『やる気がない』から、いつもさぼっているんだ」と考える。あるいは、人前でうまく話ができない人を見て「彼は『内気』だから、人前で話すのが下手だ」と考える。
常識的な説明に見えるかもしれませんが、実はこういった説明で納得してしまうことは、自閉症の療育にとっては、かなり「まずい」のです。
なぜかといえば、
この説明は、内面モデルを介したトートロジー(同語反復)にしかなっていないからです。
「やる気がない」の「やる気」とは、目に見えないヒトの「内面」の何らかの状態を指したことばだと言えます。
つまり、誰かのことを「やる気がない」と評するのは、「やる気」という「ヒトの内面モデル(概念)」を使って、その人の行動の「理由・原因」を説明しようという試みだといえます。
でも、ここで改めて考えてみましょう。
誰かを「やる気がない」と評価する根拠は何でしょうか?
そうすると、それは例えば「仕事をさぼる」「仕事が遅い」「『めんどくせえ』などと発言する」といった、具体的な行動に基づいていることに気づきます。
つまり、そういった行動パターンに対して「やる気がない」というレッテルを貼っていることになるわけです。
だとすると、よく考えるとおかしいですよね。
「やる気がない」という表現は、「仕事をさぼる」などの行動パターンを単に言い換えただけのものなのに、今度はそれを理由にして「仕事をさぼるのは、やる気がないからだ」と言ってしまっているわけです。
これは、木がたくさんある場所を「森」と呼んでいるだけなのに、「ここに木がたくさんあるのは、ここが森だからだ」と説明されて納得しているのと同じです。
つまり、「やる気がないから仕事をさぼるんだ」という文章には、「新しい情報」は何もないのです。一見、因果関係を説明しているように見えて、実は「AはAである」という同語反復=トートロジーを語っているにすぎません。
「内気だから人前での行動が不得手」というのも、同じだと言えます。
「やる気」にしても「内気」にしても、私たちはそれらが「ヒトの内面」にあるようなイメージを持ちますが、実際には見えず、触れず、実体を確認することはできません。実はこれらは、ある種の行動パターンに対してつけられたレッテルに過ぎないのです。
だからこそ私たちは、例えば10万キロ走り続けた愛車に「内面」などないと分かっていても、「よくがんばったなあ」と声をかけることができるわけです。
このような「内面を表しているような気がするだけの(『やる気』とか『内気』のような)用語」を使ったトートロジーに過ぎない説明を、ちゃんとトートロジーだと見抜けるようになること。
それが、最初に書いた「まず身に着けたい考えかた」、療育リテラシーの第一歩だと私は考えているのです。
この「内面モデルを介したトートロジーを見抜く力」がないと、療育でも同じトリックにだまされることになります。
例えば、「自閉症は不安を感じていることが問題だから、不安を取り除く働きかけが必要だ」という主張について考えて見ましょう。これに類した療育理論・療育法は、実際に結構あると思います。
でも、なぜその主張で「自閉症児は不安がある」と言っているのかをよくよく読んでみると、「養育者を避ける」とか「新しいものに近づかない」といった行動パターンを示すことを、「不安がある」と解釈しているだけだったりします。
だとすれば、これは「やる気がない」と「仕事をさぼる」の関係とまったく同じだということが分かりますよね。
「回避行動をとる」という自閉症の行動パターンを「不安がある」という「内面モデル」によって言い換え、レッテル貼りしているだけなのに、ここから「自閉症の原因は不安があることだ」と主張したとしても、それはただのトートロジーでしかありません。
この主張には新しい情報は何もなく、そこから導かれる療育法も、根拠も検証もない「ただの思いつき」にならざるを得ないわけです。
また、この例をよく見直してみると、この文章の「不安」を「波動の乱れ」「気の乱れ」「○×神のたたり」に変えても、「幼少時のトラウマ」「愛着不足によるアンビバレンツ」等々に変えても、何ら違和感なく成り立つ文章であることが分かります。
こういった「検証不能なトートロジー」からは、実はどんな主張でもでっち上げることができます。が、パターンは基本的にみんな同じなので、「見極める目」を持っていれば、一網打尽で全部排除することが可能です。(だからこそ、「最初に身に着けるべきリテラシー」だと考えているわけです。)
そして、こういった「考えかた」を身に着けるためにいちばん役に立つのが、行動分析学(ABAのベースになっている基礎心理学)です。
行動分析学では、このような「療育をめぐる危険なトートロジー」をしっかりと認識し、学習者に教え込んだうえで厳しく排除しています。
ですから、親御さんが自閉症について学ぼうとする場合、こちらのような入門書でまず自閉症についての基本を学んだあとは、TEACCHよりも絵カードよりも先に、「ABAの理論的なところまで含めた基礎」を学ぶのが有効だと私は考えています。
そのために役立つ本として、以下の2冊(いずれも殿堂入り-殿堂入りさせている理由は、まさに上記のような大切な知識が身につくからです)をご紹介します。
どちらも、自閉症療育の具体的なテクニックが掲載されたマニュアル本ではなく、行動分析学の基礎を解説した「教科書」ですが、療育を長く続け、インチキ療法にだまされないために欠かせない「考えかた」を学ぶことができる本です。
そこで学んだことは、ABAのみならず、あらゆる療育法をしっかり見極め、「内面の迷宮」に迷い込むことを防ぎ、療育の見通しをいつもクリアなものに保ってくれることでしょう。
行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由(レビュー記事)
行動分析学マネジメント-人と組織を変える方法論(レビュー記事)
「行動分析学入門」は新書サイズのコンパクトさに行動分析学の基礎がぎっちりと詰まった、驚くほど密度の高い本です。
「行動分析学マネジメント」は、組織のマネジメントに行動分析学を活用するノウハウを、基礎理論にまで踏み込んで解説したビジネス書で、企業などで活躍されている「お父さん」には特におすすめできます。
「家庭でどんな療育をする?ABA?TEEACH?それとも~法?」みたいに話が出て、そこの「~法」ってのがおいおいそれはないだろうってものが挙ってたりする度に、課題学習としてじゃなく行動分析学のABAを親が学ぶのが一番の近道かも、と思ってました。
これを学んでようやく、我が子に必要なのは何か、問題行動への対処も課題の設定も、もろもろの技法の良いとこ取りってのも、スタートラインに立てるんだよな~と思います。
おまじないじゃない療育、個々の手法の我が子へのフィットさせ方(いや、おまじないも実は結構好きですけどね)…。
本を紹介して頂いたときもひっそり感謝していましたが、読むだけでは応用しづらい内容を噛み砕いて教えて下さるであろう今回のシリーズ、期待してます!てかもう先にお礼言っとこう。有難うございます!楽しみにしてます~
自閉症者の専門施設で10年間支援員をしています。
この10年間で自閉症・発達障害に関する療育や支援方法なども随分と様変わりしてきました。 昔は「抱っこ法」を真剣に取り組んでいた時期もありましたし…。
勤務している施設がアタッチメント(愛着形成)を基盤とした云々…を療育方針の基本にに掲げている施設なものですから、行動分析、ABC分析の記録や発言をするのでスケープゴートの対象となっております。まあそれでくじけるわけではないのですが、周囲の心を育むという姿勢には正直辟易しています。
さて、愚痴はこれぐらいにして、今回紹介された、書籍についての感想を…
行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由はブックレビューされてからすぐに購入、読了しました。 その直前までは当事者の著した書籍やセミナーの報告集を片っ端から読んでいたので、自閉症・発達障害者の困り感については私たちとは随分違う認知をしているものだと理解し、彼らの行動・行為についてひょっとしたらあんなことやこんなことが気になって仕方がないのかななどと、考えるきっかけを作ってくれるよい機会となりました。 私たち支援員は数十名の自閉症者を見ているわけですから、100人いれば100通りの障害があるといわれる自閉症でも、一人の自閉症者本人の著した書籍でもあれば、何人かは当てはまりそうな行動を示す人が含まれているものです。 そこが家族と支援者の大きな違いなのだと考えいます。
さて、感想と書いておきながら前置きが長くなりすぎました。
それ以前にABAを勉強したくて自閉症へのABA入門を読んでみたのですが、具体的な事例が多く、理論的な思考を確立するには少々物足りない内容でありました。
「行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由」は理論構築するのに大変役立ちました。ABC分析の手法についても余すことなく網羅され利用者の見る目が変化しました。
ただ、自分に戒めているのはABC分析の結果が絶対はないということです。 毎日の観察のと記録、その中から検証に値するものだけを結果として、あくまでも仮定に過ぎないが…という姿勢で日々の支援に臨んでいます。 少し慎重すぎるかもしれませんが、決め付けるとそこで思考が停止してしまいます。ラベル付けではないのですが、その人の評価が決まってしまうのでもう少し柔軟に考えてみたいと考えているのです。
ABAの基本は行動を変えることなので、うまくいく場合もありますし、そうでもない場合もあります。 といっても実践しているのが私一人という現状なので、効果のほどは計りかねますが…。
自閉症・発達障害の各種セミナー会場などで、療育、支援についての書籍販売をしていることがあるのですが、今回紹介された本は見たことがないので、おそらく手にする機会がなかったでしょう。 そのような意味で日々の支援にとても役立つ有意義な本をブックレビューいていただきありがとうございました。
今後もブログの更新楽しみにしています。
長文大変失礼しました。
チヨ母さん、
タイトルが多少紛らわしかったですが、今回はシリーズ記事ではなく、1回読み切りの記事ということで書かせていただいたものですので、この後、続いていくというものではありません。ご期待させてしまったとしたらすみません。
ただ、改めて記事を読み返してみると、ABAがなぜ役立つかの一般論にはなっていても、なぜそれが「自閉症の」療育について特に重要なのかについてはまだ書き足りていないところがあるように感じましたので、あと1回、続編として記事を書こうかなと思っています。
また、それとは別に、ABAの具体的なすすめかたについては、先日の石川での講演( http://soramame-shiki.seesaa.net/article/122004855.html )の内容を再編したシリーズ記事を準備中ですので、そちらのシリーズ記事の後半で登場することになると思います。(ただ、こちらはいつから掲載を始めるかはまだ未定です・・・)
ちったんパパさん、
はじめまして。こちらこそ、よろしくお願いします。
「心を育てる」みたいな考えかたについて、「間違っている」と断定するつもりはありません。
そうではなく「正しいか間違っているか検証できない」ということであって、だとすれば「限られた時間や養育のリソースを、検証できないことに使うと無駄が多くて効果が期待しにくいので、せっかくのリソースは検証できる働きかけに集中的に振り分けましょう(そうしないと、子どもの貴重な時間はあっという間に過ぎてしまいますよ!)」という風に考えているわけです。
「自閉症へのABA入門」は、私も「入門」としてはあまりおすすめできないな、と当時感じました。
ABAのそもそも論を飛ばして具体的な取り組みに入っても、結局最後まで「自分が何をやっているのか、この療育はどこに向かっているのか」が分からないままになってしまいますし、この本はそこをクリアできていないと感じたんですね。
ABAについて分かっている人が自閉症への応用について学ぶには役に立つのかな、と思っていましたが、その辺りについても、最近出た「家庭で無理なく楽しくできる生活・学習課題46」や「自閉症児のための明るい療育相談室」のほうがはるかに具体的なので、この本の存在意義は薄くなってしまったという印象です。
また、もちろんABC分析は、レッテル貼りのためではなく、仮説を立てるために使うものだと思います。
ABC分析によって「仮説」を立て、検証することで初めてABC分析をした意味が出てくると思います。
今回ご紹介させていただいた本は、どちらも障害や特別支援教育そのものの本ではないので、そういった即売などでは取り扱われないのだと思います。
ただ、少なくとも新書の「行動分析学入門」は間違いなく療育に役立つ本だと思うので、機会があればそういう場面でも売られるといいなあ、とは思います。
>ですから、親御さんが自閉症について
>学ぼうとする場合、こちらのような
>入門書でまず自閉症についての基本を
>学んだあとは、TEACCHよりも絵カード
>よりも先に、「ABAの理論的な
>ところまで含めた基礎」を学ぶのが
>有効だと私は考えています。
同感です。
私は親として自閉症本を読みだした頃、どれもこれも、よくは理解できなかった。
そらパパブログの進めで、「行動分析学入門―ヒトの行動の思い...杉山 尚子」を半年ほど前に読みました。それで他の自閉症本をよりよく理解できるようになりましたね。特に、「自閉症児と絵カードでコミュニケーション―PECSとAAC」の理解には役立ちました。
それを超えて、科学的な分析に基づく書籍と、根拠のない仮説にとどまっている書籍の区別がつくようになってしまいます。そして、わが子に与えている学校等の環境が、科学的な療育方法に後れを取っていることが、だんだん不安になってきました。、、、、
そして、この連休中は、「スキナーの心理学―応用行動分析学(ABA)の誕生」を読むことに没頭していました。
コメントありがとうございます。
「ABA的な考えかた、視点」をもつことはとても大切なことですね。
ご指摘のように、それによって、世にあるさまざまな療育を「仕分ける」ことが可能になります。
そして、その「仕分けることができる目」を手に入れたら、こんどは世にある療育・教育をどう受け止めるかというのが、次の問題になってくると思います。
ABAは効果の高い方法論ですが、限界もありますし、ABA以外の「証明されていない」方法論を全否定する根拠にはならないということも、また同様に大切な視点だと思っています。個人的には、「ABA的療育観」というのは、頼りになる「よりどころ」であると同時に、究極的には「克服されなければならない」ものだと思っていたりもします。
このあたりについては以前にも書いていますので、左サイドバーの「療育(ABA)の限界」というシリーズ記事のリンクや、その他ABAに関する批判的なシリーズ記事もあわせてご覧いただければと思います。