それは、社会性やコミュニケーションに障害を持つ人は、自分の障害を的確に説明することはできない、ということです。
ちょっと想像してみてください。
私たちが生まれながらにして、周りの世界が良く分からず、周りの人が何を言っているのかも分からず、自分の考えていることを表現することもうまくできなかったとします。
自分の障害を、話すべき人(医者など)に正しく話すことができるでしょうか?
絶対に無理ですよね。
しかも、「生まれながらにして」というのがポイントで、もともとそういう世界にしか暮らしたことがない人が「あなたは『普通』と何が違うんですか?」と聞かれても、答えられるわけがないのです。
私たちが今ここで、「あなたの視覚には何らかの異常があるはずですが、何がおかしいか分かりますか?」といきなり聞かれても、「何もおかしくない」としか答えられないのと同じです。
つまり、生まれながらの異常を持っていて、しかもその結果としてコミュニケーションができなくなっている人の集まりが自閉症なので、症状より深い、「原因」のほうにさかのぼっていくことが、本質的に困難なのです。
その点、高機能自閉症の方が、自分が「普通」とどう違うのかを模索して書き下ろされた、以下のような本の存在は貴重です。
自閉っ子、こういう風にできてます!
著:ニキリンコ,藤家 寛子
花風社
(本ブログの過去の参考記事はこちら)
俺ルール!―自閉は急に止まれない
著:ニキ・リンコ
花風社
(本ブログの過去の参考記事はこちら)
この星のぬくもり自閉症児のみつめる世界
著:曽根富美子
ぶんか社
(本ブログの過去の参考記事はこちら)
自閉症だったわたしへ
著:ドナ・ウィリアムズ
新潮文庫
ちょっと話題がずれますが、これらの本を読んで、ちょっと想像を巡らせると、背筋が冷たくなります。
「コミュニケーション」というのは双方向的なものです。私たちが自閉症児とコミュニケーションできないということは、自閉症児も私たちとコミュニケーションできないということです。言葉の遊びのようですが、「私たち」にとって、コミュニケーションできない「自閉症児」は社会全体から見れば例外的な存在ですが、「自閉症児」にとっては、コミュニケーションできない「私たち」は自分以外のすべてなのです。
私たちは、自閉症児1人とコミュニケーションが取れないだけでも大変な思いをし、大きなストレスも感じてしまうのに、自閉症児は、周囲にいる全員とコミュニケーションが取れないのです。それどころか、社会というものに適切に関わっていくこともできず、完全に孤立した状態です。
(感傷的に考えすぎるのは正しくないと思いますが、少なくとも、自分の要求を伝えたり、嫌なことを拒否したり、分からないことを教えてもらうことが満足にできないということは、ものすごいストレスであることは間違いありません。)
こう考えると、私たちは、自閉症児に何かを「教え込む」という立場ではなく、何よりも自閉症児を「幸せにする」ことを最優先に考えなければならない、と強く感じます。
(次回に続きます。)
私も一押しが高機能自閉症の方たちの本。上3冊です。
ドナさんのは訳が入ると少々わかりずらい・・
最近では診断を受けたばかりの人に、「まずこれを読む」みたいに無理やり貸したり、
実家の母も小難しい本を読んで小難しく考えているので、「自閉っ子」と「この星のぬくもり・・」を送りました。
本当におススメですよね♪
そうですね、「自閉症だった私へ」は訳だからということもありますが、もともとの文章が相当読みにくいのではないかと思います。1センテンスがすごく長いんですよね。
それに比べるとニキ・リンコさんの文章はかなり読みやすいと思います。
p.s.サーバーダウンなどで管理画面を開くことがほとんどできなかったため、コメントの公開が遅くなったことをお詫びします。