2009年09月30日

自閉症のDIR治療プログラム(立ち読みレビュー)

この本といいPRTの本といい、ちょっと値段が高すぎです。
申し訳ないですが、今回も「立ち読みレビュー」でご容赦ください。


自閉症のDIR治療プログラム
著:S.グリーンスパン、S.ウィーダー
創元社

はじめに─よりよい関わりをめざして
第1部 明るい未来のために 誤解と事実、早期兆候と新しい枠組み
 第1章 自閉症再考─われわれのアプローチ
 第2章 ASDやアスペルガー症候群についての誤解と誤診
 第3章 ASDの早期徴候―乳幼児早期に発見し、関わりを始めるために
 第4章 ASDの新しい目標―DIR/Floortimeとは?
第2部 DIRとは? 子どもが周囲と関わりをもち、コミュニケーション能力を伸ばし、思考力をつけていくために家族ができること
 第5章 家族主導で
 第6章 注意を向け、関わりをもつために─子どもをみんなの世界に導くには
 第7章 双方向コミュニケーションと問題解決能力を身につける
 第8章 シンボル、考え、言葉
 第9章 論理的な考え方と現実の世界
 第10章 抽象概念と深く考える力
 第11章 生物学的特徴.─五感を通じて世の中を経験する
 第12章 生物学的特徴.─視覚と聴覚に問題がある場合
第3部 Floortime
 第13章 Floortime─家庭でのアプローチ
 第14章 Floortimeとは?
 第15章 いつでもどこでもFloortime─どこでも学ぶことはできる
 第16章 困難なとき─子どもからのリードに従いつつ発達を促すには
 第17章 思春期や成人期のASD.─生涯続く学習(ヘンリー・マンとの共著)
 第18章 思春期や成人期のASD.─学びの場の設定
 第4部 DIRによるアセスメントと療育
 第19章 DIR/Floortimeによるアセスメント
 第20章 DIR/Floortimeによる包括的療育プログラム
 第21章 教育プログラム―考える力、コミュニケーション、学力を伸ばすために
第5部 問題行動への対応
 第22章 お決まりの台詞とエコラリア
 第23章 自己刺激行動、刺激への強い欲求、過活動、回避行動
 第24章 日々の問題点―食事、トイレ・トレーニング、衣服の着脱など
 第25章 問題行動
 第26章 感情のコントロール
 第27章 気持ちの崩れと退行
 第28章 ソーシャル・スキルを伸ばすために
文 献
索 引
訳者あとがき

以前、記事にしたTIME誌の自閉症特集でも、妙に強調して取り上げられていた療育法「DIR」についての本。
異様に高い値段とがっしりした体裁から、専門家むけの専門書という位置づけなのは明らかです。

DIRの最大の特徴は、「フロアタイム」と呼ばれる働きかけですが、これは簡単にいうと、「20分間、養育者が子どもの目線まで降りて、子どもとインタラクティブにかかわりあう」というもののようです。

そして、この「フロアタイム」でどんな遊びに誘導するか、というところでキーになるのが、DIRが独自に提唱する「発達モデル」ということになります。(ただし、この発達モデルが微妙で、共感とか安心とかいった検証不能な曖昧な概念が散りばめられていて、率直にいってよく分かりません。この本を読んだときとかなり近いにおいがします。)
養育者は、子どもがDIRの「発達モデル」のどの段階にいるのかをアセスメント(診断)したうえで、その段階にふさわしい「遊び」をベースにフロアタイムをすごし、子どもと「感情の伴ったやりとり」を重ねていくことになります。「子どもの発達段階にふさわしいかかわり」を経験させることによって、フロアタイムによって伸びたスキルが、他のさまざまなスキルに幅広くプラスの影響を与える(だからABA的に具体的・個別的課題をやらせるよりずっといい)という考え方のようです。

全体をとおした率直な印象としては、「このくらいの『療育法』だったら、別にDIRみたいな名前をつけるほどの独自性があるとは言えないんじゃないか」というものです。
そもそもDIRに限らず、療育というものは「どこまでのスキルがあるか・どこがまだ未達か」を診断したうえで、できないことをできるように伸ばしていくものです(自閉症を情緒障害ととらえてしまうと、そういう見取り図すらなくなってしまいますが)。
そう考えたとき、DIRの診断のベースとなる「発達モデル」も、働きかけとしての「フロアタイム」の内容も、今まで見たことがあるようなものが多く、それらをDIRと名づけているのは、1つの「プログラム」としてブランド化することで、商売として成り立たせるための方略という要素が強いのかなあ、と感じます。(それは他の「アルファベット3文字」のいろいろな療育もみんなそうですが)

ちなみに本書のなかで、DIRのアピールポイントとして、「ABAやTEACCH(の構造化)のように、特別なテクニックを学ばなくても実施できるから家庭療育むき」、といったことが書かれていますが、これについて私は懐疑的です。
なぜなら、特殊なテクニックを学ばないということは、「どう関わればいいかが具体的に示されていない」ということだからです。
本書のなかでも、個別のケースでこう働きかければいいですよとか、いくつかの「フロアタイムの遊びのアイデア」は掲載されていますが、あくまでもケーススタディですから、「自分の子どもに対して・具体的な問題に対して」どうすればいいのかは分からないことになります。
分からないままで関わると、「一般的な子育ての常識」に基づいて行動してしまいがちで、結果として不適切な働きかけが増えてしまうリスクがあります。
たとえば後半、問題行動への対処法も書かれていますが、「いろいろなことを考慮して多角的に対応しましょう」みたいな書き方になっていて、具体的でなく歯切れが悪い印象です。さらに、「子どもの感覚特性を考慮しつつ、子どもの世界に入っていく」みたいなことも書いてあって、感覚統合とか遊戯療法的なカラーも見え隠れします。こういった「検証が難しい療育法」は、少なくとも家庭療育向きではないというのが私の考え方です。

確かに、ABAとかのテクニックは特殊なもので、「覚えるのが面倒」かもしれませんが、逆にそういうものを覚えれば「自分の子ども・個別の問題」に対して、ちゃんとその「特殊なテクニック」が応用できるようになるぶん、家庭での失敗が少なくなるはずだ、と私は考えています。

DIRが「発達論的アプローチ」に立っている点は、思想的にはABAよりも先を行っている部分があると思いますし、子どもとの「楽しい相互作用」の時間を重視することはまったく正しいと思います。(環境との相互作用を最重要視するのが、私の療育に対する立場です。)
でも、DIRが、ABA・TEACCH・絵カードといった「具体的で汎用性のあるテクニック」に代わるだけのノウハウを提供できているかといえば、それは疑問だという印象です。

ボリュームは十分にあるので、専門家の方などで「DIRのフロアタイムというものをぜひ自分の療育に導入したい」という方なら大いに役立つと思います。
そういった方や、DIRという療育法に特にご興味のある方はどうぞ。

※その他のブックレビューはこちら


posted by そらパパ at 21:41| Comment(5) | TrackBack(0) | 理論・知見 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
もちろん解決策でも決定打でもないと思いますが割と好意的に見ています。(私の頭の中ではインリアル・アプローチ→RDI→DIRという流れになっています)ABAが部分の和は決して全体に成りえないというメルロポンティ(知覚の現象学)のゲシュタルトの命題を克服できていない以上原理的に破綻しているのではないかと考えています。それでABAは限定的かつ現在唯一有効な武器と認めつつ他に何か手だてはないかと模索しているところです。そこでDIRは意外と使えるのではないかと思っています。OSのLinuxのようなものと考えています。
Posted by スカラベ at 2009年10月01日 00:34
そらパパさま

いつも充実したブックレビューありがとうございます。

内山先生の著書「本当のTEACCH」の中でも、「フロアタイム」の言葉があり、ずーっと気にはなっていました。でも、あまり大した内容ではなさそうですね。

PRTの本とあわせて、来月手に入る予定なので、職場の心理職と一緒に読み解いてみたいと思います。

Posted by あやぱぱ at 2009年10月01日 05:24
スカラベさん、あやぱぱさん、

コメントありがとうございます。

ABAの効果が限定的で、決して「子どもを完全にコントロールする技法」にはなりえないであろうという点、さらにはABAがカバーできない領域をカバーできる療育法を探していかなければいけないという点にはまったく同意です。

ただ、その「新しい療育法」はやはり、どこまでいってもエビデンスベースドなものでなければならないと思います。

それは、療育「法」というのは「過去ではなく将来、身内だけではなく不特定多数に向かっているもの」だからです。

いくら「こんなに効きました」というエピソードを語られても、それが「これからも効く」ものでなければ意味がありません。(つまり、競馬予測とかで「こんなに当たりました!」という宣伝があったとしても、本当に大事なのは「こんどの週末のレースを当てられるか」なわけです)
さらに、例えば仮に私がことばにできないような「療育の極意」を体得して、実際に自分の子どもとかを劇的に改善できたとしても、それを言語化して他人に伝えることができなければ、その療育法は私の身体の外に出ることはできませんし、私の命とともに消え去ることになります。
だからこそ、療育「法」は明確に言語化され、検証可能なものになっている必要があり、それはつまり、エビデンスベースドでなければならないということになるんだと思っています。

そういう観点からは、DIRは少なくとも「まだまだこれから(早くもっとエビデンスベースドなものに発展させるべき)」なのかな、という印象です。(訳者あとがきにも、DIRはまだエビデンスが十分でないといった記述がありました)

ところで、インリアルとかRDI、DIRといったものが、ABAのオルタナティブ(別の選択肢)としてアメリカで一定の勢力を得つつあるように見えるのは、逆にこれまでアメリカではそういう「子どもの目線に立って、自らも『相互作用』のなかに取り込まれて感情的にかかわりあう」という考えかたが、日本などと比べてずっと弱かったからなのかもしれないなあ、と感じています。

アメリカでかつて優勢だった(と聞いている)精神分析的なアプローチも、現在優勢なABA的アプローチも、どちらかというと「養育者」は絶対強者として高いところにいて感情的にならず、「変化する」のは一方的に自閉症児のほうだけ、という思想があるでしょう。
つまり、「相互作用」という発想自体が希薄で、外科手術における医師と患者のような関係での「療育」がずっと主流だった、といえるのではないでしょうか。

だからこそ、「子どもの目線に降りて」「子どもとともにかかわりあい」「感情をこめて」「養育者も影響を受けて変化する」といった、「相互作用重視のアプローチ」が、ある種のオルタナティブ(ここには、「代替療法」という意味もある程度含まれるでしょう)として頭角を現してきているのかなあ、と思うわけです。
「純粋なABA」に対するPRTの位置づけも、なんとなくそういった要素が強いように感じます。

だとすると逆に、日本ではもともと「子どもと感情をこめてかかわりあう」という文化はそれなりにあると思いますから、これらの「ニューエイジ」な療育法から新たに学ぶことは、意外に多くはないのかもしれないな(少なくともエビデンスベースドなものにならない限り)とも感じているわけです。
Posted by そらパパ at 2009年10月01日 21:40
どうも日本の臨床心理学の問題点は哲学、思想、ブームは輸入されるが、その臨床技術はほとんど入る事は(もし本当に導入しようと試みると何故だかわからないのですが徹底的にいじめられるのを目撃しました≪江戸時代空を飛ぶのは御法度でグライダーのようなもので飛んだ人が島流しに遭った話を思い起こします≫)なく時間がたつとほとんどゼロに近い状態になり患者はただ途方にくれるばかりのようです。(この日本の病理をゼンメルワイス症候群と名づけるのを今思いつきました《笑》)しかしもし一度EBに基ずくテクノロジーを徹底的に身に付けられれば、「相互性」そして精神科医の中井久夫氏(分裂病と人類)の云うところの「心のうぶ毛」を読む力は天性のものがあるので自閉症の療育法を世界に発信できるのではないかと思っています。
Posted by スカラベ at 2009年10月02日 00:08
スカラベさん、

コメントありがとうございます。

まあ、自分で気がついていて、それでもあえて書いているのですが、行動主義的でない=別の言い方をすれば「還元主義的でない働きかけ」を「エビデンスベースドで表現しきる」というのは、もしかすると言語矛盾なのかもしれませんけどね。(^^;)
Posted by そらパパ at 2009年10月02日 20:29
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