今回の事例では、教室でクレヨンで絵を描いている自閉症児に「グラウンドに出なさい」という指示を出すのですが、自閉症児は抵抗を示し泣いてしまいます。その後、やっとグラウンドでボールで遊びだした頃には、再び「教室に戻りなさい」という指示を受けてまた泣くといった具合です。
(これはことばによる指示に限定されません。視覚化されたスケジュールに貼られている、グラウンドの絵カードを指差して指示する場合でも問題の本質は変わりません。)
何が問題なのでしょうか?
ここで出てくるのが、ABAにおける機能分析という考え方です。
つまり、場面切り替えの指示が自閉症児に対してどういう機能を持っているか(自閉症児にとって、どういうメッセージとして受け止められているか)、を考えます。
この考え方に立って再考してみると、「外に出なさい」、あるいは「教室に戻りなさい」という指示は、この自閉症児にとっては、実は表面的な意味とはまったく違う機能(意味)を持っていることにはたと思いつくのです。
先ほどの説明をよく見てみると、この状況において、「外へ出なさい」あるいは「教室に戻りなさい」というのは、自閉症児にとっては、「クレヨンで絵を描くのをやめなさい」「ボールで遊ぶのをやめなさい」と言っているのと同じです。
つまり、自閉症児にとって、スケジュールにしたがって場面を切り替えるということが、今やっている「楽しいこと」を奪われるという意味になっているのです。
自閉症児は「見通し」を持つことが不得意ですから、目の前の「楽しいこと」を奪われるということだけに意識が集中して、次の新しい場面での別の「楽しいこと」を期待して頭を切り替えることはとても難しいというわけです。
そして、新しい場面で、ようやく別の「楽しいこと」で遊び始めたころには、またその「楽しいこと」を奪われてしまうということの繰り返しになってしまっているわけです。
別の見方をすると、自閉症児にとっての関心事は、同じ場所にいるか移動するかということそのものではなく、「楽しいこと」(強化子)が得られるか奪われるかということにあり、「場所を移動しなさい」という指示は、その意味どおりの意味ではなく、「今やっている楽しいことをやめなさい」という別のメッセージとして受け止められていると考えられるのです。
この状況を解決するには、移動先にある「楽しいこと」を移動前に提示するという方法があります。
今回の例でいけば、教室からグラウンドに移動するときは、教室にボールを持ってきて子どもに渡します。そして「グラウンドで遊んできなさい」という指示をするのです。そして、次に教室に戻るときには、クレヨンを渡し、「教室で絵を描きなさい」と指示するのです。
こうすれば、「楽しいこと」は奪われるのではなく、別の「楽しいこと」に移るだけになりますし、しかもその新しい「楽しいこと」をやるために、必然的に別の場所に行かなければならないということも理解しやすくなります。手渡すもの自体が移動場所の手がかりになり、見通しが立てられるというメリットもあるわけです。
これは、聞けば納得、本当によく考えられたアイデアだと思います。
「移動する、場面を切り替える」という表面的な事象に惑わされることなく、自閉症児が理解している(と思われる)「ごほうびがある、ない、奪われる」という本質的な事象に注目して、コミュニケーションしているわけです。
よく考えてみると、普段でも似たような経験がありますね。
例えば我が家では、娘におやつやジュースのときは専用の椅子を自分で持ってこさせる練習をしていますが、これも、おやつを渡してから「いすもってきて」という指示を出すという順番でやっているから、うまくいっているように思います。
これを、先に椅子をもってきて特定の場所に座るように訓練して、その後でおやつを渡すという順番でやっていたら、「椅子を持ってくる」という行動の意味が、娘にはずっと分かりにくくなるでしょう。