2009年08月03日

はじめての言語ゲーム(ブックレビュー)

ヴィトゲンシュタインと自閉症が、鮮やかにつながります。


はじめての言語ゲーム
著:橋爪大三郎
講談社現代新書

第1章 ヴィトゲンシュタインのウィーン
第2章 数学の基礎
第3章 ケンブリッジの日々
第4章 『論理哲学論考』
第5章 放浪の果てに
第6章 言語ゲーム
第7章 ルール懐疑主義
第8章 1次ルールと2次ルール
第9章 覚りの言語ゲーム
第10章 本居宣長の言語ゲーム
第11章 これからの言語ゲーム

著名な哲学者ヴィトゲンシュタインの、特に「言語ゲーム」と呼ばれる概念についての入門書です。

ですが、ただの哲学入門には留まりません。
著者さえも意図していませんが、この本は、自閉症の療育に極めて深い示唆を与えてくれる「自閉症療育の哲学」になっているのです

ヴィトゲンシュタインは難解です。
彼の主要な著作として、前期の「論理哲学論考」(「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」という有名なフレーズで終わる、非常に短い文章です)と、後期の「哲学探究」(「言語ゲーム」という概念は、こちらの本で出てきます)というのがあるのですが、どちらも非常に難解で、いわゆる「入門書」を読んでも、なかなか理解できません。

ただそれでも、彼の「言語ゲーム」という概念は、どうも「自閉症」と関係がありそうだ、あるに違いない、という思いをずっと持っていました
そこで、「はじめての言語ゲーム」という、私のための本だとしか思えないタイトルに、迷わずレジに直行したというわけです。

この本は、そんな「期待」に十分以上に応えてくれる一冊でした。

何より、この本はとても平易です。
正直「哲学」のことが書いてあるとは思えないくらい易しくて、ここに書いてあることが本当に、あの難解なヴィトゲンシュタインの言っていることなんだろうか、とにわかには信じられないくらいです。
まあ、恐らくかなり単純化して書いてあるんだろうとは思いますが(Amazonのレビューでもそういった趣旨のことを書いている方がいます)、私はこの本で初めて、「論考」の主張や「言語ゲーム」の概念を「つかめた」気になれたので、私にとっての「ヴィトゲンシュタイン」は、まずはこの本で理解したものから出発していいかな、と思っています。
それくらい、感動的なくらい易しく、前期・後期両方のヴィトゲンシュタインのイメージをつかむことができます。これは本当にすごいです。

そしてもっと驚いたことは、この本に書かれている「言語ゲーム」の説明が、私が自閉症を考えるうえで出発点にしている「そもそも社会や言語とはどういうものなのか」という考えかたとほとんど同じだったということです。
 「机」という言葉を使う、言語ゲームがあります。(中略)
 誰か(Aさんとする)が、机はなにか、わかっているとする。
 あなたが、机がなにか、わからなかったとする。
 そこでAさんは、いろんな机を順番にもってくる。これも机。これも机。どの机も、ちょっとずつ違っている。形が違う。脚の数が違う。大きさが違う。色が違う。材料が違う。……。でも全体として、どこか似ている。(これを「家族的類似」という。どっかの家族みたいに、なんとなく互いに似ているのだ。)それを順番に見ていくうちに、あなたはやがて、机がなにかを理解する。そして”わかった!”と叫ぶ。
 わかってしまえば、もうそれ以上、机を持ってきてもらう必要はない。
 なぜ、わかったのか。
 それはわからない。とにかくわかった。では、机とはなにか。説明できるとは限らない。定義できるとは限らない。(中略)
 有限個(ごく少数)をみるだけなのに、数えきれない場合にあてはまる規則(ルール)を理解する。こういう、なんとも不思議な能力によって、人間は言葉の意味を理解する。

(初版118~119ページ)

 ここで、社会を見渡してみよう。
 人びとは、言葉をしゃべっている。「机」も、そうした言葉のひとつ。言語は多くの言葉からなり、それぞれの言葉が意味をもっている。
 それ以外に、人びとはさまざまにふるまっている。畑をたがやす、食事をする、服を着る、子どもを育てる、葬式をする、……。それらにも、規則(ルール)がある。
 こうしたことが、みな、言語ゲームである。
 社会は、言語ゲームのうず巻きである。
 言語ゲームは、私たちが住むこの世界を成り立たせていることがらそのものである。

(初版122ページ)

・・・驚くべきことが書いてある、と思いませんか?

つまり、「言語ゲーム」とは、常に変動し、再現性がなく、不確定なこの「世界」のなかに、人がもつ「不可思議」としか言いようのない能力でもって何らかの「規則(ルール)」を見いだし、有限個の「ことば」に押し込めることによって成り立っている、人と人(=社会)の営みのことであり、それこそまさに「社会」や「ことば」を成り立たせている、根っこの「仕組み」なのです

だとすれば、その前提となる上記の「不可思議としか言いようのない能力」に問題があれば、私たちにとっては安定して見えている「社会」は、常に変動し、再現性がなく、不確定な「どろどろしたもの」のままそこにあることになりますし、また、無限に存在するさまざまなものを有限個の概念に押し込める「ことば」なんてものは到底存在しえない、ということになります。

これはまさに、定型の人と自閉症の人にとっての、社会やことばのありようの違いを、これ以上ないくらい本質的に表現しているのではないでしょうか?

この考えかたは、私が提唱している「一般化障害仮説」ともダイレクトにつながっていきます。
私の、「自閉症とは、『一般化』という脳の情報処理スキルの障害である」という立場は、ヴィトゲンシュタインの用語を使って表現するなら、「自閉症とは、定型の人が当然にもっている『言語ゲームを成り立たせる能力』の障害である」と言い換えることができるでしょう。
こういた視点こそが、「わたしたちの『あたりまえの社会』では、どんな仕組みが働いているのか」(そして、なぜ自閉症の人にとってはその社会に適応するのが困難なのか)への新たな気づきにつながっていく、と私は考えています。

ところで、自閉症療育と「言語ゲーム」との関係に以前から注目されている方として、「困り感」という概念を生み出し、特別支援教育にさまざまな提言をされている佐藤曉氏があげられます。
佐藤氏の下記の本の第6章「ことばがなぜ通じるか」には「言語ゲーム」というそのものズバリな項があり、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の概念を解説しながら、「自閉症児はわたしたちの言語ゲームに参加できずに当惑している」という「困り感」を抱えているのだ、と説明されています。


自閉症児の困り感に寄り添う支援
著:佐藤 曉
学研のヒューマンケアブックス

私も今回、はっきりと確信しました。
自閉症を考えるとき、一番「役に立つ」哲学者はヴィトゲンシュタイン(特に後期の「言語ゲーム」という概念)である、と。

そのヴィトゲンシュタインと言語ゲームの入門書として、本書は間違いなくベストとなる1冊です。
ヴィトゲンシュタインは、「私たちにとって当たり前で、自閉症の人にとっては当たり前でない」、まさにその境界線にあるものを徹底的に考え抜いた哲学者だと言うことができ、自閉症療育へのヒントに満ち溢れています。

ですので、私はこの本をあえて、「自閉症療育に役立つ本」として、おすすめしたいと思います。
表面的な障害の定義や療育テクニックの「その先」にあるものを考えたい方、ぜひ一度読んでみてください。必ずや、何か得るものがあると思います。

※その他のブックレビューはこちら
posted by そらパパ at 20:00| Comment(8) | TrackBack(1) | 理論・知見 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>自閉症を考えるとき、一番「役に立つ」哲学者はヴィトゲンシュタイン(特に後期の「言語ゲーム」という概念)である、と。

同感です。また自分もこの本を読みましたが、非常に示唆に富んだ本だと感じました。

またヴィトゲンシュタインの入門書としては、永井均の「ウィトゲンシュタイン入門」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%B0%B8%E4%BA%95-%E5%9D%87/dp/4480056203

もとてもよいかと思います。興味がおありのようでしたら、ご一読ください。
Posted by afcp at 2009年08月03日 22:03
うわ~~~。
これはめちゃくちゃ納得します。
速攻でさきほど購入しました。
「腑に落ちる」というのがぴったりな記事でした。
いつもありがとうございます。
Posted by こうまま at 2009年08月03日 23:47
言語ゲームのレベルまではアスペルガー、高機能自閉症の人々でもなんとか到達できるのではないでしょうか?しかし、問題は何も解決していないのではないかと思っています。レヴィナスが顔の問題を考察しています。そして顔の記憶ためにヒトの脳は大きな部分を割いています。
Posted by スカラベ at 2009年08月04日 00:38
この本によるところの「不可思議としか言いようのない能力」の障害こそが自閉症である、ということですね。

となると三つ組みは間違いで「社会性」と「コミュニケーション」だけの方が正しいという気がしてきます。

本、ぜひ読んでみたいと思います。
Posted by たろきち at 2009年08月04日 01:36
みなさん、コメントありがとうございます。

実はこの記事は、この本が出てすぐに書いていたのですが、なぜかAmazonが「在庫切れ」(新刊なのに!)という信じがたいステータスになっていたので、出すのが遅くなってしまいました。
いまは、なんとか「2~3日以内に発送」になっていますね。

afcpさん、こうままさん、
ヴィトゲンシュタインの入門書は、永井氏のものや、飯田氏のもの、それと野矢氏訳の「論考」とか、かなりいろいろ持っています。
でも、それらのどの本よりもこの本は分かりやすかったですね。そして、やっとこれまでモヤモヤと感じていた「自閉症とヴィトゲンシュタインの関係」について、まさに「腑に落ちた」と感じられました。

スカラベさん、
「言語ゲーム」というのは「枠組み」であり、クリアできるかできないかというとらえかたではなく、「そういう枠組みを生得的に持っているか、努力しないと使いこなせないか」、と考えたほうが、その本質に近づけるかもしれません。
「顔」の問題も、私は「言語ゲーム」の枠組みで考えられるような気がしています。

たろきちさん、
三つ組のうちの「興味の限定」も、言語ゲームの枠組みで考えられると思います。
それはつまり、言語ゲーム的に再構成しなくても安定したものととらえられる「世界の枠組み」のなかに留まっている姿なのではないか、と思うわけです。
Posted by そらパパ at 2009年08月04日 15:29
言語学の分野では、グレイザーズフェルドが同様のことを提唱していますが、当然(?)主流ではないです。

言語ゲームの議論については
西垣通 著  続基礎情報学  NTT出版  2008
にも同じようにわかりやすく書いています。
とてもドキドキしながら読んだ覚えがあります。
Posted by あやぱぱ at 2009年08月04日 21:44
 ヴィトゲンシュタインは私の大学時代の愛読書です。その論理の展開に圧倒され、やはり天才とは存在するものだと思いました。
 ところで、ここに書かせていただくのは、ヴィトゲンシュタインに関することではありません。
 米国で1995年に出版され、かなり評判の高い「a work in prgress」という本がありますが、翻訳出版されていません。中身は、ABAに関することですが、家庭でも参考になることが、目いっぱい記載されています。
 この書籍の版権は、オーティズム・パートナーズシップが所有しており日本語への翻訳も終了しているとのことですが、売れるどうか分からないとの理由で、販売するかどうかは未定だそうです。難しい英語ではないので、是非皆さんに、特に、そらパパさんには読んでもらいたいと思います。皆さんの力でこの本が出版できるように、力を合わせませんか。

(そらパパさんへ)
 このコメントは、別の所に掲載されても結構です。
Posted by ウルトラマンの父 at 2009年08月05日 10:59
あやぱぱさん、ウルトラマンの父さん、

コメントありがとうございます。
おそらく、今回紹介したような議論は、心理学や言語学、社会学などのさまざまな領域で語られていることで、それ自体はそれほど新しいことではないのかもしれませんが、文系のアカデミックな世界で幅広く知られている、極めて有名な「言語ゲーム」という概念が、自閉症という私にとって切実な問題意識とつながったところに、とても興味深いものを感じた次第です。

ウルトラマンの父さんの件についてですが、こちらの本のようですね。

http://www.amazon.co.jp/dp/0966526600

「Intensive」の文字が入っているので、内容的には、日本でいう「つみきBOOK」のより本格的なものという感じでしょうか。大判ペーパーバックで350ページ近くあるようですので、英語のままでは簡単には読めないと思います(^^;)
出版支援ということについては、私にできることなら協力させていただきたいと思いますが、私個人は「早期集中介入」については必ずしも全面的に支持していないという点は申し添えさせてください。
Posted by そらパパ at 2009年08月05日 14:45
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