これまでご紹介してきたようなクリシンは、どちらかというと「心理学的クリシン」で、人の認知の誤りやすい傾向とか、だまされやすさといったことを踏まえたうえで、そういう誤った議論をしないためにはどうすればいいかということを考える、どちらかというと「現状修復型」のアプローチです。
それに対して「哲学的クリシン」は、論理的な議論とはどういうものか、何を疑い、何を信じるべきか、といった「そもそも論」から出発し、論理的・合理的な議論をどのように構築していけばいいかを考える、どちらかというと「ゼロから建て直し型」のアプローチになるわけです。
ここまで読んで、そんな「哲学的なこと」を考えても、日々の生活にも療育にも何の役にも立たないよ、と直感した方にこそ読んでいただきたいのが、哲学的クリシンの入門書であるこちらの本です。
哲学思考トレーニング
著:伊勢田 哲治
ちくま新書 (545)
第1章 上手に疑うための第一歩―日常会話のクリティカルシンキング
第2章 「科学」だってこわくない―科学と疑似科学のクリティカルシンキング
第3章 疑いの泥沼からどう抜け出すか―哲学的懐疑主義と文脈主義
第4章 「価値観の壁」をどう乗り越えるか―価値主張のクリティカルシンキング
第5章 みんなで考えあう技術―不確実性と合意のクリティカルシンキング
本書にまつわる、ボリューム満点のインタビュー記事がありました。
これを読めば「哲学的クリシン」とはどんなもので、本書に何がかかれているのかがよく分かります。
哲学って役に立つの?―伊勢田哲治インタビュー(1)
なぜ人を殺してはいけないのか?―伊勢田哲治インタビュー(2)
パラダイム論以後の科学哲学―伊勢田哲治インタビュー(3)
「自衛のため」のクリティカル・シンキング―伊勢田哲治インタビュー(4)
このインタビューの第1回で、まさに先ほどの「哲学的に考えることは日常生活に役立つの?」という話題がとりあげられています。(この話題は本書でも最初にとりあげられています。)
そして、この本の(入門書であるにもかかわらず)意欲的なところは、価値観や倫理観についてクリシンできるかどうか、という問題にも挑戦しているところで、これはまさに哲学的アプローチだからこそ可能な議論でしょう。「価値観なんて人それぞれ」と議論を放棄してしまう相対主義者にどう立ち向かえるのか、とても興味深い議論です。
個人的な印象ですけど、この人も含めて、科学哲学をやっている人の本はざっくばらんで面白い内容のものが多いですね。この本も、とても楽しく読めました。
そして、哲学的クリシンを深めていくために役に立ちそうな「ツール」がこちらです。
哲学の道具箱
著:ジュリアン・バッジーニ、ピーター・フォスル
共立出版
第1章 論証の基本ツール
第2章 その他の論証ツール
第3章 論証評価のツール
第4章 概念的区別のツール
第5章 ラジカルな批判のためのツール
第6章 極限のツール
各章ごとにたくさんの項目(用語)が並び、1項目ごとに1ページから数ページの長さでコンパクトに解説されているという、「読む哲学的クリシン事典」です。詳細な目次がこちらで見れます。
論理的/クリティカルな議論をするために知っておくべきさまざまな技術、論法、形而上的概念が、1冊の本としてうまく整理されています。こういう本はなかなかなく、「道具箱」というタイトルも中身を見事に表現しています。私がときどき使う「オッカムの剃刀」も入っています。
後半(特に第5章あたりから)には、なにやら怪しげなもの(「神秘体験と啓示」とか「懐疑論」とか)が並んでいますが、この辺りは、個々の論点ではなく、議論のフレームそのものを批判したりするときに使う「劇薬」たちです。(でも、「自閉症児とことば」とか「療育の『効果』をどう評価するか」なんていう、私たちにとって一見平凡なテーマをとってみても、実はこのあたりの領域にまで議論が食い込まざるを得ないことは、実は結構あるはずなのです。)
ともあれ、単なる「論理学の入門書」では守備範囲が狭くてつまらない、ビジネスの場面やネットでの議論にも応用できるような論理的思考能力を養いたい、クリティカルな議論のノウハウを学ぶための「アンチョコ」が欲しい、といった方には、内容を考えればとてもリーズナブルな本です。
かなりカジュアルでくだけた表現が意図的に使われており、哲学や論理学の素養を前提としておらず、「フツーの文系の人」でも読める内容です。
哲学的クリシンの入門書を読み終えて次に読む本としては、個人的には1番のおすすめですね。
※その他のブックレビューはこちら。