これを完全に突き詰めることができれば、新しい療育法がほとんど完成してしまうというくらい難しいテーマだと思いますので、今の時点では完全な答えは出せないと思います。
でも、重要なポイントをいくつか指摘することはできそうです。
まず、最大の要因の1つは、音声言語としての「ことば」に重きを置きすぎていることでしょう。
早期集中介入では、ことばを発することを、なぜか非常に重視します。「なぜか」と書きましたが、実際、私にはこれはとても不思議な気がします。
なぜなら、音声言語は、コミュニケーションの手段の1つでしかなく、コミュニケーションの方法は、絵カードや手話、書き文字など、ほかにいくらでもあります。そういったさまざまな手段の中で、音声言語は、
・最も高度に抽象化されたものである
・視覚的手がかりがまったくない
・瞬間瞬間で消えてしまう
といった、自閉症児にとって非常に扱いにくい特徴をすべて兼ね備えています。
そしてもう1つ重要なことがあります。
それは、自閉症児がことばを発しない場合、ことばが理解できないということもさることながら、ことばをコミュニケーションのために使うということが理解できない、さらにはコミュニケーションするということ自体が分かっていないことが多いということです。
こういった子どもの場合は、まず、周りの人に何らかの形で要求を伝え、自分のほしいものをもらうという、最も基礎的なマンド(要求)のコミュニケーションそのものを教える必要があります。
このときに、音声言語を使わなければならない必然性はまったくありません。
例えば我が家では、みかんカードを使った絵カードコミュニケーションで「みかんが欲しい」という要求表現を訓練したところ、すぐにマスターしてくれました。
このトレーニングの効率がいいのは自然なことで、「みかんカードを渡す」という行動の直後に、「みかんがもらえる」という、まさに自分が望んでいることがかなうわけですから、きわめて強い強化の力が働くわけです。
一方、これを早期集中介入の方法論でやるとどうなるでしょうか。
早期集中介入はフォーマルトレーニングをベースにしているので、まずいすに座るトレーニングから始まります。
1.いすに座れるようになって、
2.マッチングができるようになって、
3.こちらの音声指示に従えるようになって、
4.動作模倣ができるようになって、
5.音声模倣ができるようになって、
6.「ちょうだい」または「みかん」ということばを教えて、
ここまでちゃんとたどり着けてようやく、みかんが欲しいときにことばで「みかん」なり「ちょうだい」なりを言えるようになることになります。
しかも、トレーニングの過程で与える強化子は、必ずしもそのときそのときに子どもが一番欲しいものではありません。みかんが欲しい瞬間でも、トレーニングでもらえるのは親が決めた別のもの(クッキーなど)です。少なくとも、みかんがほしいときにみかんが出てくるのに比べれば、強化子としての力はどうしても弱くなる(トレーニングに時間がかかる)でしょう。
さらに重要なことは、これだけの長い時間をかけて「みかん」と言えるようになったとしても、先の「みかんカードを渡す」というシンプルな方法に比べて、コミュニケーションとしての機能性や汎化の力は弱いかもしれない、ということです。
早期集中介入で「みかん」と言えるようになった子どもは、あくまでいすに座ってのフォーマルトレーニングにおける音声模倣の1つとして「みかん」ということを「教えられて」覚えるわけです。「みかん」と言わせるトレーニングをやめたとき、あるいはフォーマルトレーニング以外の場でみかんが欲しいと思ったとき、本当にこの子は「みかん」と言ってくれるでしょうか? もし言ってくれなかったとしたら、このトレーニングの価値は、ゼロになってしまいます。そうならないように、汎化のためのトレーニングを別にやらなければならないかもしれません。
ことばを教えるのではなく、コミュニケーションを教える。
何だかTEACCHが言っているのと同じ結論になってしまっていますが、考えてみれば当然のことで、話せない自閉症児が本当に困っているのは、ことばが出ないことではなくて、周りの人を理解したり、自分の思いを伝えることができないことなのです。
ことば以外の方法でコミュニケーションスキルを教えると、結果として、ことばはそれが子どもにとって必要になったときに自然に出てくることが多いと言われています。
いずれにせよ、あらゆるコミュニケーション手段を差し置いて、何がなんでも音声言語を獲得することを最優先するやり方が、早期集中介入の療育効率を低くしている要素の1つであることは疑いの余地がありません。
(次回に続きます。)