七田式超右脳教育法で自閉症の子が良くなる!
七田 眞
KKロングセラーズ
シリーズ記事の最終回です。
いよいよ最後の仕上げとして、七田式の本が語る「ストーリー」が、自閉症児の親御さんにとって「有益」なものになりうる可能性があるのかどうかについて考えていこうと思います(残っている分を1回分にしたら超長文になってしまいました)。
言うまでもありませんが、ここで語られているストーリーは、「脳」という一見科学的に見えるキーワードで体裁を整えてはいるものの、その実は「念じれば通ず」という念力療育(非物理的な精神世界のなかでの働きかけ)であり、その一方、物理的な働きかけについては、子どものペースを無視して、養育者の側が一方的にペースを握り、「量とスピード」にこだわっていくという構造になっていると考えられます。
まず、常識的に考えて、念力で療育できる、それによって効果が実際にあがる、というのはちょっと「信じるに足るものではない」と言わざるを得ないでしょう。
物理的存在でない「念・精神」と物理的存在である「脳・肉体」とがどうやって相互作用するのかという矛盾を解決するのは至難の業です(ちなみに本書でもたびたび登場する「波動」は、本来の意味では、あくまでも「物理的存在」です)。
もちろん、「この世のことは科学で全部説明できる(説明されないものはすべてウソだ)」といった主張をしたいわけではありません。ただ、療育のために与えられた時間やお金は、有限です。その有限なリソースとしての時間やお金を、「これまで一度も証明されたことのないもの(=念力)」に投入してしまう、というのは、さすがにあまりにも割の合わないギャンブルだと思います。
そしてこの「念力療育」は、「療育らしいことを何もしない」場合と比較してさえ、上記のような意味において「リソースの無駄遣い」であるということから、「何もしないよりもさらに悪い」結果となる可能性が高いと考えられます。
そして一方、「右脳」教育のほうは、一応、運動や認知スキルに関連しそうな働きかけによって構成されているとはいえ、内容が、「過酷な運動」と「言語」に偏っているのが気になります。「非言語脳」と自ら主張しているはずの「右脳」への教育が、なぜか実態としては言葉に関連するものばかりというのは不思議です。
脳障害児を普通児に変えるには、何よりも言葉を育てることを考えなくてはなりません。(179ページ)
一般的な定説としては、自閉症の子どもに対して、理解できないようなことばかけを無闇に増やすことは、効果がないか、混乱を招いてかえって逆効果になるリスクがある、と言われていますから、そういった療育を「集中的に」行なうことは、リスクが高く効果の期待しにくい行為であるといわざるをえないでしょう。
(なお、あえて付記するまでもないですが、本書が言っているような単純化された「右脳・左脳」仮説というのは、実態としては脳科学に根拠があるとはいえず、疑似科学のカテゴリとして扱われるべきものです。)
そして、過酷な運動のほうについては、どんなに暴れても「愛情を注いで」拘束しつづけるという抱っこ法とあわせて、どうしても虐待的な匂いを感じてしまいます。
1日合計30分も「逆さ吊り」するとか、1日に何千回も「その場跳び」をやらせるとか、本人が嫌がっても毎日数キロの散歩をさせるとかいうのは、少なくとも統制された実験によって効果が実証されるのでない限り(その実験自体にさえ倫理的な問題がありそうですが)、子どもに対する「適切な働きかけ」だとは私には思われません。
以前、抱っこ法の議論でも書いたのですが、こういう虐待的ニュアンスを含む療育というのは、「辛いことがあっても反抗してもムダだ」という経験を子どもに繰り返させることによって「学習性無力感」を獲得させておとなしくさせる(その副作用として、環境に対する全般的な反応すべてが抑制されてしまう)働きかけとして機能している可能性があります。
また、これは実際に七田を利用された方からのコメントとしてもいただきましたが、こういったハードな働きかけを続けていくことについて、親は「どうしてもやりとげなければいけない」という強迫観念を持たせられてしまうこと、そしてうまくいかなかった日や実施できなかった日には強い自責の念にかられてしまうことも指摘できます。
親に心身ともに負担がかかる割に「効果があると実証されている働きかけが何一つない」ことを考えると、これも「こんなことをやるくらいなら何もしないほうがマシ」という類の「ストーリー」だと言わざるを得ないでしょう。
さらに、ミルクや水道水といった身近に口にするものをひととおり否定したうえで、自らが販売している食品をすすめるといった代替療法的な方向に誘導していく動きにも、本当に子どもにとって意味のある方向というよりは、自分たちのお金儲けの方向にむけた働きかけなんじゃないかという印象を拭い去ることができません。
ガンは現代医学では治りません。でも食事を自然食にすると治るのです。(中略)エイズもまた玄米、菜食で治っています。(193~194ページ)
このように、具体的な療育方法をみる限り、七田式の語る「自閉症療育のストーリー」は、親にとってメリットがあるどころか、むしろデメリットばかりが目に付き、「これだったら何もしないほうがマシ」というものであると判断せざるを得ないものです。
そして、「ストーリー」のもう一方の核である、障害観や療育観にも、やはり問題があります。
第一に、上記の179ページの引用「脳障害児を普通児に変える」などにも見られるとおり、障害を悪ないしあるべき姿からの逸脱ととらえ、排除する、矯正する、普通に戻すといった、「障害否定志向・普通絶対志向」が強すぎます。そして親にもこのような「今ある障害を治して普通児にしなければならない」という思想を強く求める構造になっています。
これは当然の結果として、「子どもの障害の受容」「ありのままの子どもの肯定」という、本来療育をすすめていくために私が必要だと感じているステップを否定することにつながります。本書を客観的に読める親御さんなら、本書の主張の背後に「障害児なんていらない、みんな普通になるべきだ、障害児である限りいまある姿は受容しない」といった、強い障害排除思想、もっと率直にいえば、障害・障害者を見下し、差別する思想を容易に見出すことでしょう。
私の考えとしては、このような思想をもつことは、障害をもった子ども、そしてその家族の人生を豊かにするという観点からは有害無益です。
第二に、障害の原因を母親に求め、母親に自己否定させるところから出発する内容になっていることを問題視すべきでしょう。
これは当然に、母親の自責の念と、無力感につながっていくでしょう。それは、療育にかかわる母親の人生を豊かなものにするという観点から明らかに有害ですし、それは結果として、子どもや家族の幸福を最大化するという観点からも問題があると言わざるを得ません。
まあ、そうやって母親の無力感を高めることで、「七田式」という外部の「権威」への依存心を強めるところまで狙っているとしたら、ある意味大したものだと思いますが・・・。
そして第三に、最終的に自閉症の原因と療育の両方を、目に見えない精神世界のほうに持っていってしまう点を指摘したいと思います。
これによって、効果の検証がまったくできない(結果が出ないのは「心に迷いがあるからだ」とされ、「心から信じれば結果が出ます」と言われてしまえば、結果がどうあっても説明できてしまう)ことは、「自閉症療育のためのストーリー」としては致命的な欠陥だといえます。
自閉症は非常に個別性が強く、試行錯誤のなかからしか最適な働きかけは見つからないと私は考えていますので、療育的働きかけについて「検証可能性」が高いか低いかというのは、その療育の枠組みが有効かどうかの生命線だと思っています。
つまり、何か働きかけてみて、それが有効だったらその方向性で続けていけばいいし、あまり有効でないと分かったら、どこに問題があるかを考えてそれを修正してまた働きかけてみる(そしてまた効果を検証する)、それの繰り返しがあって初めて、我が子にとって最適な療育のカタチが見えてくるはずなのです。
ですから逆に言えば、うまくいってもいかなくても理屈がついて正当化されてしまう(その結果として、いまやっているやり方自体が否定されない)療育法というのは、ものすごくうさんくさいと言わざるを得ないし、そもそも有効だとは考えにくいのです。
それを、検証不可能な精神世界にほうにもっていってしまって、「いや、それでもこのやり方は正しいんだ、結果が出ないのは精神の問題だ(見えないけどね)。あなたは信じているつもりだろうが、『ほんとうは』まだ疑いの気持ちがある(と第三者が解釈する)から、うまくいかないんだ」と主張するとするならば、それは実は、子どもへの療育的効果を犠牲にして、療育主体が自らの療育法の「正しさ」を守るという独善を働いているに過ぎないのではないでしょうか。
・・・以上、本書の語る自閉症の「ストーリー」について、とりあえず頭ごなしには否定せず、できる限りいったん受け入れながら読んでみたつもりですが(それでもあちこちに皮肉が出てしまうのは避けられませんでしたが)、それでもやはり、この本は「全然ダメ」です。断言します。科学的にもデタラメだといわざるを得ませんし、それを横において「療育のフレームワーク」として読み解いても、家族を誤った方向に導くことにしかつながらず、百害あって一利なしだといわざるを得ません。
この本に従っていたら、自閉症の子どもと家族が幸せになれる可能性は限りなく低くなるでしょう。率直にいって「七田式で療育するくらいなら、何もしないほうがはるかにマシ」です。
本書は、いろいろな意味で反面教師的に読むことはできるので、よく「分かっている」親御さんが興味本位で読むことはいいと思いますが、この本に自閉症の「救い」や「答え」を求めることは、やはりまったくおすすめできません。
最後に蛇足:
ものすごく引っ張って、結局「予想どおり」の結論になってしまい申し訳ないです。
でも、こんな記事を書こうと思ったのは、本書を読んて、「世界観」が意外にしっかりしている部分があるな、という印象をもったからなのです。もちろんそれはハチャメチャと言えばハチャメチャなのですが、それでも確かに、平凡な療育書よりも惹きつけられる「勢い」がある文章だということは感じたんですね。
それはつまり、本書の内容や著者である七田氏の話に「惹きつけられる」「信じたくなる」人はきっとたくさんいるだろうということでもあります。
だから、それを単純に無視する前に、一度ちゃんと「読み解いて」みたい、と思ったわけです。ですから、結論が同じでも、この記事を書きたいと思ったわけですね。
長いシリーズ記事に最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
正直、この連載に対しては静観していよう、と考えていました。「そらパパさん、貴重なパワーを、もっと他に振り分けたほうがよいんじゃないか。」と考えていました。しかし、最後の蛇足を読んで、「一度ちゃんと読み解いてみたい」というお気持ちはよく理解できます。似たようなものに、新興宗教がありますね。なんか、やはり勢いや信じたくなるということは、ありますものね。
企業活動ではふつうにP(プラン)D(ドゥ)C(チェック)A(アクション)サイクルを回す、ということをしますが、子育ても同じだと思います。定型発達児であろうと、発達障害児であろうと、一人ひとりみな違いますから、PDCAサイクルをできるだけ小さく回して、ベストではないかもしれないけれども、今よりはベターな環境、状況を子どもたちに提供していきたいですね。
コメントありがとうございます。
連載の1回目で書いたとおり、このシリーズ記事はかなり以前に書き終えていたもので(この本を最初に読んだときに、それなりに印象深くて、そのときにまとめて書いておいたものです)、そういう意味では新たに労力がかかったわけではないですね。
記事のなかでも書きましたが、こと自閉症療育に関しては(本当はあらゆる教育的アプローチは皆そうなんですが)、効果がすぐに検証できないものは全部ダメだと思っています。
検証のできない枠組みの中で、検証の代わりに「信じる」ことを求めるというやり方は、非常に危険だと思います。
常に、信じるに値する考察を発信してくださって、ありがとうございます。
参考にさせていただいております。
七田についてですが、「何もしないほうがはるかにマシ」・・・私もそう思う一人ですが、
「何かせずにはいられない」という母親の心情というのも身を持って感じられます。
親、特に母親というものは子どもの育ちの責任が全て自分にあるのでは、
自分の子育ては間違っているのでは、
という思いに苛まれがちです。
診断を受けて、右往左往しているさなかに
七田の本などを誤って手にしてしまっていたら・・・
私も、変な方向に進んだかもしれません。
そこに、この本の恐ろしさを感じました。
そして、そらパパさんのブログを読む度に「知性の重要性」みたいなものを感じます。
「判断を誤らず子育てをする」それだけで、充分療育になりますもの。
子どものために、親は賢くあらねば・・・
そんな思いを新たにしました。
コメントありがとうございます。
子どもが自閉症だと知ると、親としてはどうしても「とにかく何かやらなければいけない」という強迫的な気持ちにとらわれてしまうことは避けられません(それはもちろん我が家も同じでした)。でもその強迫観念は、扱いを誤ると大きなケガをする、ある種の「魔物」だと思います。
療育的働きかけには、「今やっていない『やったらいいこと』を新たに始める」ということと、「今やっている『やってはいけないこと』をやめる」という2つがあり、ものすごく乱暴にいえば、親にとっても、「『やったらいいこと』を増やし、『やってはいけないこと』を減らす」ことが、療育のすべてです。
ところが、「とにかく何かやらないと」という強い思いにとらわれて変なものに手を出してしまうと、むしろそれは「『やってはいけないこと』を増やす」ことにつながりかねず、結果として「何もしないよりも悪い結果につながる」というリスクさえ出てくるわけです。
とはいえ、「強迫観念」にあらがって、マイペースで「やるべきこと」を厳選して療育していくことは、なかなか大変なことでもあります。
そういう親御さんを支えていくためには、安心して信じられる「ストーリー」が必要だとも思います。
今回のシリーズ記事は、七田式が万一にでもそういう役に立つ「ストーリー」になっているかどうかを検証したものでしたが、結果はご覧のとおり「とんでもない!」というものでした。
個人的には、親御さんがベースとして持っているといいんじゃないかな、と感じている「ストーリー」というのは、例えば下記のエントリで書いているようなものなのですが、そういう考えかたが、少しでも広がっていけばいいなと思います。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/102792094.html
療育は、花を育てるように
七田には 3歳から4年間通いました。
当初は 「七田 眞」なんて名前も考え方も知らず 「障碍児教育」の言葉に誘われ入会・・ というより 体験入学で 娘がとても集中して見ていることができたので 少しでも・・と思いやりはじめました。 そこの教室は こういうことがいいよ(抱っこ法とか 食事療法とか) とは紹介していたけど 強制的ではなく そんなことでなおるはずない・・と私は思う方だったので サラッと 受け流して 娘の楽しそうな姿だけを
見ていました。 良かったところは マンツーマンで50分 豊富な教材、音楽 切れ目なしにやってもらえたので ふらふらしがちな娘が 部屋に居れたし 今から思えば OTなどでやるようなことを いっぱいやりました。
でもね 結論から言えば 七田をやっても 自閉症は治りません。 でも ここまで事前準備をして 娘に対応してくれた療育機関はありません。
自閉症が治る・・じゃなくてちょっとした療育の場と思えばいいんじゃないかな~。 お子さんの様子をみながらですが・・。
今 娘は支援学校の4ねんで中度自閉症ですが
学習面では 計算や文字などは飛びぬけて良いです。家で特別教えたことはないので 七田のおかげか・・ と少し思っています。
でも 自閉症は 治りませんよ(^^)
時々ブログを拝見しております。
4歳の息子がアスペルガー症候群と診断され、現在療育中です。
私自身はいくつかの書籍を読み、普段の生活の工夫が療育だと考えているのですが、主人と意見が合いません。
主人はとにかく金さえかければ何とかなると考え、レシチンのサプリメントを服用させたり民間の何十万もする音楽療法を受けさせようとしたり(私が断りました)しました。
そして現在七田式に通っています。
元々私が早期教育自体に否定的だったこともあり、早期教育信奉者のお母さん方と同じ教室にいること自体苦痛です。息子もフラッシュカードなんて見ていません。
何度か主人に辞めたいと話したのですが「あなたは息子のために何もしてないじゃないか」などと言われるのです。
行動療法を病院で学び、否定的な声かけをやめたり、なるべく丁寧な子育てを心がけているつもりなのですが、主人から見れば金を出してサプリとかなんとか教室とか行っていないから何もしていないようにみえるのでしょうね。
どうにか七田式を辞めることに納得してもらうにはどうしたらよいのか。こちらのブログでもう少し勉強させてください。
入会する前にこちらのブログを発見できたらよかったのに…。
コメントありがとうございます。
子どもが伸びるためのきっかけや環境を与える、「何かすること」を提供する、という部分だけを切り取ってみた限りでは、一般的な幼児教室と同程度には、七田式教室にも意義があるとは思います。
七田式の問題点は、「自閉症は子育てが原因だ」といった誤った主張をしていたり、「抱っこ法」や「サプリメント」や「念力療育」といった代替療法の領域にまで入ってしまっていたり、「ジャンプ1000回」のような、子どもに有害かもしれない指導まで含まれているといった辺りにあります。
七田式を「うまく活用」するためには、私たちの側が、相当賢くなる必要があるのかもしれませんね。
ぶどうさん、
なかなか難しい問題ですね。
私たちが「普通に」生活している限りにおいて、何かのサービスにお金を払えば、まあその金額に見合うだけの見返りが返ってくることが多く、そういう意味では「サービス料金」に対して「性善説」の立場をとる(つまり、高いサービスほどいいサービスだ、と考える)ことがそんなに間違っているとはいえません。
ところが、これが「普通」ではなく、「私たちの側がある種の『弱み』をもっている状態」になると、状況が一変するのです。
お金に困っている人に対するヤミ金しかり、がんやアトピーや慢性疾患に苦しんでいる人に対する代替医療しかり、太っているというコンプレックスを持つ人に対するダイエット法しかり、そこには「弱みにつけこんでお金をむしり取ってやろう」と考える強欲な人たちが群がる荒れ果てた世界が広がるのです。
そして残念ながら、「子どもが自閉症で何とかしたいと考える親」が置かれる世界も、後者のそれなのです。
ですから、そんな世界では、「お金をむしりとろうと考える人がたくさんいる」という「性悪説」に立ってものごとを判断していかなければなりません。
もちろん、七田式でやっていることがすべてそうだと言うつもりはありませんが、少なくとも七田式ですすめられる効果不明なサプリメントなどについては、(仮にそこに善意しかなかったとしても)限りなく「お金をとられるだけで効果は伴わない」可能性が高いと思います。
さて、「七田をやめる方法」ですが、一番シンプルな方向性は、別の療育を受けるということではないでしょうか。
公的なものや私的なものなど、地域によって量的な差はあるとは思いますが、探せばいくつかは通える療育施設があるのではないかと思います。
もし近所で「ABAやPECSの個別指導」をやってくれる私的なサービスがあれば、それは有効でもあるでしょうし、かつ(幸か不幸か)「値段が高い」はずですので、お金をかけることが大事だというご主人の考えを立てつつ、効果を期待できる療育を受けることができるかもしれません。
また、家庭でも「絵カードを使う(PECSなど)」「スケジュール表を作る」「手順表を作る」「課題の時間を設定して毎日続ける」など、より目に見えて「いろいろやっているな」と感じさせられるような療育をすることで、「ちゃんと家でもやっている」といったメッセージを伝えていくことができるかもしれません。
当ブログにも、そういった情報はいろいろ掲載されていますので、ご参考にしていただければと思います。
確かに医療にしたってサービスにしたってより高額である方がよいものが受けられますね。問題はその中身、効果ですね。
主人の意見に真っ向から反発するのではなく、尊重しつつも別の角度からのアプローチが必要と感じました。毎週一回病院に通っていますが、別の療育も探してみます。
あと絵カードやスケジュール表は使ったり使わなかったりとまちまちでして…。一番基本的で簡単な部屋の整理すらできていないので、まずはそこからだと思いました。
アドバイスありがとうございました。
初めまして。ブログを拝見させていただきました。そらパパさんのお子さんに対する愛情が伝わり、感動致しました。
七田についてのブログを拝見させていただきました。
七田真さんが、自閉症児教育についてこれほどまで浅はかな見解をもっていたとは正直ショックでした。
なぜならば、息子4歳(高機能自閉症傾向)も2年ほど前から七田に通っているからです。
息子の教室は健常児が通うクラスです。学年を下げさせて行っています。
先生は、本当に親切で息子のすべてを認めてくださります。提示された課題が出来たときは優しい笑顔で褒めてくれます。息子はおかげて勉強が大好きになり毎週末、楽しみに通っています。
同じクラスには多動傾向の子もいますが、嫌な顔ひとつせずに、大きな愛で受け止めてくださります。
教室に通う息子達に言えることは、確実に記憶力が研かれています。
主人は、はじめは七田に通うことを反対していましたが今では、心から信頼しています。
私自身、息子を育てるにあたり、中々言葉が通じないことにイライラしたり、自分を追いつめる日もありました。
でもあの子のスピードを認めて、受け入れてくださった教室にとても感謝しています。
別で通っている療育の教室よりも息子は幸せそうな表情で先生の提示する課題に取り組んでいます。
もちろん、真先生が書かれている自閉症の見解は間違っていると私も感じます。
でも、通常の教室は軽度の障害児には素晴らしいところであることをお伝えしたくて書き込ませて頂きました。
コメントありがとうございました。
もちろん、根っこの理論がトンデモでも、現場で指導されている先生のなかには素晴らしい方もいらっしゃるだろうと思います。
このエントリは、そういったものまで含めて全否定しようというものではありません。
ただ一方で、別の方からは七田の教室に通って、逆立ちとか変な修行みたいなことを強要された、という話も伺っていますので、やはり問題を感じざるを得ない指導内容になっているケースもあるんじゃないかとも感じています。
いずれにせよ、お子さんに療育や塾の指導を受けさせる場合には、実際の先生の指導内容や障害に対する理解の度合いを確認して、伸張に選択していくことが求められますね。
息子はグレーゾーンの自閉傾向です。
七田式が どんな理念か知らないまま入会して、3年間通っておりますが、今まで一度も 逆さ吊?や、子供に負担になるような運動を勧められた事もありません。
今の教室で、強制的にさせられていることなんて、ないんじゃないでしょうか。
息子が落ち着きが無くても、まず「しかる」とか「怒る」ことなんてないですし。
サプリを勧められた事も一度もありません。
逆に、先生に褒めてもらいたい、先生にこっちを向いてもらいたい。そんなストレートな欲求を出す息子にびっくりします。
レッスンが終わって、先生とのハグには 我先に先生の元に駆けつけます。
週一で、今通っている療育では、見せない姿です。この姿を見ている限り、続けさせてやりたいと思っています。
「自閉症は治る」なんてタイトルは衝撃的ですよね。今の時代、治るって事はないのが共通の認識ですからね。
七田式も進化しています。
体験レッスンを受けてからのご感想をうかがってみたいです。
コメントありがとうございます。
いい七田式の教室を見つけられたとのこと、素晴らしいことだと思います。
七田式の教室はいわゆるフランチャイズ方式だそうですから、いろいろな教育スタイルの指導者がいらっしゃって、中にはここで取り上げているような七田氏のオカルティックなやり方にはそれほど沿っていない指導者の方もいらっしゃるのかもしれませんね。
(逆に、毎日のように逆立ちや長距離歩きをさせられた、という話も実際に伺っています。また、この本が出たのはわずか8年前ですので、その間にこれら七田氏のさまざまな「教え」がすべて反故にされて全く異なるやり方が「七田式」になったというわけでもないのではないかと思います。)
以前から書かせていただいていますが、七田氏の発達障害・自閉症についての思想を批判することと、個別の事例として、七田式の教室を見学して、吟味して、そのうえでの判断として通わせることは必ずしも矛盾しないと思います。
バックにある思想が微妙であったとしても、実際の指導者が経験豊富で子どもの特性にうまく応えられるケースもあるでしょうし、逆に療育理論として妥当でも、指導者の力不足でうまくいかないということもあるでしょうし、この二者から子どもの預け先を選ぶというときに前者を選ぶということは多くの場合合理的な選択だと思います。
このブログはじめて拝見させて頂き、大変興味を持っています。息子は小学校一年で、脳性麻痺で広汎性発達障害、自閉的傾向があります。生まれた時からドーマン法に取り組み、3歳から七田の教室に通っています。フラッシュカード等で記憶力は飛び抜けて良いのですが、自閉的傾向はまた違う問題だとつくづく感じている今日この頃です。グレー子さんと同様ウチが行っている七田の教室も同じような感じで先生にもとても良くして頂いています。ドーマン、七田ともに記憶力は良くなるので最初は飛びつきますし、救われた気持ちになり「これだ~!」とはまってしまいますが、なにせ授業料、教材費は他に比べ高い。良いと言われる物は何でも試したくなるのが親心、最近新聞の広告で「こどのも脳にいいこと」の本を見て、買おうとしましたが買わなくて良かった。こういう場所で色々な情報交換出来るのはとてもありがたいですね。
コメントありがとうございます。
ドーマン法に七田式ですか…。
ドーマン法については、「奇跡の詩人」でずいぶん話題になりましたね。様々な学識的立場から批判され、否定されたと認識しています。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/doman/
七田式についても、私の立場はこのシリーズ記事にあるとおりです。七田式が特異的効果のある教育法であるというエビデンスは恐らくないと思われます。
ただ、特異的効果とは別に、子どもに何かしらの教育的刺激を与えれば、それが子どもに合っていれば教育的効果がある、という可能性は当然あるだろうと思います。
(たとえて言うなら、大学受験のために参考書を読んだら、読まないより効果があるのは間違いありません。でも、有名予備校の「○○式参考書」が他の参考書より効果がある(特異的効果がある)かどうかは別の問題です)
既に別の方へのコメント等でも何度か書いていますが、こういったちょっと怪しげな(でも子どもの面倒を見てくれて、子どもに刺激を与えてくれる)サービスに対しては、距離をおきながら冷静に見て、賢く利用する、特にコストのかかるものにはのめりこまない、といった態度が求められると思います。
お返事有り難うございます。
ドーマンに七田。。。確かにハハハな感じですね。
障害を持つ子どもを授かってから、とりあえず何でも試して走ってきた感じです。7年経ってやっと冷静に障害を受け入れる準備ができたように思います。こちらで紹介されていた「しかりゼロで自分からやる子に育てる」本を購入しました。なるほど読みやすく判りやすい本でとても良かったです。これからもちょくちょく、そらパパさんのブログ拝見させて、勉強させて頂きたいと思っています。宜しくお願いいたします。
2年ほど七田教室に通っています。
ちょっと気になることがあり書き込みをさせて頂きます。
そらまめパパさんのブログは自閉症と診断されて、療育方法を手探りされている親御さんに影響を与えることが多いかと思います。
私もそのひとりでした。
結果で申します。
〇〇の会は薦めない、(だったかな?もう一年以上前なので定かではありませんが)の記述に私も共感してしまい、独学でABAセラピーを毎日頑張りました。
半年以上続けて、疲れきって結局入会。
入会後「ああ、一番最初に入会しておくべきだった!こんなに情報を探しやすくなるなんて」と正直そらまめパパさんの説得力ある、理知的な文に共感した自分を悔やみました。
七田はそらまめパパさんのブログを拝見する前からたまたま通っていましたが、理屈についてはおっしゃる通りなのですが・・・・子供を育てるっていうのは、本当に理論ではなあ、というのが2年通ってみての実感です。
ESPだの抱っこ法だの、斜に構えてしか反応できない自分ですので、そらまめパパさんのブログに共感した訳ですが、七田ほど親身になって成長を見守り、母の心のケアを心配してくださったところはありませんでした。
出来ることも出来ないことも、認め、褒め、子供の笑顔を引き出す事を第一に関わって下さいます。
過剰な事を求められた事は一度もありません。
逆にABAセラピーでどんどんアカデミックスキルを身につけさせていく母を諌めてくださいました。
そらまめパパさんのブログを読まれて、「七田気になってたけどやっぱりやめとこう」「〇〇の会、やめとこう」となる親御さんがいらっしゃったら、もったいないと思ってしまいました。
身の回りにあるさまざまな「支援の仕組み」を、相手に利用されるんじゃなくて主体的に「利用してやろう」というスタンス、言い換えると、さまざまな支援の「いいところ」と「問題のあるところ」をしっかりと見極めて評価して、そのうえで利用することができれば、極端な話、どんな支援を利用してもいいとも言えると思います。
避けるべきなのは、そういう「理解」なしに相手の言っていることを鵜呑みにしてしまって、結果として支援が不適切なものになってしまうことですから、さまざまな情報を入手し、吟味することで、お子さんにとってよりよい支援につながることを祈念しています。
コメントありがとうございます。
いくつか誤解があるようにも思いますので、それぞれ回答させていただきます。
まず、私はつみきの会(のことだと思いますので、その前提で書かせていただきます)について、入会することそれ自体を薦めない等と述べたことはないはずです。
私が危惧しているのは、ロヴァース式に代表されるような、極めてハードなABAを「やらなければいけない」というプレッシャーとともに取り組むことで、家族が疲弊することのリスクであって、そのことについては繰り返し書かせていただいています。
(そのうえで、当ブログでは、誰でも負担なく続けられるような、子育ての延長に位置づけられる「ライトなABA」を基本的に支持している、ということになります。)
ですから、そういったリスクを理解したうえで、総合的に判断して、それでも「ハードなABA」に取り組んでみることはもちろん個々の家族の自由な選択としてありだと思いますし、そういった選択をしたときに、つみきの会のようなネットワークに参加することは、情報共有やモチベーション維持のために意味のあることだと思っています。
はじめまして さんは、半年で「疲れきって」しまわれた、ということですから、恐らく、かなりの「ハードなABA」にチャレンジされていたのだと思います。
だとすればその時点で、当ブログとして支持しているABAの方向性とは違うやり方をはじめまして さんは選択されていた、ということになるのではないかと思います。
また、七田式の件については、こちらのコメント欄でも何度か同様のやり取りがありますが、はじめまして さんのようなケースを否定するものではありません。
まず、この本に、自閉症を七田式でよくするにはこうやるんですよ、ということで、このエントリのような内容が書いてあるのは紛れもない事実です。
ですから、七田式が考える自閉症論、自閉症「治療」法がおかしなものであることは間違いないところだと言えるでしょう。
本エントリが語っているのは、まさに「そこまで」です。
では、身近に評判のいい七田式の教室があって、試しに見学してみたら、先生がとてもいい人で、親にも子どもにもとても親身に接してくれて、子どもも楽しそうに過ごせそうだ、と分かったときにどう判断すればいいか。
それはシンプルなことで、背後にある「七田式自閉症論」がおかしなものだから、もしかすると場面によっては不適切な対応や指導をされてしまうかもしれない、というマイナス面と、先生がいい人でよくやってくれそうだ、というプラス面を総合的に勘案して決めればいい、ということになると思います。
ここで仮に、同じく近所にTEACCHの療育施設があって、そちらを見学してみたら、TEACCHをやっていると言いながら内容は貧弱で、先生もスキル不足で子どもも楽しくなさそうだったら、この両者を比較して、「七田式を選ぶ」という選択も、十分に合理的でしょう。
逆に、その施設のTEACCHの環境が充実していて、かつ、先生にも能力があって子どもも楽しそうであれば、「プラスマイナスのバランス」の判断で、TEACCHの施設のほうを選ぶことになるでしょう。
我が家も幼稚園を選ぶ際に、通園可能な著名な支援施設と地元の普通級(加配付)を選択しなければならない場面で、前者の支援が(著名であり、量的には充実していたのですが)自分たちの希望するものとは異なることから、支援として不十分になるリスクはあっても、あえて普通級を選択した、ということもありました。
私の知っている方でも、親として支持しない食事療法を実践している幼稚園に、(それ以外の環境のよさ等から総合的に判断して)あえて通わせている、という方もいらっしゃいます。
つまり、当ブログでは、例えば本のレビューをしたり、ある療育技法のいい点や悪い点を考えたり、ということをエントリにしているわけですが、それをもしも親御さんが療育選びの参考にするという場面があるとすれば、それはあくまでも「多角的な判断」のための1つのヒント、手がかりを提供しているのであって、「これはどんなことがあってもダメ」とか「これはなにがあってもサイコー」といった絶対的な評価を下しているわけではありません。
そもそもそういう表現はしていませんし、仮にそういう表現をしている別のブログとか情報源があったとしても、「絶対」みたいな表現を信じることなく、自らできるだけ多くの情報を集めて客観的かつ冷静に判断することが大切だ、ということを、私自身、このブログで繰り返し書かせていただいているつもりです。
(ただし、身体に危険を与えるような一部の代替療法などに限っては、「絶対に避けるべき」といった表現をあえて使っていることもあります。それはまさに、「あえて」そう書いているわけです。)
全体としてお伝えしたかったことは、当ブログは、そもそも「絶対的な答え」を提供しているようなものではありません、ということです。
むしろ、「療育には絶対的な答えなんてありません」ということを繰り返し述べさせていただいています。
そして、そんな答えのない療育のなかで、さまざまな「総合的な判断」を行なわなければならない、そんなときに1つのヒント、手がかりになるようなことがブログから伝わるようなことがもしあれば、これに勝る喜びはないと考えています。