前回、あらゆる方法論は「効率を高める」という段階に入って初めてノウハウとしての付加価値が出てくる、という考え方をご紹介しました。
これは、言い換えると、効率を高める段階に十分に到達していない方法論は、そのまま採用するよりもむしろ、同じ効果をより短い時間・作業量で得られるような、効率改善のチャレンジに取り組むべきだ、ということを示しています。
これを早期集中介入にあてはめるとどうなるでしょうか。
以前も書いたとおり、早期集中介入の最大の功績は、「行動療法(ABA)は自閉症児に有効である」ということを証明したことにあります。そのために必要な時間は、「幼少時から毎週40時間、2年間継続」という途方もないものでしたが、とにかく自閉症児の発達改善に行動療法は効果があるんだ、という「結果を出した」ことの意義はいくら強調しても強調しすぎることはないと思います。
その一方で、この段階は、これまで解説してきたような方法論のブラッシュアップの過程においては、まさに「最初の一歩」に過ぎないことも事実です。
以前の受験勉強法の例に戻れば、「高校3年間、毎日10時間勉強すれば合格できる」ことを証明しただけの段階です。次のステップである、より短い時間の勉強で合格できるような方法論としての改善を進めていかなければ、それは、勉強「法」とはとても呼べません。
早期集中介入という形で「習熟したプロによって、これ以上詰め込めないくらい詰め込んでABAをやってみたら、とりあえず結果が出た」という段階の次にくるものは、その「やり方」を、より短い時間で、誰にでもできるように改善していくことです。
私が早期集中介入に対して感じた違和感とは、この方法論が必ずしも効率の改善や実施方法の簡便化に向かおうとせず、それどころかむしろ、膨大な量が必要なことやプロのサポートが必要なことに対して、強引に独自性や付加価値を与えようとしているように見えたことにあったのです。
これは、明らかに「おかしい」と思います。
子どもに膨大な量のトレーニングを課したり、高いお金を払ってプロのサポートを受けたりすると、親としては何となく子どものためにできるだけのことをしている、犠牲を払っているという感覚を持ってしまうかもしれませんが、裏を返せば、そういったことが必要なのは単に方法論として効率が悪いだけで、より効率のいい方法があれば負担しなくても済むはずのものをムダに負担しているだけかもしれないのです。
それでも、早期集中介入以外に自閉症に対して効果的な療育法がまったく存在しないのであれば、現時点での唯一の「解」として早期集中介入を選択する意味はあります。
でも、自閉症の療育について研究し始めた当初の時点でも、私は、早期集中介入以外にも優れた療育法はいくつもありそうだ、と感じていました。
その1つがTEACCHだったわけですが、以前にも書いたとおり、その時点ではTEACCHとは実のところどんな療育法なのか、具体的なTEACCHの療育カリキュラムとはどんなものなのか、本当の意味では私には理解できませんでした。
それでも、明らかに方法論として効率の悪い早期集中介入を始めるのではなく、それ以外の療育法をもっとしっかり勉強して、仮に行動療法(ABA)をやるにしてももっと効率のいいアプローチを見つけよう、そう思ったわけです。
ここ最近になって、この辺りの問題意識に対する答えが、ようやく少しずつ見えてきた気がします。
(次回に続きます。)