2009年06月29日

「七田式超右脳教育法で自閉症の子が良くなる!」をあえて読み解く(4)


七田式超右脳教育法で自閉症の子が良くなる!
七田 眞
KKロングセラーズ

本書を、科学的裏付けの有無とは切り離した、一種の「仮想的な療育フレームワーク」としての仮説モデルないしストーリー、という視点で読んでいくとするなら、その「ストーリー」には、いくつかキーワードがあるように思います。

※以下、いちいち突っ込んでいくときりがないですし、あえて反論せずに本書の主張をそのまま書いていきます。実際にはほとんどすべての議論が「突込みどころ満載」であることは留意してください。

まず本書では「脳」ということばが、極めてしばしば登場します。
具体的なキーワードとしては「右脳」「左脳」「間脳」という3つが出てきますが、これらは物理的な体の組織であると同時に、物理的世界を超越した「心・精神」の座でもあるとされます。
この点、本書は明確に、心の哲学でいうところの「心身二元論」(肉体とは別に、物理的世界を超越した心・魂が実在しているという考えかた)をとっています。

左脳は言語や意識的・言語的思考を担当し、意識の座でもあるとされます。
右脳は感覚処理や高速情報処理を担当しつつも、その処理は無意識下で行なわれるとされます。
間脳はイメージしたことを現実のものとする役割を担っており、ここに「イメージ」を伝達するとそのとおりのことが実現するとされます。ですから言ってみれば、間脳は私たち一人一人の体内に宿る、奇跡を起こす神のような存在として認識されるわけです。そこから、当然に「間脳に祈る」という働きかけが導かれます

そして、自閉症児の障害は「左脳の機能不全」である、とされます。(自閉症だけでなく、知的な障害はどれもまとめてみな左脳障害と整理されるようです。)
言語を担っている左脳がうまく働いていないから「ことば」が出ないのであって、また、左脳は「意識」をも担っているために、そこが障害されると、こちらに意識を向け、指示を理解するといったこともできなくなるというわけです。

そして、左脳が機能不全に陥っている自閉症児では、代償的に右脳が発達しているとされます。そこで、療育の柱の1つめとは、「右脳に働きかける」(それによって間接的に左脳も刺激する)ことになります。
無意識下で感覚情報を高速処理するとされる右脳を通じて、本来左脳が処理するはずの「ことば」を「入れる」ために、高速フラッシュカードやドッツといった、スピードや直感を重視した「右脳課題」を行なうことに加えて、脳自体を活性化するために、逆さ吊り、その場跳びのような「運動療法」がすすめられます。運動療法については、逆さ吊り3分を1日10回とか、その場跳びは数千回など、かなり子どもの体に負担をかける運動を求める点も特徴的です。
また、「無意識(潜在意識)」に働きかけるという位置づけをとることによって、「右脳」っぽくない?普通の「ことばかけ」も正当化され推奨されます。この辺りは正直、整合性がないですが、要はいろいろな方法でことばを浴びせかける療育を志向していると言えるでしょう。

そして、左脳の障害のためにこちらからの普通のスタイルの(物理的な)働きかけがあまり効率が高くないとされるため、自閉症児の「心・精神」に直接働きかけることが特に重視されます。この際の働きかけの主な「ターゲット」は、イメージをなんでも現実のものにしてくれる奇跡の神である「間脳」です。

一般に、肉体を超越した超物理的な存在としての「精神」を想定してしまうと、その物理的存在ではないはずの「精神」がどうやって物理的存在である「肉体」に影響を及ぼすのか、という心の哲学上の難問が発生するのですが、本書でその問題を解決するために登場するのが、「波動」というキーワードです。

「心・精神」は非物理的な存在、脳や体は物理的な存在ですから、「『心』に働きかけて『脳の障害』を治す」ということは、非物理的な働きかけで物理的な効果を得ようということになり、一言で言えば「念力で療育しましょう」ということを意味してしまいます。
実際、本書では「気を入れて治す」「念を送る」などの表現で、念力による療育が具体的に推奨されているのですが、ここで、非物理的な「心」と物理的な「脳」との間を媒介するのが「波動」ということになっています。(ちなみに、「波動」という用語自体は科学でも登場しますが、本書におけるその用語の「使われかた」はそれとはまったく異なることに注意してください。本書のいう「波動による働きかけ」とはつまり、「念力による働きかけ」だということです。)

本書における、波動というキーワードを使った「念力による療育」の柱は、大きく分けると2つあるように思われます。

その第一が、「抱っこ法」です
抱っこ法というのは、基本スタイルとしては、子どもをしっかりと抱きかかえ、子どもが多少泣いても暴れても、「泣きたいんだね、暴れたいんだね」と声をかけつつそのまま抱き続け、子どもがおとなしくなったら解放するという「療育」です。
本書ですすめられている抱っこ法はかなり強硬なタイプのものだと思われ、子どもがおしっこやうんちを漏らしても離さず、激しく暴れるなら複数の人間でしっかりと抱きかかえ、どんなに時間がかかっても子どもにカタルシス的な反応(暴れるのをやめたり、「トラウマ」を告白するような行動があるなど)が出るまで離さないといったことが指導されています。

抱っこ法はこのように、外見的には「肉体の拘束」なのですが、その本質は肉体の側ではなく、「心・精神」の側にあるとされます。
つまり、本書における抱っこ法は、親の心からの愛情を子どもに念じることで自閉症を「治す」という「念力療育」なので、肉体的・外見的には厳しい拘束であり、一見体罰にさえ見える方法であるにもかかわらず、これは「愛情」なのだ、という、「心・精神」の側の理由によって正当化されるわけです。

※個人的には、この「問題のすりかえ」の部分が、抱っこ法の「思想」のある種の核心だと思っています。
 まあ、抱っこ法だけではないですね。具体的にどの療育法がということはあえて書きませんが、心身二元論的な療育理念をベースにもってしまうと、「身体が主張している・表現していることはウソ(あるいはかりそめのもの)で、その奥にある『心』にこそ真実がある、豊かな世界が広がっている」という思想にややもすると陥りがちになります。
 でもそれは、「子どもが障害を持っていることを否定したい、『普通』である部分を見つけたい」という、親御さんの「弱い部分」につけこむ思想であり、そういう考えかたに従ってしまうことは、結局、「目の前の子どものありのままから逃げてしまう」ということになってしまうのではないかと思います。


もう一つの「念力による療育」の柱となるのが、「暗示」とでも呼ぶべき働きかけです。
波動による働きかけは間脳にも直接届けることができるとされますから、「子どもが良くなる、障害は消える、言葉が出る」と心から信じて、子どもの間脳に波動を送れば(波動は、心から信じて念じたときにだけ出ることになっています。つまり、念力が出るか出ないかは、念じた人次第ということになっているわけです)、そのとおりのことが実現する、つまり「障害が消えてことばが出る」ことになります。これは、間脳を「奇跡の実現者=神」と位置づける以上、当然の働きかけで、要は「神に祈っている」ということになるわけです

長くなってきましたが、これでこの本の「療育理論」についてのストーリーについては、だいたいまとまりました。
残るは「自閉症の原因」についてのストーリーですが、続きは次回に回したいと思います。

(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 理論・知見 | 更新情報をチェックする
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