これは、PECSなどと同類のAAC(代替的・補助的コミュニケーション)技法の1つで、厳選された語彙に対してハンドサイン(手話)を割り当て、それを教えることで音声言語の苦手な自閉症児のコミュニケーションスキルを向上させようというアプローチです。(実際にはマカトン法はサインだけでなく、シンボルや音声言語も取り混ぜたより複合的なアプローチのようです)
マカトンサインは、特別支援学校などを中心に療育技法としてはけっこう大きな勢力を占めているようなのですが、サインそのものが公開されておらず、日本マカトン協会の主催するセミナーに参加して初めて資料が手に入ります。それらの情報には厳しい守秘義務が課せられており、転載や勉強会等も禁じられているらしく、Webなどを覗いてみても情報はほとんど手に入りません。(一部、サインを公開されているHPなどもありますが、恐らくオフィシャルに認められているところではないでしょう。また、最近本が出たようですが、こちらでもサインはごく一部しか紹介されていないようです。)
当ブログは、「オープンな療育環境の実現」を目指しておりますので、こういったタイプの、クローズドな療育技法を積極的に紹介・推進することはしません。(もちろん、だからと言って否定するものではなく、当ブログのScopeから外すというだけです。)
AAC的なアプローチということで言えば、絵カードを使った療育(ここでも「PECS」と言ってしまうと、微妙にクローズドなところが出てくるので、一般的技法としての「絵カード」と呼びます。(参考記事))のほうがオープンで情報も手に入りやすいので、当ブログではそちらの情報を発信しています。
なお、サインと絵カードを比較すると、サインは「いつでもできる(手はいつでもそこにある。絵カードはないかもしれない)」という点では優位ですが、「知っている人にしか通じない(一般の人にサインをして見せても理解不能。絵カードは誰にでもわかる)」という克服しがたい弱点があるので、どちらかといえばサインよりは絵カードのほうが、将来の自立に向けたAACとしては優れているように思います。
ただ、そうは言いながらも、我が家の娘が特別支援学校に通うようになって、そこで使われているマカトンサインを割とあっさりと覚えた(特定のセリフを言うときに、手が一緒に動いてサインをするようになった(笑))こともあって、サインを使うというのも、選択肢の1つとしては面白いのかも、とも思うようになりました。
ただ、先ほどから書いているように、マカトンサインそのものをここで紹介することは、知的所有権等の問題から、どうしても不可能です。
で、いろいろ調べてみたんですが、次のようなやりかたで、「マカトンっぽいサイン」(マカトンサインそのものじゃないです。ここを間違えると各方面に迷惑がかかるので、ご注意ください)を、もっとオープンな環境のもとに使うことができそうだ、ということが分かったので、掲載しておくことにします。
(1)マカトン・サインの、もしくは類似の「語彙リスト」を手に入れる。
これは、イギリスのマカトン協会のオンラインショップで無償で手に入れることができます。
http://www.makaton.org/khxc/gbu0-catshow/free.html
The Makaton Charity / Online Shop / Free Resources
こちらのページの最初にある無償リソース「Signs Word List」をダウンロードします。そうすると、英語ではありますが、マカトン・サインで使われる語彙のリストを入手することができます。基本的には、このリストの「CV(Core Vocabulary)」とされている単語が、「基本語彙」になってくると思われます。
もちろん、実際にマカトンサインを学ぶわけではないので、もし同様の「生活に必要最低限な基本語彙のリスト」があれば、そちらを使っても構わないと思います。
(2)日本手話の辞書を手に入れる。
マカトンサインは、手話をかなり取り入れて作られているらしいです。(詳しくは知りません)
まあ、仮に違っていたとしても、私たちが容易に知ることができるハンドサインといえば手話しかありませんし、何より手話はオープンなノウハウだというメリットがありますので、ここでは手話辞典を入手することにします。
例えば、この辺りなど。
(3)(1)と(2)を組み合わせて、オリジナルのサイン体系を作っていく。
療育という特別な目的のために厳選された(1)の語彙リストを参考にして、子どものために必要と思われるサイン(語彙)を、(2)の手話辞典から拾ってきて当てはめることで、オリジナルの「日本手話サイン体系」を作ることができます。
語彙数でいえば、(1)の語彙数<<(2)の語彙数という関係がありますから、仮に(1)に含まれない語彙を取り入れたい、と思ったときでも、すぐに(2)を参照して体系を拡張していくことができるという柔軟性もありますし、それによって構築された体系は単語レベルでは日本手話と互換性がある(手話には独自の「文法」がありますから、完全互換にはなりません)ので、手話を学んでいる人にはサインが通じるかもしれないというメリットもあります。
重要なことは、このやり方なら、公開されている情報のみからサイン体系を作るため、少なくとも守秘義務的なしばりからはまったく自由であり、このやり方で創作したオリジナルのサイン体系を、親の会などで共有したり、ブログで公開したりといったことが自由にできるはずだ、ということです。
もしかすると、有志によってネットに公開されたサイン体系が、語彙が整備されたり手の動きがブラッシュアップされて、誰もが自由にアクセスできる「オープンソースな療育用サイン体系」が生まれる、といった動きが出てくることもありえるかもしれません。
ネットというメディアの誕生によって、療育そのもののあり方もオープンかつフラット化していくんじゃないかと思いますし、そうなっていくべきなんじゃないだろうか、と個人的には思っています。
マカトンサイン、療育機関等でも数種類は日常的に使われていますね。
おしまいのサインは私もよく使います。
おしっこ(お手洗い)のサインは何故あのサインなのがいまだに疑問。待ってのサインはどうもサイン自体が好きになれず私は使いません。美味しい、とか歌、のサインはたまに使います。うちの場合はせいぜいこの程度です。
申し送れましたが、うちの子もそらまめちゃんと同じ今年支援学校の1年生になったばかりの女の子で知的は最重度、肢体不自由は中程度です。もちろん自閉的傾向があります。
マカトンはもう古いよ、とおっしゃる方も多いですが、療育機関や支援学校等で日常的に良く使われていて、自宅でも合わせて使うとすんなり通じることも多いですね。去年地域の保育所に入れていたときも、保育所の保育士さんたちが自ら療育施設に見学を希望され、その中で使っていたマカトンサインと言葉をセットで日々の保育に取り入れてくださり、子どもにとっても保育士の先生方にとってもとても効果的だったと聞いています。
そらまめパパさん、そらまめママさんのブログで、いつも勉強させて頂いて感謝しております☆
お忙しいとは思いますが、今後とも楽しみにしています♪
確かに手さえあればできる、いつでも、どこでもと思い、始めましたが、息子は模倣が苦手、私からサインを出しても、自分からは無理でした。「おしまい」「待って」のサインくらいは、わかってくれたかなぁ・・・視線が合えばでしたが。ノートに忘れないようにメモしてますが、今見ると判読不能です。(^_^;)
コメントありがとうございます。
マカトンサインは悪くないと思うのですが、守秘義務の縛りが強すぎて、多くの人にとって「見えない世界」になっていることが、家庭療育への普及を妨げてきた(いる)と感じています。
少なくともサインは全部公開して、いわゆるフェアユース的な使いかたへのしばりを緩めるべきだと個人的には思います。
もっと具体的にいえば、特別支援学校や療育施設がマカトンサインの一覧をコピーして配布したり、親子教室を開いてそのなかでマカトンサインの基礎を教えたりすることを解禁すべきなのではないでしょうか。
聞くところによると、マカトンサインは各国の手話を利用している(なので、国によってサインが異なり、異国では通じない。日本マカトンは日本手話がベース)らしいですが、だとすると、オープンなものを持ち込んで加工したものを、自らの知的所有物として権利主張していることになるわけで、なんだかなあ、という感じもします。
ともあれ、「語彙のリスト」があり、「その語彙に対応するハンドサインの情報=手話辞典」があれば、ハンドサインによる療育をオープンな環境で普及させていくことも不可能ではないでしょう。(単なる「ことばのリスト」に著作権があるとは考えにくいです)
ただ、やはり絵カードなどに比べると、ハンドサインはやや古いものになりつつあるという印象は否定できません。
ハンドサインそのものも(音声言語と同じく)抽象的なものですし、習得のためにはかなり高い動作模倣スキルも必要になりますから、絵カードのもつ「分かりやすさ(本人にも相手にも)」と「扱いやすさ(見て分かりやすく、持つ以外の微細運動も不要、動作模倣もほとんど不要)」と比べると「覚えにくく、伝わりにくい」という感は否めません。
やはり「本来、耳が不自由な方のため」の手話をベースにしたサイン言語と、「最初から自閉症児者のため」に開発された絵カードとでは、自閉症児者にとっては、後者のほうが優れた点が多いというのは自然なことであるように思われます。
ただ、施設や学校でのデファクトスタンダードになっていることをふまえると、ある程度マスターしておいたほうが子どもにとっても親にとってもそれなりのメリットはありそうだ、というくらいに考えています。
これについては、Linuxがその先例になるかと思いますが、そらパパさんが書いているとおり、ネットという素晴らしい環境を利用しない手はありません。公共財である福祉的なものは特にオープンソースになるべきだと私も考えています。知の体系が、個人によって作り上げられるという時代から、無数の市民の手により開発され、皆がフリーで享受できるという時代を我々は生きていると強く感じます。その意味でも、このブログがその場になればと希望します。我々は、古代のギリシャに戻っているとも思えます。開発者や協力者に与えられるのは、「名誉」だけで十分でしょう。
実際は、どちらかというと批判的立場です。
療育施設等で使っているので子どもが混乱しない程度に使っているって感じでしょうか。
療育施設にいた時は、うちの子には模倣は難しいし、マカトンサインじゃなくて、視覚的にすっと入りやすい絵カードを取り入れて欲しいと要望を出したけれど、なかなか取り入れていただけませんでした。こちらで絵カードを作って渡せばやってくれたのかも知れませんが・・・。
一時マカトンサインの具体的なサインを探したけれど、ネット上では見付けられなかったのは秘密主義のせいだったのですね。そんなの絶対変ですね。
支援学校では絵カードもたくさん使ってますね。マカトンサインより絵カードへ実践的な効果からどんどんシフトしていっていると感じました。就学前の療育施設の方が新しい方法へシフトするスピードが遅い?そこで子どもたちに関わっているスタッフの意識の違いがはっきり出るのかな?うちの子が通っていたところがたまたまそうだっただけなのかも知れませんが。
マカトンにそんな縛りがあったとは知らず、療育にかかわる者として恥ずかしく思いました。
今回の記事を読んでいて、どうしても気になったことが一つあったので初めてコメントさせていただきました。
『ハンドサイン(手話)』という記述がありましたが、そらパパさんもご存じのとおり、手話には独自の文法があり、一つの言語として確立しています。手話は『sign language』と訳されており、ハンドサインとは全く別物です。自閉症療育以外に聾教育の研究をする者として、どうしても気になってしまいました・・・。
今回の記事の内容を考えると、細かいことは気にしなければいいのに・・・と自分でも思いますが。
失礼を承知でコメントさせていただきました。
そらパパさんには到底及びませんが、今後もがんばっていきたいと思います。
コメントありがとうございます。
私自身は、療育技法をクローズドにすること自体を否定するつもりはなかったりします。
ただし、そういうことをやっているとこのネット時代、時代に取り残されますよ、そういうリスクを承知の上で「クローズド」を貫く覚悟があってやっていますか、ということは聞いてみたいな、というふうに思っています。
マカトンサイン自体は、「語彙リスト」と「ハンドサイン」があれば、同じようなものが作れます。
だとすれば「同じようなもので、オープンでフリーなもの」が登場したら、極めて厳しい競合状態におかれることは目に見えていますね。
そこに、マカトンはどういう「付加価値」を提案できるのか、もし「クローズド」にこだわるなら、その「付加価値」に徹底的にこだわらなければいけないだろうと思うわけです。
ぴよあひるさん、
ご指摘ありがとうございます。
そうですね、手話については十分に明るくないこともあって、やや軽率な言葉遣いになってしまったかもしれません。以後気をつけようと思います。
実は以前同じようなことを経験していて、私が「初音ミク」と「MikuMikuDance」というソフトを使って、手話ソングの動画を作ろうとしていたとき、やはり当事者の方から、「手話をよく知らない健常者があまり軽率なことをすべきではない」といった批判を受けました。
それで少し調べたときに、手話というのは単なるコミュニケーションの道具ということを超えて、ある種の「思想」「文化」になっていること、そしてそこにある種の「思想対立」「文化対立」も存在していることを知りました。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/111513617.html
ですので、「手話」というタームを出して何かを語るときには、細心の注意を払わなければならないなあ、とそのときも思ったわけです。
ですので、ご指摘いただいて助かりました。
これからも、よろしくお願いします。