単純な脳、複雑な「私」
著:池谷裕二
朝日出版社
第1章 脳は私のことをホントに理解しているのか
第2章 脳は空から心を眺めている
第3章 脳はゆらいで自由をつくりあげる
第4章 脳はノイズから生命を生み出す
池谷裕二氏は、私がいま一番注目している脳科学者です。
その理由は、以前池谷氏の別の本をレビューしたときにも書きましたが、彼が、脳を複雑系ととらえていて、その「複雑系らしさ」へのまなざしを死守しながら、何とか還元主義的な科学のフォーマットで研究していくという独特なスタンスをとっているからです。
脳科学者でありながら、還元主義者ではない。
そして、還元主義者ではないけれども、心身二元論者でもない。(むしろ、本書を読んでいくと、池谷氏が唯心論寄りであることが伺えます)
もちろん、還元主義の限界を見据えつつも、決して疑似科学に近づいていくことはない。
そういう池谷氏の科学者としてのスタンスに、私は強く共感します。
本書は、そんな池谷氏の視点から整理された脳科学の最新の研究成果が、母校の高校生たちに向けて噛み砕いて語られた、口語体の「講義録」です。だから、とても刺激的で、新鮮な驚きに満ちていて、しかもとても読みやすいです。
4章構成になっていますが、第1章と第2~4章は少し趣が異なり、第1章は全校生徒に向けた脳科学概論、そして第2章以降は、その講義を聞いて興味をもった少人数の高校生に向けた集中講義になっています。そのため、第2章以降のほうが、第1章よりも専門的で、やや歯ごたえのある内容になっています。
そして、おおざっぱに言うと、第2章は脳科学からみた「こころ」の正体について、第3章はいわゆる「自由意思」について、第4章は、複雑系としての脳(自己組織化、創発、ニューラルネット)について、語られています。

↑これは、第4章で、複雑系の「創発」のシミュレーションを解説しているところ。
第1章は「概論」ということで、もちろん話題としては脳科学を取り扱っているのですが、その実、池谷氏が語ろうとしていることは、「科学的なものの見方」、つまり「クリティカル・シンキング」の重要性についてなのではないか、と感じます。
いきなり冒頭に、「理系の人は文系の人より人差し指が短い」という研究についての話題が出てきます。サンプリングにも統計的処理にも問題はなく、形式的にはまったく正しい推論になっていますが、結論は妥当ではなさそうです。こういう過ちを、当の科学者さえもやってしまうことがあるわけです。
脳科学というのは、沈黙の臓器でありながら、素晴らしい知性を発揮する「脳」を対象としているだけに、実験の結果を勇み足で解釈してしまうリスクの高い学問だと思います。だからこそ、池谷氏は最初にこういう例を出すことで、「一般向けの脳科学」にはびこる「安易な解釈主義」にくぎを刺したのだと思います。
私たちはあらゆる事象に因果関係を見つけようとする傾向がありますが、本書では、その因果関係の判断(原因帰属)は実は相当いい加減なものである、ということが示されます。
私たちも、何か新しい療育の取り組みに挑戦したときに子どもに変化を感じると、ついつい「この方法で子どもがよくなった!」と簡単に結論を出してしまいがちですが、その結論はもしかすると(というか、恐らく実際には「けっこう高い確率で」)間違っているかもしれないわけですね。
また、これは1章ではなく3章になりますが、「生命とはなにか?」と聞かれて、「生命活動をしていること」あるいは「いつか死んでしまうもの」と答えた高校生に対して、「これだとトートロジー(同語反復)になってしまう」、「わかったつもりになっているだけで、厳しい言い方をすると、本当のところは何の進歩にもなっていない。(203ページ)」と指摘する場面があり、トートロジーを回避しながら、科学的に考えることの難しさの一端を垣間見せてくれます。
第2章以降では、脳と「こころ」、そしてこの2つを並べて考えると避けて通れなくなる「自由意思」の問題について、池谷氏の立場が語られます。
この辺りは、いわゆる「心の哲学」でも最もホットかつ難しい問題であり、池谷氏の主張がそのまま正しいという前提で読むべきではないでしょう。むしろ、まさに第1章で語られたような「クリティカル・シンキング」の思考回路を総動員させながら、最新の研究成果のなかから浮かび上がる「まったく新しい脳とこころの関係」について、じっくりと吟味しながら読み解いていくところに、本書の面白さがあると思います。
また、第3章の後半では、私たちが知覚する「時間」のイメージは、実は脳が能動的に(ところどころインチキしてつじつまを合わせながら)作り出している可能性が高い、ということが最新の研究成果をもとに示されます。驚くべきことに、視界の左側にあるものと右側にあるものが「同時に見えている」ということすら、脳が勝手にでっちあげている場合がある、というのです。
そのことを、池谷氏は、簡単なコンピュータシミュレーションで実際にその場で示してしまいます。脳が知覚する「同時性」があっさりと矛盾をさらけ出してしまった瞬間、その場の高校生は思わず、「どうしてだろう。未来が見えている。」と漏らします。
これは、本書の最も刺激的な場面の1つでしょう。私たちの「時間」に対する素朴な概念は、激しく揺さぶられるはずです。
こんな風に、本書は認知哲学的な視点からも、さまざま気づきに出会える本になっています。
自閉症児の親御さんにとっても、本書は、読んで得るところのある本なのではないでしょうか。
なぜなら、私たちが素朴に考える「こころ」とか「意識」とか「自由意思」とか「時間」といった概念がいかにあやふやなものであり、そういったものに安易に寄りかかって自閉症のことを語るのが危険であるか(そして、そういう「安易な自閉症論」にだまされないことがいかに大事か)ということを、改めて思い起こしてくれるからです。
自閉症について考える、というのは、脳とかこころといったことについて、先入観なしに深く考えることに通じます。
本書でも指摘されるとおり、「こころというのは脳のなかにひっそりと隠れていて、身体に指令を出して動かしているものである」といった「素朴な」こころ観は、恐らく間違っています。むしろ、「こころ」は「からだ」と密接に連携していて、「からだ」がとるさまざまな行動を自ら観察し、そこに「理由づけ」をするために生まれた(つまり、こころとからだ、どちらが先かと言えば、「からだ」が先で「こころ」が後である)と考えると、つじつまが合う部分が多くなるようです。
つまり、「行動で表現されていることとこころ(内面)が意図していることがまったく異なり、『内面』を引き出すとまったく別の知的な人格が現れる」なんていうことは、常識で考えても、哲学的に思索しても、脳科学の知見から推論しても、およそ考えにくいということです。(もちろん、後天的にからだがマヒしてしまった人に感情や思考がある、というのはあるでしょうが、その場合でも「行動では怒って暴れている」のに、「内面では哲学的なことを考えて冷静でいる」みたいなことは起こっていないわけです。)
・・・ちょっと脱線しましたが、本書で説かれている「脳」観は、私のイメージするところとも非常に近く、納得しながら(そして、驚きながら)どんどん読み進めていくことができました。
個人的に嬉しかったのは第4章で、この章では「複雑系としての脳」という考え方が分かりやすく解説されています。
単純化したニューラルネットのモデルを実際に使って、極めて単純なアルゴリズムから、複雑で生命を感じさせるようなふるまいが「創発」する様子からは、複雑系のしくみと面白さがよく伝わってきますし、ノイズやゆらぎによって、かえって微細な情報の検知力が向上するという不思議な現象には、私も感銘を受けました。
また、補講ではコホネンの自己組織化マップというニューラルネットを使って、やや専門的な学習アルゴリズムが紹介されているのですが、この「コホネンネット」というのは、実は私が卒論で使ったニューラルネットだったりします。
この章を読めば、複雑系ってどんなものか、ということがざっくりと分かると思いますし、「脳って典型的な複雑系なんだな」ということも、実感できるんじゃないかと思います。
池谷氏は以前にも、同様の企画(高校生向けに最新の研究成果を語る)を「進化しすぎた脳
値段も良心的ですし、脳科学や最新の科学に興味のある方にはぜひ読んでいただきたい1冊です。
※出版元に特集ページがありますので、そちらも参照ください。本書で紹介されているユニークな実験のいくつかを、動画等で実際に体験できます。
http://www.asahipress.com/brain/
※その他のブックレビューはこちら。