おとといの記事で、「福祉にはいくらでもお金をかけるべきだという考え方には賛成できない」と書きました。それに関連する話題です。
ちょっとネガティブなことを書いていますので、興味のない方は読み飛ばしてください。
療育に関連して、私にとって「違和感」を感じる議論の1つが、「アメリカではこんなに福祉が充実している」といった、海外諸国、特にアメリカとの福祉レベルの差についての比較に関する議論です。
確かに、アメリカには「すべての障害児のための教育法」(The Education for All Handicapped Children Act)というものがあり、すべての障害児が無料で適切な教育を受ける権利が保証されています。万一そういった権利が確保できない場合でも、訴訟によってそれを勝ち取るチャンスが十分にあり、そういった成功談が武勇伝のように紹介されます。
このこと自体は素晴らしいことです。
対して、日本はどちらかというと福祉切り捨ての動きが加速しており、先般可決され、4月から施行される「障害者自立支援法」も、タテマエはいろいろあっても、福祉予算削減のホンネが透けて見えます。社会格差を広げる、弱者切り捨ての動きが加速し、消費税を上げられない政治家がいよいよ切ってはいけない経費を切り始めてしまったという印象はぬぐえません。
ただ、それでも私は、日本の福祉政策を批判することはできても、アメリカの福祉の水準を崇め奉ることはどうしてもできません。
福祉にはカネがかかります。
残念ながら、福祉にコストをかけても、お金が増えて返ってくることは基本的にありません。だからこそ、福祉というのは市場原理に任せるのではなく、公共政策として政府がやらなければならないものなのだと思います。
しかし、その「政府」も、実は税金によって成り立っています。つまり、福祉というのは突き詰めていけば、我々の社会、もっと言えば国民1人1人が稼ぎ出した「富」の一部を再配分することによって運営されているのです。
税金でまかなわれている以上、そこにかけられるコストには自ずから限界があります。その限界とは、平均すれば、個々の国民が福祉政策のために支払っている税金と同額です。もちろん、企業その他から入る税金もありますが、これらも結局のところ、国民が生み出した「富」の一部ですから、全部ひっくるめて、国民1人あたり福祉のために負担している税額、と考えることができます。
この金額がそれほど大きくないことは容易に想像できますね。
福祉といっても障害児の療育だけに使われるわけではない(今後は、高齢者の介護のために使う割合も激増するでしょう)ですから、困っている人により多く分配するとしても、すべての自閉症児に専門家の先生がマンツーマンで療育をしてくれるだけの費用がまかなえるとは、ちょっと考えにくいです。お金は何もないところから沸いてくるわけではありません。
だとすれば、なぜそれがアメリカでは可能なのか?
理由はいろいろあると思いますが、もっとも単純な理由は、アメリカに世界中の富が集まっているからだ、と考えられます。
今の国際社会がアメリカを中心に回っていて、アメリカが世界唯一の超大国として世界のあらゆるルールを牛耳っていることは論を待ちません。それによって何が起こるかといえば、アメリカにとって有利なルールが作られ、世界中の富がアメリカに集まり、そこで配分されている、ということです。
そんな状態になれば、国家の税収も増え、福祉に使えるコストの「パイ」も大きくなり、結果としてマンツーマンの先生を含め、必要な福祉が必要なだけ、無料でつけてもらえるようになるのかもしれません。
でもそれは、アメリカという国の福祉政策が素晴らしいということではなく、本質的には、アメリカという国が他国の富まで「使い込んで」福祉政策を行なっているということに過ぎないのではないでしょうか。
私は、最高の福祉政策というのは、世界のあらゆる「困っている人」が救済される政策だと考えています。一部の富める国を基準にして福祉政策のあるべき姿を語るのは非常に危険だと思いますし、そこには国家レベルのエゴや搾取があると感じられてなりません。
そういう観点でいえば、いくら福祉切り捨ての方向があったとしても、今、この日本で受けられる福祉サービスでさえ、もっと貧しい国の実情と比べれば「過ぎたもの」かもしれないのです。
こういう話は、個々人の子どもへの療育とはあまり関係ないのかもしれません。
でも、自閉症児といえども社会の中の存在であることは間違いがなく、その社会がどこまでのことをしてくれるのか、あるいはすべきなのかを客観的に考えるためには必要な視点なのではないか、と思っています。
駄文失礼しました。
補足です。:
上記の文は、福祉サービスのコスト面での「取り分」の大小の議論に対する疑問を提示したものであり、アメリカの福祉政策を批判するものではまったくありません。
むしろ、自閉症児の療育という観点でいうと、やはり海外、特にアメリカにおける最新の研究結果や療育ノウハウのレベルは高く、それらを積極的に「盗んで」、私たちの療育に役立てていくことが重要だと感じています。
ヨーロッパの英語圏で3歳になる自閉症の娘を育てているものです。2ヶ月前に診断されたばかりで現在は情報をネットで集めたり、文献を読んでいるところなのですが、その一環でこちらにたどり着きました。大変緻密な分析等がなされていて、本当に勉強になります。日本語の文献がないため、英語で読み漁っているのですが、概念の違いとかすごく抽象的になると日本語のほうがはいってきやすく、参考にさせていただいてます。
アイルランドなのですが、先日、Current Issueを扱った番組でこの国の自閉症の療育についてを取り上げていて、やはり、首都意外は非常に限られたものしかないとか、現状を話されていたんですが、親御さん達のみで作り上げたAutism専門の学校の校長先生は「程度によるが、早期に発見し、早期からの療育を始めれば伸びる子は伸びるし、将来、施設で生活しなくてもいいレベルまでもっていける子も沢山いるので、政府はもっと、Pre-Schoolの子への療育に投資すべきだ。その何年かかの投資は大きいように見えて、将来的に見れば、安いものだ」と。おっしゃっていました。
アメリカも、TIME誌で取り上げられていたように、ここ何年かで自閉症の診断率というのでしょうか?診断される子供の数が急激に増えた国のひとつだそうで、そのことも関係して、将来のためにもお金をかけているのではないのかなあと思いました。
ちなみに、急激に増えた国としてTime誌に上がっていたのは、アメリカ、日本、イギリス、デンマーク、フランスでした。
すいません。長くて。またお邪魔させていただきます。
私も、早期からの療育の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはないと思います。
ただし、「早期療育」というのは、ロヴァース式の「早期集中介入」ではなくて(それが合うお子さんももちろんいるでしょうが)、むしろ幼い時期からの環境の構造化、子どもの混乱を防いでコミュニケーション力をじっくり育てていく療育が必要だと思います。
自閉症児の数が増えているのは、診断基準の広まりも大きいと思います。DSM-4などで基準が明確になって、行動面の障害だけから誰でも?自閉症を診断できるようになったことが、「発見」される子どもの数を増やしているということが大きいと思います。
日本に関していえば、そういう診断面の明確化と、非常に高い一歳半検診の受診率が影響していると思います。
これからもよろしくお願いします。
ちょっと誤解があるみたいで、書きました。
アメリカ在住のわたしとしては、記事に納得できません。
special educationを含めて、公立学校の教育費に関しては、世界の富があつまっているのではなく、固定資産税でなりたっています。うちのcountyは、州税5%、固定資産税は、全米top3にはいるところです。日本で言うと、サラリーマンでも比較的ローンを組みやすい価格の一軒やにすんでいますが、固定資産税は、今年は9000ドルです。で、固定資産税の80%が学校の教育費にあてられます。毛低資産税の安いとことは、同じcountyにも、あります。でも、そういうところにすむと、いい教育をうけれない、住宅価格も安い。という理論です。
一言で言えば、教育資本主義ですよね。
でも、うちは、息子のために今のところを買い、すんでいます。
ある意味、みなおなじ日本がうらやましいです。アメリカは、学校区がちがうと、すべてちがいます。ほんと、資本手芸です。ちなみに、学校ランキングもネットで、みれるし、それを基に、住宅を買っています。
コメントありがとうございます。
おっしゃっていることが事実だとしても、このエントリで当時書いたことの本質は変わらないと私は考えています。
なぜなら、政府の福祉のための原資が固定資産税であれ、他のものであれ、結局、世界の富が集まっているからこそ、「その税額」が定められ、その税額が納められているからです。
renconさんがおっしゃっているのは富の再配分の仕組みの話であって、それとは別の、富の総額の多寡というほうにこそ問題の本質があるんだと考えています。
Renconさんの、生活者としての感覚も、そらぱぱさんのご意見も、すごーくわかります。問題の本質としての軍配は、そらパパさんに上がると思います。でも、renconさんの指摘(補足)している、アメリカの中での格差も、負担感も間違いないものです。
私、アメリカ留学したくないです。いや、科学研究は、ほとんどの本場が確かにアメリカなんだ、なんだけど、学問の世界でも、アメリカは、人材・資金が{世界から}集まっているから、華やかなのであって、そこをはずれちゃうと、大外れ、臨床も同様なんです。
平たく言うと、大量移民のパワーに支えられつつ、富は局在しているんですね。支えている側が、その成果を享受しているかというと、かなり疑問。競争原理ってやつ。
先端医療も同じです。アメリカは、人工透析にシビアーですよ。みんなが手帳が取れて、70代の癌のあるお爺さんも透析が開始できる日本とは、比べられません。みんな、ドラッグラグばかりいうけど、新しい薬の開発に資金を注ぎ込む一方、老人・貧困者の医療は、実験まがいの手しかありません。
その国で生まれてくる{医療}と、わが国で実践される{医療}は、どうしても違ったお金の流れ方、特質になります。
アメリカを否定するわけではありません。世界の覇権を握ってしまった以上、こうなるしかないのでしょう。しかし、アメリカの得意とする批判的思考を常に頭において、行動を決定し、良いところを個人輸入するのが、得策だと思います。10年アメリカで研究してきた私の師匠は、お気楽な人ですが、そこがシッカリしているからこそ、また、アメリカ(の研究室)に重用されたのだと思います。
さて、現在注目しているのは中国です。この国のパワーもすごいものです。確実にねつ造は多いですが、アメリカも似たようなもの(だった)。知識層がアメリカに留学・移民してパワーの源となっていることも見逃せません。
あの国の自閉症療育含めた医療の在り方はどうなっていくのか…。医療・軍事の在り方は、税金・法律と一体となって、国の在り方を見せてくれます。
国はあると喧嘩しちゃうから厄介だけど、多様性を生んでくれて、面白いですね。
コメントありがとうございます。
この記事、なぜ書いたのかなあ、と思い起こしてみて、当時、一部の世界で「アメリカに移住して、充実した療育を勝ち取るのが最善の選択だ(日本に留まるのはそれより劣る選択だ)」的な議論を見かけて、それは違うんじゃないかなあ、と思ったのがきっかけだったことを思い出しました。
私は、日本の療育をとりまく環境は決して捨てたものではないし、その環境のなかで、家族が社会のリソースをうまく活用して療育に取り組むことができれば、それはお子さんにとっても十分に恵まれた療育環境たりえるはずだ、と考えています。
なので、実は「アメリカがいいか悪いか」にはあまり関心はなくて、「アメリカはよくて日本は劣る」という議論に対してこそ批判をしたかったんですね。
中国については詳しくありませんが、少し前に聞いた話だと、療育環境や社会の理解にはまだまだ厳しいものがあると聞きます。
経済が大きく成長するなかで、療育環境についても改善は進んでくるんだろうと思います。(問題は「その国でもっとも進んだ療育・理解」ではなくて「その国で一般的に受けられる療育・理解」の水準だろうと思っています。)
昔、アメリカ旅行に行った時の印象でしかないのですが「肢体不自由の成人男性を、街でよく見かけるな」というのと、ホームレスの人たちが「I'm cancer」と書かれた紙を掲げていたことが、大変、印象深く覚えています。
前者の「颯爽と電動車いすで疾走する姿」と後者の「あまりにも哀れな状態」の落差にも衝撃を受けました。
そして、アメリカでは負傷兵が退役軍人会として大きな力を持っていることを知りました。
全てを短絡的につなげてはいけないのでしょうが、アメリカの福祉は「一部の者にとっての福祉でしかない」のでは? と思った出来事です。
コメントありがとうございます。
(レス遅くなりました。)
支援にもいろいろなものがあって、障害があっても「支援」を受けることで裕福に生きられる人もいれば、まさに「貧困」にあえいで十分な「支援」が得られない人もいる、それはアメリカに限らず、日本でもそうだと思います。
また、(以前は多かったのですが最近はあまり聞かれなくなりましたが)「アメリカの療育は素晴らしい」みたいな話で出てくる「素晴らしい療育」は、まあ基本的には裕福な家庭の子どもが受けているそれだったりするわけですね。
貧困問題への対策については、アメリカはまったく褒められた国ではないとは思います。