七田式超右脳教育法で自閉症の子が良くなる!
七田 眞
KKロングセラーズ
このシリーズ記事、特にこの第3回目の記事以降では、上記の七田氏の本が「トンデモ本」であることを前提としつつも、この本が自閉症とその療育についてどのようなストーリーを語り、親がそのストーリーに従うことは自閉症児にとってどのような意味を持ちうるか、という観点からある程度本格的に読み解いてみようと思います。
その理由としては、まず本書が、トンデモなりに、自閉症の療育本としての最低限の構成をもっていることがあげられます。「中身」があるから「議論」ができるということです。
第2の理由として、七田氏が自閉症療育にも相当程度の影響力をもっており、かつ、実際に障害児教育に対して強い意欲を持っているらしい(本書の巻末の宣伝によると、平成2年より新たに「まこと会」という障害児教育専門のサークル?を設立したとのことですし、一般の「七田の教室」でも、自閉症児をかなり積極的に受け入れて七田理論による働きかけを行なっているという複数の話を聞いています)ことから、彼らのもつ自閉症療育観、療育理論について検討することには意味があるだろう、と思ったことがあります。
そして最後に、やや思い切った議論になりますが、自閉症の療育という観点からは、親を「その気」にさせて、子どもへの働きかけをおおよそ正しい方向に向けることができる「ストーリー」でありうるならば、それが仮に科学的根拠に乏しいものであったとしても一定の有益性を持つ可能性がありうる、という、私の考えかたがあります。
この最後のポイントについて少し詳しく説明することにします。
例えば、感覚統合療法というものがあります。
この療法のもつ「理論」は、実はあまり科学的ではないとされています。つまり、感覚統合『理論』は、仮説としてはあまりスジが良くないです。
でも、この感覚統合理論が主張するところの、感覚からの入力が脳で統合され、運動となって出力されるというシンプルな仮説モデルと、自閉症はその流れの機能不全であるから、感覚刺激を与えたり粗大運動の量をふやすなどの働きかけをするのがよい、という実践につながる「ストーリー」は、養育者にとって非常に分かりやすいものであり、子どもに対してどんな働きかけをしていけばいいのかについて、大ざっぱな方向としては「それなりに適切な」イメージを提供してくれます。
そして、そのような「ストーリー」に従って子どもへの働きかけを行なうことは、子どもにとっての環境や養育者との相互作用の量を増やし、また子どもにとって楽しい遊びの時間を増やす結果にもつながりますので、これまた療育の方向性としては「それなりに適切」であり、悪くないと考えることができます。
このように、感覚統合『療法』は、科学的厳密性には不十分さがあると言わざるを得ないものの、療育のフレームワーク、「養育者を方向づけるための仮説」としては一定の評価を与えてもいい、と考えられるわけです。
※ただし、理論として科学的根拠が強いわけではないので、例えばこの理論をどこかの特別支援学校が正式採用して、他の療育法を排除するような動きが出たとすれば、反対の立場をとる必要が出てくるとは思います。ここで言っているのは、親が子どもに実践すべきことのシンプルな道しるべたりうるような、「強制力のない浅い知識」としての「療育のフレームワーク」に限定されます。
一方、例えば「心の理論」について考えてみます。
認知心理学者によって提唱され、今ではかなり多くの人が自閉症を語るときに言及する「心の理論」障害仮説というのは、自閉症児者が心の理論(他人はこう考え、こう行動するだろうという、他人の「心」と「行動」との関係についての素朴な知識体系のことをいいます)を持っていない、あるいは不十分だという仮説です。
この仮説は、「心の理論とはこんなものである」という彼らの定義に従えば、構成概念としては科学的に「実証」されているといえます。
ただ、その仮説が脳の情報処理のレベルでいえば非常に高次のものであるために、「じゃあ心の理論をもたせるにはどうすればいいのか」という問に対する明確な方向性が見えてきません。実際、「心の理論を教える」という直截なトレーニングでは効果は薄いと考えられており、日々の療育に対しても具体的な答えを出してくれません。
つまり、「心の理論」仮説は、科学の手続きには乗っているものの、療育のフレームワークとしてはあまり役に立たないと判断せざるを得ないわけです。
(なお、自閉症の心の理論障害仮説についての私の批判的考察は、拙著「自閉症-「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育」に詳しいです。また、そこでの議論の一部は当ブログでも読むことができます。)
話題を戻して、今回の七田氏の本が述べているのは、自閉症についてのある仮説、言い換えれば「ストーリー」です。
そこには、自閉症という障害に対する障害モデルと、それに働きかけるための療育モデルが含まれています。
そして残念ながら、既に書いてきたとおり、その「ストーリー」は科学的裏づけには乏しいと判断せざるを得ません。この時点で、この「ストーリー」には既に相当の弱みがあります。
でも、その「科学的裏づけのなさ・弱さ」をあえて横において、この「ストーリー」をベースに親御さんが子どもを理解し、療育的働きかけを行なった場合に、それは親御さんやお子さんにとって有益な方向性をもつ可能性はあるのか(つまり、感覚統合『療法』と似たような意味で、療育フレームワークとして有益性があるのか)、それともないのか、ということを議論してみたいと思ったわけです。
この後は、そんな「あえて懐を深くとった」視点から、本書の語る自閉症とその療育についての「ストーリー」を、「親と子にとっての有益性」という観点から読み解いてみたいと思います。
(次回に続きます。)
いつも興味深く読ませて頂いております。
確かに、感覚統合「理論」は科学的根拠の乏しい怪しげなストーリーを展開してはいますが、そらパパさんが仰せのとおり療育のフレームワークとしての価値はあるように思います。
そこで薦められている実践事項が、子どもにタッチングというマッサージを施したり、ブランコやトランポリンを使用して体を動かしたり・・・と、恐らく体に害にはならず、親子共に精神的な負担にもならず
、少なくとも親子一緒に楽しい時間を過ごせる療育メニューを提供してくれることは
確かだからです。
ただ、それは相談時に保健師さんがよく言う「お子さんとたくさん触れ合って、遊んであげてください」的なアドバイスと結果的にあまり変わりないんじゃないかと、乱暴ですが、思ったりもします。
確かに、感覚統合は「ボディイメージ」を育むという観点からすれば、有効性があると思っていますが、そこから「感覚統合で自閉症がなんとかなる」みたいな大きな理論を展開して、商業ベースに乗っかってくると、嫌気がさしてきます。
七田式にしても・・・いくつか興味本位で読んでみましたが、その「ストーリー」をベースにした療育的?働きかけで、子どもにとって害がなく、むしろ有益な結果というか有意義な時間が過ごせるものなのか。
感覚統合理論以上に疑いを持ちました。
ただ・・・子どもに絶望して、放置したり虐待したりという事態になるよりは、可能性を信じて向き合おうとするようになるかもという点で、ましなのかもしれません。
続きも楽しみにしております。
長文で失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
まだ記事は続きますので詳細は書きませんが、もちろん、七田式の「有効性」については、これから相当に批判的な視点から検討することになります。
残念なことですが、いま、すべての自閉症児やその親御さんに、最高水準の療育が提供される現状にはありません。
そんな現状においては、「最高」ではなくても、「そこそこ」のものであれば、提供されないよりはされたほうがいいだろう、といった位置づけの「療育」も、ある種の「必要悪」的なものとして居場所がありうるわけです。
「七田式」が、そういう意味で「あってもいい」ものであるかどうか、この後の記事で吟味していきたいと思っています。
よろしくお願いします。