言葉よりずっと大切なもの-自閉症と闘いぬいた母の手記
著:ジェニー・マッカーシー
WAVE出版
久しぶりにこのセリフを。
こ れ は ひ ど い
この本の内容を一言でいえば、自閉症児の母親の手記という形をとった「サプリメント系療法の推奨本」です。
著者はいろいろな療育法を試みるわけですけど、最終的な結論としては「GFCFダイエットとサプリメントによるイースト菌の排出で自閉症児がよくなった」ということになっているようです。
なので、簡単にまとめてしまえば、「ああ、よくある代替療法のエピソード本ね」で終わってしまうわけですけど、それ以外にもいろいろ考えさせられるところがありました(なので、立ち読みレビューを書いてみようと思ったわけです)。
実は先ほど「GFCF・サプリ療法の本だ」と書きましたけど、ほんの少し立ち読みしただけだと、そう見えないかもしれません。むしろ、第一印象としては「ABAの早期集中介入を推奨する本」に見える可能性のほうが高いのではないでしょうか。
実際、この本の売上の一部は、UCLA?の自閉症療育プログラムかなにかに寄付されるそうです。
著者は、ABAの早期集中介入を強く支持しながら、同時に、GFCFダイエットやサプリメント療法に熱を上げている、そういう人なのです。それだけではなく、お決まりのワクチン悪玉説、水銀キレーションも登場し、「ワクチンのせいで自閉症になった」とも示唆しています。
そして、本のサブタイトルに「自閉症と闘いぬいた母の手記(原副題は「A Mother's Journey in Healing Autism」)」とあり、本文の中では繰り返し「窓を開く」という表現が出てくることでも分かるとおり、本書は、自閉症を闘うべき「モンスター」とみなし、それを倒せば「窓が開き」「その奥に隠れていた本来の子どもが帰ってくる」と考えるような、ある種の典型的なスタンスをとっています。
ですから、著者はいろいろな療法にチャレンジしてはいますが、あるがままの子どもを受け入れて環境を整備するような方向のものには目もくれず、逆に子どもを具体的に改変して、現状と違うものに作り変えていくような、そういうものには科学的妥当性のチェックなしにのめりこんでいきます。
そういった中で著者の「おめがね」にかなったのが、ABAであり、GFCFダイエットやサプリメント療法であり、キレーションだ、というわけです。
そして、「親は、子どものためにあらゆる手を尽くす(やっていることがずいぶん偏っていて、私には全然そうは見えないのですが)のが素晴らしいんだ」という精神論で終わります。(かのクリスタル・チルドレン説も登場しますよ)
なんかこの話の展開、ものすごい既視感があるなあ、と思ったら、あの有名な「我が子よ、声を聞かせて」でした。あの本の著者も、ABAの早期集中介入と同じくらい熱心に「抱っこ法」と「薬物療法」にハマり、自閉症をモンスター扱いして徹底的に倒そうとしているわけで、こういう強烈な「統制感の幻想(万能感の錯覚)」的なものは、もしかするとある種のアメリカ人のメンタリティなのかもしれないなあ、と思ったりもします。(別の関連記事)
ABAっていうのは、「科学的な人」をひきつけているように見えて、実は「統制感の幻想を持ちたい人」(科学的かどうかなんてどうでもいい)をひきつけているケースも多々ある、ということを、改めて感じます。特に「早期集中介入」的なものは、そういうケースが少なくないのかもしれません。
でも、この世の中の相当部分は、実際には「どうにもならない(uncontrollable)こと」であり、それを「どうにもならない」という状態のままで受け入れ、そこに足場を作って、いまいる場所を直視する、その上で、できる(controllable)ことに地道に取り組むという覚悟、それも、自閉症児をもつ親御さんに必要な「強さ」だと、私は思います。(この本ではそういう「地に足のついた」親は非難の対象になっていて、「何でもやみくもに手を出す」ことが強く推奨されていますが)
ちなみにこの本の著者のジェニー・マッカーシーは、この本よりもっと露骨な代替療法の本も書いているようです。
http://www.amazon.com/dp/0525951032/
また、こんな記事もありました。
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20090202
世界最大の自閉症チャリティ団体(Autism Speaks)の取締役Alison Singerが自閉症の原因がワクチンかどうかを巡る見解の相違により辞任。(中略)さらに彼女は自分の息子がワクチンのせいで自閉症になってしかも治ったと主張する女優Jenny McCarthyを批判している。私たちは女優の言うことではなく専門家の話を聞くべきだ。
それはさておき、ちょっと看過できないのは、本書のあとがきを、「自閉っ子、こういう風にできてます!」で有名な花風社の浅見氏が書いていて、しかもその内容が本書の内容や著者の取り組みを明確に支持するものだということです。
「医者は自閉症は治らないというけれども、それでも諦めずに自閉症は治るということを信じた母親が、最終的にGFCFダイエット等に独力でたどりついて、そのおかげで大きく改善した」みたいなことをあとがきで書いているんですが、これじゃすっかり正統医療否定・代替医療推進のメッセージですよね。
うーん、浅見氏といえばそれなりに影響力もある人なのに、こんなあとがきを書いて「広告塔」になっちゃっていいのかなあ。
どうも、「続・自閉っ子、こういう風にできてます!」や「続々」での感覚統合「理論」へのこだわりといい、浅見氏は、療育的働きかけが「科学的かどうか」ということはあまり重視しない方なのかな、という印象です。
ちなみに、GFCFダイエットについての統制実験の結果等については下記が参考になります。統計的に有意な結果が出ていないようですし、子どもの骨を弱くする副作用があるともされているようです。
http://www.synapse.ne.jp/shinji/jyajya/abstract2006/elder3-23.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Gluten-free,_casein-free_diet
※代替療法、医療まがい行為についての私の考えかたについては、こちらの記事も参照ください。
※その他のブックレビューはこちら。
http://snowmania7.blog38.fc2.com/blog-entry-8.html
それにしても浅見氏はまずい方向にすすんでいますね。
[AFSSA](フランス食品安全庁)自閉症児のグルテン及びカゼイン除去食の有効性と安全性
http://www.afssa.fr/Documents/NUT-Ra-Autisme.pdf
フランス語
対照群と比べて特に違いはない、但し除去食で生活するということは普通の食生活とは相当異なることに注意すべき、と結論しているようだ(フランス語なので自信なし)。
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/searchdiary?word=%2a%5bAFSSA%5d
Harvard Mental Health Letter June 2009 食事とADHD
注意欠陥多動(ADHD)の子どもの行動や認知機能に食事だけが原因であることはありそうにない。しかしながらある種の食品や添加物がADHDの子どもに影響するのではないかという関心は新しい研究により更新されている。ほぼ全ての加工食品や多くの野菜などを除去するファインゴールドダイエットのような過激な食事療法がADHDの子どもに有効であるという根拠はない。関心の高い食事介入についての簡単なレビューを提供する
・着色料と添加物
自分の息子(5-7才)は砂糖過敏症だと信じている35組の母子を対象にした試験で、研究者は子どもたちが砂糖群とアスパルテーム群に無作為にわりつけられると母親に話したが、実際には全ての子どもに与えたのはアスパルテームだけだった。この実験で自分の子どもには砂糖が与えられたと考えた母親は子どもの行動が多動になったと報告した、という有名な実験がある。保護者の期待が行動評価に影響することを指摘。
微量栄養素
ビタミンやミネラルは欠乏症の子どもに与えると効果があるが、ADHDの子どもに役立つという根拠はない
・保護者はどうすべきか?
食事療法やサプリメントにはあまり根拠はない。バランスの取れた食生活と運動を勧める。
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20090604
コメントありがとうございます。
自閉症と「闘う」というフレーズは、子どもの障害を受け入れがたい親にとっては、つい取りたくなる態度なのかもしれませんが、最終的に当人や家族にとっての幸福につながる考えかたではないと思っています。「闘う」というのは、言い方を変えると「いまのあるがままの姿を否定する」ということでもあるわけですから。
さまざまな体調不良があるのに、それをうまく周囲に伝えたり自分で解決できないことがあって、それを解決すると状態がよくなる、ということはもちろんあると思いますが、だからといってそれが「自閉症そのものを治している」ことにはならないだろうと思います。
ちなみに、ある物質を「悪者」にしようと思えば、いくらでもできるということは、「DHMOに反対しよう」という面白い話がありますので、そちらをご覧ください。
http://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/Nis/etc/DHMO.html
これの最後のネタばらしを外して、代わりに「DHMOフリーで生活しよう」と言えば、新しい代替療法のできあがりです。(そんなことをしたら死んでしまいますが(笑))
また、「奇跡の詩人」問題については、とりあえずWikipediaあたりからたどると、いろいろな情報を見ることができますよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA
ベムさん、
この本、近所の大型書店では「自閉症コーナー」と「障害者教育」コーナー、2箇所で平積みになっていて気持ちが滅入るのですが、ジェニー・マッカーシーの夫はジム・キャリーだったんですね。
個人的に、映画「トゥルーマン・ショー」が大好きで、ジム・キャリーは嫌いでない俳優なので、ちょっと残念ではあります。
これは想像ですが、浅見氏はニキさん他との交流のなかで、「自閉症とは、身体の問題だ」というインスピレーションを持ち、そちらの方面へまっしぐらに進んでいるのではないかと思われます。なので、身体に強く着目する(あまり科学的でない)感覚統合「理論」にハマり、消化や代謝に注目する(科学的にはほぼ根拠のない)GFCFダイエットやキレーションにも共感してしまうのではないでしょうか。
私は、自閉症と「身体の問題」については、あえて言うならば前者が原因で後者が結果であると考えていますが、これを逆だと考えてしまうと、身体改造系のトンデモ療法へのインセンティブが非常に強まってしまうことは間違いないでしょう。
浅見氏は自閉症や発達障害をビジネスにつなげていくセンスは抜群ですが、科学的センスについては微妙な方であるように感じられます。
ヒゲ達磨さん、
情報ありがとうございます。
もちろん、こういったものに科学的根拠が薄いまたはない、という情報は容易に集まります。
問題は、そういったものがあっても、相変わらずこうったものが一定の勢力をもって広がり、影響力のある人まで巻き込んである種の「市民権」を得てしまうことがしばしばある、ということですね。
障害者、ASアスペルガーと自覚して1年余りの新参者でよくしらないのですが、こうした身体改造系やスピリチュアル系の「療法」は、成人ASにも有効と謳ってあるのですか?原理的には有効だとなっていると思うのですが?
もし、そうなら、成人ASの治験ボランティアを三桁の数募って、二重盲検や前向きコホートで調べれば、BMI・確かな医学的根拠で通用する結果が得られると考えるのです。
FCが有効なら、私、自分の考えをまとめて文章にするのが遅いので、誰か他人が居ればすらすら文章が出てくるというのなら非常に助かるのですがね、有効性が一発で判定できますよ。
自分の勉強不足を棚に上げて物言うようですが、成人ASで身体改造系やスピリチュアル系の「療法」でよくなったという話聞かないのですけどね。
確か、米国のNIHには代替医療の評価部門があって、「有害」「無効」「場合によっては有効」といった評価をつけて、冊子を作成、頒布しているそうです。医療費が高いから、代替医療の需要が多いかららしいですが。
こういった代替療法というのは、一般的には実験によって検証されないように「保険」がかけてあります。
たとえば、クリスタル・チルドレンに代表されるようなスピリチュアル系の自閉症論では、「子どもの頃、ことばが話せない頃に持っている超能力を、大人になりことばが話せるようになるにつれて失ってしまう」といった「設定」がなされます。
それ以外でも一般的に、自閉症への療育法は「子どもが幼いほど有効で、○○歳を過ぎると効果が期待できません」といった「年齢制限」があります。
(その「年齢制限」は、一般に、子どもが、ほうっておいてもぐんぐん伸びる時期と重なっていることを見逃してはいけないと思いますが。)
また、FCについては、「信じるものだけ救われる」ではないですが、「疑念が波動を乱してしまう」「疑念により集中できなくなる」といった「念力理論」によって、「ビリーバーだけの集まりでなければ能力が発揮できない」という「設定」がなされ、否定することを前提とした実験は無意味だ、と主張されます。(その場の全員が「信じること」が重要だということから、二重盲検法という技法自体も否定されます)
こういった「保険」をかけつつ、ビリーバー集団内で「うまくいった」という成果を次々と作っていくことで、代替療法は「科学的に証明された」という衣を身にまとい続けるわけです。
※GFCFダイエットは、検証できますね。こういった療法の場合は、どんなに否定的な結果が出ても、自分たちで肯定的な結果を大量生産し、本やネットで宣伝を続けることで「量で圧倒する」手法がとられます。
また、ホメオパシーのように、プラセボを販売して、プラセボ効果を徹底して宣伝するやりかたは、代替療法としては最も巧妙かもしれません。(害がないので否定しにくいので)
直接関係ないかも知れませんが、鍼灸についてはどうお考えですか。
WHOも効能を認めており(自閉症は残念ながら認められた効能の中にありませんが)、実際西洋医学では治りきらなかった子どもの滲出性中耳炎が、鍼灸で治った(もちろん、医者に診せて治ったことを確認)経験があるので、そらパパさんの境目はどのあたりにあるのかなと思い、お伺いした次第です。
いただいたご質問は、私自身がテストされているような感じで、ちょっと引っかかる感がありますが、お答えするならば、私は鍼灸も基本的には疑似科学だと思っています。
つまり、「自閉症に効く鍼灸」というのがあったとしても、それには優先的にリソースを割り当てないだろう(つまり相手にしない)、という意味です。
私は別に個々の療育法の真偽を判定したいわけではなくて、療育として再現性ないし検証可能性があるかということを評価しているに過ぎません。
FCについても、あらゆるFCがすべて無意味だと断言しているわけではなく、以前も書きましたけど、ABAでいうプロンプトをやっているだけで、すぐに自分で文章が書けるようになるケースもあるかもしれません。
ただ、東田さんの「ストーリー」については、常識で考えるとありえないといわざるを得ませんし、私以外の他の方の「療育リソースの割り当て方」に大きな影響を与えかねない事態になっているので、「公共の利益」を考えて、発言させていただいている次第です。
私の食品販売の商売で言えば、代替療法と関連本は健康食品と本はバイブル本が相当します。これには薬事法と不当景品類及び不当表示防止法第4条の優良誤認、不実証広告規制が関係します。これらの考えを、要約すると
受け手である一般消費者に「著しく優良」と認識され、商品・サービスの選択に影響を与えるのなら、以下のような合理的根拠が示されなければ、「実際よりも著しく優良であると示す」又は「事実に相違して当該商品・サービスと競争関係にある他のものよりも著しく優良であると示す」、優良誤認による景品法違反となります。
①試験・調査や専門家、専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献により客観的に実証された内容の合理的な根拠を示す資料
②表示された効果と資料によって実証された内容が適切に対応していること
様々な健康食品が持ち込まれますが、これら健康食品を販売するなら、私のような小売販売者には試験・調査などを独自に実施することは求められませんが、「製造業者等が行った実証試験・調査等に係るデータ等が存在するかどうか及びその試験方法・結果の客観性等の確認」を自ら行うことが求められています。これを怠れば、私は損害賠償などを免れることができません。
私はパンフレットなどの記載から外観的チェックをします。これは、公正取引委員会の不実証広告規制に関する指針に拠ります。http://www.jftc.go.jp/keihyo/files/3/4jou.html
まず、最も多い消費者の体験談やモニターの意見等を表示の裏付けとなる根拠にしている場合は、①以下の場合は即却下 ア、従業員又はその家族等、販売する商品・サービスに利害関係を有するものの体験談によるもの、イ、 「積極的に体験談を送付してくる利用者は、一般に、商品・サービスの効果、性能に著しく心理的な感銘を受けていることが予想され、その意見は、主観的なものとなりがちなところ、体験談を送付しなかった利用者の意見を調査することなく、一部の利用者から寄せられた体験談のみをサンプル母体とする調査は、無作為なサンプル抽出がなされた統計的に客観性が確保されたものとはいえず、客観的に実証されたものとは認められない。」②それ以外では、 無作為抽出法で相当数のサンプルを選定し、作為が生じないように考慮して行うなど、統計的に客観性が十分に確保されていること。
試験・調査を行った場合、③利害関係のない第三者(例えば、国公立の試験研究機関等の公的機関等)が実施した場合には、客観的なものと評価してよい。④自社など第三者でない場合は、関連する学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法によれば客観的と評価可能。
問題は⑤自社で、独自の試験方法で行っている場合です。公取委の指針ではそれが「社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法が具体的にどのようなものかについては、表示の内容、商品・サービスの特性、関連分野の専門家が妥当と判断するか否か等を総合的に勘案して判断する。 」ですから、十分な判断能力がないので、私はこうした品物は扱いません。
印象ですが、⑤自社で、独自の試験方法で行っているものは、波動など検証不可能な効能の理論的枠組みと①の体験談、それと非常に高い利益率(暴利)が4点セットです。効能と体験談で欲望を刺激し、理論的枠組みと独自の試験方法の結果で欲望充足を自己正当化するヘ理屈を与え、それを消費者に信じさせ買わせようとする販売店のモチベーションを暴利で確保するという販売構造です。私は「口先(三寸)商品」、売る方も買う方も「イワシ頭」(イワシの頭も信心から)といっています。食品では、痩身(ダイエット)と花粉症・アレルギーとアンチ・エイジング(抗加齢)で、手を変え品を変え出ています。
そらパパさんの書き込みを見ますと、自閉症でも同じのようですね。健康食品では購入者と使用者は概ね同じですから、表現は悪いですが、自業自得という面もありますが、自閉症の代替療法では購入者は親で、自閉症の子供に施される。森永砒素ミルク事件で「私がオッパイ(母乳)を十分出していれば(砒素ミルクを)飲まないで済んだのに!」と亡くなるまで後悔し、謝り続けたというエピソードが頭をよぎります。
自閉症者側から見れば、2重人格者=親が求める理想の子供と自閉行動を起こす子供=扱いされ、本来の自閉症の自分は拒絶されるわけで、さぞや切なく悲しく居た堪れない思いではないでしょうか。コレ、一種の虐待だと思います。また成人ASで比較的に社会適応している場合は、幼少からそのままの自分を親から肯定される情緒的に肯定される、生きているだけで十分だという親の思いを受けてきた体験をしていると当事者の集まりなどの話から考えています。これから推測するに本来の自閉症の自分を拒絶される幼少、学童期の体験は、青年期、成人してからの自閉症者に良い影響を与えるとは思えません。
また、健康食品の訪問販売や通信販売では購入者リストをもとにDMなどを送りつけ同じ人に、次々と別の商品を買わせ、身包み剥ごうとしますが、自閉症の代替療法でも同じではないですか?
代替療法の問題について、さまざまな視点からご指摘いただきました。
基本的にはすべて、ご指摘のとおりだと思います。自閉症においても、他の「健康食品」「難病への特効薬」などと同様、詐欺的なテクニックを駆使して、困っている善意の人を食い物にするような代替療法が、非常に多く存在しているのが現状だと理解しています。
(そういう人たちにとって、コンプライアンスなんてものが存在するわけもないですし・・・)
ちなみに、ご指摘いただいたポイントのいくつかは、過去のエントリで議論されたことがあります。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/9072951.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/9325910.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/21176696.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/25397988.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/32661885.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/82634096.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/110130045.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/111078158.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/120716661.html
よろしければご参考にどうぞ。
コメント欄でのやりとりにも、多くのエントリで興味深いものが残っておりますので、ぜひご覧ください。
回答を頂きありがとうございます。テストしているつもりはありません。好奇心と言っては失礼ですが、療育への個々人の価値観が異なることから、そらパパさんの境目をお伺いしてみたくなったのです。
>再現性ないし検証可能性があるかということを評価している
最近チラチラと頭に浮かぶことですが、療育という営み自体が、日々刻々育ちゆく子ども達にとって一期一会のものであり、定量的な評価ができるものなのか、という疑問が浮かびます。
A君に4歳で効果があったやり方が、B君では3歳で効果があった。では、その逆にやったらどうだったのかは、永遠に検証できないと思います。
再現性は実験レベルの、検証可能性は個人レベルの話を言っているつもりです。
つまり、統制された「多数を対象にした」実験によって、一定の効果が上がることが確認できる「再現性」があることと、それを自分の子どもに適用した場合に、効果があるかないかが検証できる(うまくいかなかったら「信じる力が足りないから」などと内面の概念で説明されたりしない)という「検証可能性」があること、この2つに注目するということをイメージしています。
再現性と検証可能性の定義はわかりましたし、検証可能性の方は納得しましたが、では再現性の方のラインはどうなのでしょうか。
統制された多数を対象として、全員に改善効果が上がらないものはダメ出しされてしまうのでしょうか?
8割程度に改善効果があれば良しとされるのでしょうか?
前者であれば、かなり範囲が限定されますし、後者であれば結局検証してみないとわからない、ということになりますよね。
世の中に100%ということはなく、ほとんど後者に属することが多くなると思いますが、そうすると前回書いた「一期一会」問題に戻ってしまうような気がするのですが。
再現性とは、
実験Aでは3割の方に改善が見られたとします。
同じ条件で集められた別の被験者群Bに対して同じ療法イを実験Aと同じやり方で実施する実験Bで、改善が3割程度みられたら「再現性がある」、1割程度や5割程度なら「再現性がない」と言うのではないでしょうか。療法イの改善の見られた割合でいうものではないと思います。
もちろん、再現性がある、というのは、「すべての対象児に効く」ということともイコールではなく、「何割の子どもに効く」ということともイコールではありません。
実験群と統制群を比較して、統計的に有意な差があることを繰り返し確認できる、というのが「再現性がある」ことの意味です。
その際、何割に効いた、という「実験の結果」(これには誤差が含まれることが大前提です)には統計的な処理が施され、「効果があると結論できる」と変換されます。また、療育的働きかけにとって「年齢」はもちろん重要なファクターですから、実験の際には説明変数に組み込まれるのが普通だと思います。
ここまでが「再現性」の議論で、ここで出てくる結論は「一般論として、効果がありそうだ」ということです。
そこで、そのやり方を実際に自分の子どもに適用して、「自分の子どもに効果があるか」を検証します。その効果が比較的短期間で実際に確認できるかどうかが「検証可能性」であって、効果があれば続けて、効果がなければやめればいいわけです。(もちろん、子どもは放っておいても伸びていくので、厳密には効いたかどうかは測定できませんが、例えば絵カードを使わせたら1週間で楽しく使うようになった、という結果があれば、「続けよう」という判断を下すことは運用上は可能ですね。そういうわかりやすさまで含めて、「検証可能性」と呼んでいるわけです。)
再現性と検証可能性のある技法なら、一般論としての有効性はいつでも確認できますし、気になった技法を自分の子どもに試すこともいつでも何度でもできるわけですから、「一期一会」ということはないのではないでしょうか。
「一期一会的でない療育(いつでも、何歳からでも思い立ったときに取り組めて、短期間で効果が検証できる)」というのも、当ブログが目指す療育の姿の1つの要素です。
再現性のない他の人のエピソードは、自分に(あるいは自分の子どもに)とっては、何の役にも立ちません。同様に、効果があるとされる技法でも、自分の子どもに適用して「効果がない」のであれば、少なくともその時点においては、自分にとっては無意味です。ですからこのブログでは、単なるエピソードとして「効いた」と語られる話題には関心を寄せませんし、逆に定評のある技法でも「必ず効きます」という風には書かないようにしています。
ちなみに、この辺りの問題意識は、「科学哲学」が扱っている領域ともつながっています。
科学哲学では、「科学的であること」とはどういうことか、「実験」「観察」「因果関係」とはどういう意味をもっているのか、科学と疑似科学との境界はどこにあるのか(まさに今回のコメントでいただいた疑問)といったことが主要なテーマであり、比較的分かりやすい議論が展開される哲学ジャンルだと言えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%93%B2%E5%AD%A6
科学哲学(Wikipedia)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4140910224?ie=UTF8&tag=danchanseikou-22
科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4815804532?ie=UTF8&tag=danchanseikou-22
疑似科学と科学の哲学
ちなみに、なぜ私が「科学と疑似科学の境界線のテスト」に「引っかかる」のかというと、この「線引き問題」は科学哲学の典型的難問の1つで、徹底的に議論すると「境界線など引けない」(科学と疑似科学はきれいに分けられない)という結論になることがほぼ確定しているからです。
この線引き問題で徹底追及されると、私はほぼ確実に議論に負けるでしょう。追求する側が圧倒的に有利な議論なわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%91%E4%BC%BC%E7%A7%91%E5%AD%A6#.E7.A7.91.E5.AD.A6.E3.81.A8.E7.96.91.E4.BC.BC.E7.A7.91.E5.AD.A6.E3.81.AE.E5.A2.83.E7.95.8C.E7.B7.9A
そういう「線引きの不可能性」をベースに、私が自閉症療育に対してとっている基本的なスタンスは、既にABAやTEACCH、絵カードといった、オープンで十分信頼できる合理的な技法が存在するので、あまたある「疑義のある」代替療法については、「線引き問題」を厳格なほうにとらえて、よほど有望なものでないかぎり自分や家族のリソースを振り分けない、というものです。上記の3大技法で既に「やるべきこと」はいっぱいなので、あえてそれより「疑義のある」技法に時間やお金をかける必要性がない、という考えかたです。
自分は法学部の出身で、この手の科学とは無縁で来たため、そもそもそらパパさんを引っかける素養がありません(笑)。そういえば、友人にそらパパさんの先輩がいて、スケートのビデオを見せられた前後に、ケンダマをやる実験(ビデオを見る前と後でデキが変わるか)の被験者になったことはありますが。
今回、療育全般を鳥瞰した上で、そらパパさんのスタンスを端的に示して頂いたことで、初めて元記事の論調を納得した次第です。
ここに来られる方は、心理学に詳しい方が多いようですが、自閉症の子を持つ親が皆そのようなことはないわけで、こちらの与える影響力に鑑み、私みたいな者がアホな質問をすることにも意義があると思っております。
ヒゲ達磨さんも、ありがとうございました。
恐らく、「自閉症の療育の妥当性、効果を評価する」というのは、本質的に極めて困難なテーマなんだろうと思います。
そもそも自閉症の原因がわかっていないこと、行動的に定義されている症状さえあいまいであること、極めて多彩な自閉症スペクトラムを形成していること、「発達」障害であり、放っておいても伸びる側面があるだけでなく、「発達」そのものも解明されていないところだらけであること、コミュニケーションの障害であるため、働きかけそのものが難しく、かつ、その効果を確認する方法にも乏しいこと、そして究極的にいえば、どうやらその「障害」の本質は、「目に見えない内面」に何らかの概念をおかなければ説明できそうになく、でもそれをやってしまうと、その概念を外から観察することができないという矛盾に陥ること、などなど・・・
思いつくままにあげましたが、自閉症の療育を正当に評価することの難しさは、いくら語っても語りつくせないかもしれません。
そんななかで、数少ない「評価ツール」が科学の方法論、「クリティカルシンキング」であろうと思います。
クリティカルシンキングを身につける方法はいろいろありますが、科学哲学を学ぶことも、その1つの道だと考えているわけです。