それは、療育の「効率」をどう高めていけばいいのか、という問題意識が、私の頭の中のかなり大きな部分を占めている、ということです。
その問題意識の端緒は、まず、いわゆるロヴァース式の早期集中介入への違和感として(私の意識の中に)現れてきました。
子どもが自閉症だと分かって夢中で「治療」法を探す親の典型的な行動パターンだと思いますが、私も、かなり早い段階で早期集中介入というテクニックの存在を知り、そこで語られている素晴らしい成果に目を見張りました。
それでも、私の直感は、この療育法に対して、何か「変」だ、と感じずにはいられませんでした。そして、結局、私は娘の療育には早期集中介入の手法を取らないことに決めました。
私が変だと思ったのは、いかがわしいとか信用できないとか、そういうことではありません。
どちらかというと、普段の仕事でのビジネス感覚の延長で、「この方法論を是(良し)とするのは、違うんじゃないか?」と思ったのです。
早期集中介入においては、その「集中」の文字が表すとおり、幼い子どもに対して膨大な量のトレーニングをすること、それ自体が最大の独自性となっています。
自閉症児に行動療法をやるなら、幼い時期に、週40時間というサラリーマンの法定労働時間にも相当する長いトレーニングを2年間継続しなければ効果が十分に出ない、というのが早期集中介入の主張するところです。
ぶっちゃけた話、早期集中介入というのは「急いでたくさんやれば自閉症が治ります。たくさんやらなかったり遅くからやると治りません」と主張している療法だと言えます。
ある意味、とても分かりやすいです。
しかし、「療育法」(方法論)として考えたとき、この主張にはちょっと変だな?と思う部分があるのです。
次のようなたとえで考えてみます。
例えばある予備校が、次のような方針を「オリジナルの学習法だ」といって宣伝していたとします。
当校では、生徒に高校3年間、毎日10時間みっちり勉強してもらいます。1日も休んではいけません。過去の実績では、これができた生徒の志望校への合格率は80臓です。できなかった場合の合格率は30%なので、当校の学習法には素晴らしい効果があります。
あなたが受験生だとして、この予備校は素晴らしい、ぜひ入学しよう、と思いますか? 多分思わないと思います。それはなぜでしょうか?
もう1つ例をあげてみましょう。「仕事を片付ける方法」という本で、次のような方法が説明されていたとします。
仕事を確実に片付ける方法は、できるだけ早くから、できるだけ長くその仕事をやることだ。少なくとも締め切りの1か月以上前から、毎日その仕事に5時間以上取り組もう。そうすれば、きっとその仕事は完成する。
私もたまにビジネス書を読みますが(こういう日常の仕事に関する本はまず読みませんが(^^;))、万一こんな本にあたってしまったら、呆れてそこから先は読まずに捨ててしまうでしょう。なぜでしょうか?
(次回に続きます。)