七田式超右脳教育法で自閉症の子が良くなる!
七田 眞
KKロングセラーズ
上記の本を「とっかかり」として、著者である七田氏、あるいは「七田式」の自閉症に対する考えかたについて、一定の影響力をもった存在だということもふまえ、いちど掘り下げて考察してみよう、というシリーズ記事の第2回です。
さて、前回の記事では、本書が述べる数々の「自閉症の原因」とされる指摘から、本書の議論が一見科学の殻をかぶっているように見えて、実は超物理的な精神世界や、「テレパシー」「波動」といったものを議論の中核におく、オカルト的なものであるということを書きました。
もう少し引用を続けます。
自閉症の「原因」も雑多にいろいろ書かれていましたが、一方、自閉症を「治す」方法も、いろいろ提案されていてよりどりみどりです(じゃなくて、「全部やれ」なんでしょうね)。内容に入っていくと引用が長くなりすぎますし、それにはあまり意味がなさそうなので、主にキャプション(表題)のほうを拾う形で見ていきたいと思います。
心のエネルギーで治そう(67ページ)
子どもの間脳意識に暗示を入れよ(69ページ)
「抱っこ法」で自閉症は治る(82ページ)
言葉が育っていない自閉症に対しては、言葉よりも大人の目線、テレパシー、音声、暗示などが容易に脳幹に届くのです。(111ページ)
その方法(そらパパ注:右脳を活用した教育)が、抱っこ、愛撫、暗示、イメージトレーニングなのです。(173ページ)
子どもが寝入った後、子どもの額に手をかざして気のエネルギーを注入してあげましょう。(186ページ)
ビタミン、ミネラルで大幅に知能が改善する(199ページ)
ルイボスティーを飲むようにするとよいでしょう。(204ページ)
宿便を抜き血液をきれいにする(209ページ)
エネルギーを入れれば、笑いが出てくる(214ページ)
上記で分かるように、働きかけの中心は、「心への働きかけ」(当ブログでは最近よく「念力による療育」と呼んでいるもの)と、食事療法だということができそうです。それに加えて、ボリュームがありすぎて上記では引用できなかったのですが、フラッシュカードやドッツと呼ばれる「右脳課題」や、毎日何キロも歩かせたり何千回も「その場跳び」をやらせるような過激な「運動課題」などがあり、これらによって「七田式の自閉症療育」は構成されているようです。
やはり、ある意味すごい?なあと思うのは、これだけ多種多様な手法が提案されているにも関わらず、現代の自閉症療育の主流といわれ、実績もあがっていると言っていい、ABA、TEACCH、絵カードといった療育とはまったく無縁の世界で動いているということです。
実際、ここで紹介されている働きかけのうちどれにどの程度の効果があるのか(あるいは場合によっては「逆効果」があるのか)よく分からないのですが、そこはいかにもこういった本らしく、「こんなに良くなりました!」というエピソードが満載です。このような構成は「エピソード主義」と呼ばれ、統計的に効果が実証できないときに採用されがちなやりかただということをぜひ知っておいてください。
また本書には、そんな「自閉症を治すのに成功した」親からの「喜びの報告」がいくつも載っているのですが、さまざまな親御さんがばらばらに書いているはずなのに、どれも判で押したようにそっくりな文体なのはとても不思議です。さらに言えば、「言葉が出て普通の子になりました」というケースが大量に紹介されている割には、どれもみな親や指導者からの報告ばかりで、「私がその『普通になった』張本人です」という文章を寄せている当事者からの報告が皆無だということなど、つっこみどころが満載なのですが、もうここまでくるとその辺りは「ささいなこと」だという気もしますので、あまり深追いはしません。
ある意味「非常に面白い」本なので、興味があれば古本を探して読んでみてもいいでしょう。
話題を戻して、逆に「予想外だったこと」というのは、本書がまがりなりにも「自閉症の療育書」としての「体裁」を一応もっていることです。
中身がトンデモであることを脇に置くと、本書は、自閉症とはどんな障害で、何が原因で、どうすれば「良くなる」かを説明したうえで、家庭での毎日の療育として具体的にどんなことにどれくらい取り組んでいけばいいのかといった内容が、章をわけて構成的に解説されていることに気づきます。
単に、「教室に通うと自閉症が良くなりますよ!」とだけ書いて「良くなった」エピソードを大量に載せて(もちろん載ってはいるのですが)それで終わり、あとは教室に来てください、というのではなく、家庭で療育に取り組むとしたらどんなことをすればいいのかが、(繰り返しますが、トンデモではあるのですが)かなり具体的に書いてあるのです。構成だけ見れば、それなりにしっかりした本だ、とも言えるでしょう。
ここで、本書の目次を見てみます。
第1章 ダメな子どもなど一人もいない
第2章 なぜ自閉症児・障害児がふえているのか
第3章 母親には子どもを治す力がある
第4章 心の子育てが子どもの異常を解消する
第5章 七田式右脳教育で自閉症児は治る
第6章 早期総合訓練でダウン症児もこんなに変わる
第7章 右脳の力を利用して左脳を育てるプログラム
第8章 毎日の取り組みプログラム
第9章 「食事」と「手当て」で子どもはどんどん変わる
第10章 小児科医・真弓定夫先生に聞く「子どもを元気に育てる方法」
第1章は導入、第2章で自閉症の原因を説き、第3章から第6章までが療育論(自閉症の本なのになぜかダウン症の章が混じっていますが)、第7章から第9章がより具体的な家庭での取組み内容、第10章はある種のテスティモニアル(他の人に賛成意見を言ってもらうことで内容の信頼性を高める広告的手法)です。
このように、ある程度具体的な内容まで含みつつ、構造的に書かれている側面がありますから、本書内容の是非について、それなりに議論ができます。
そこで次回以降、野心的な試み(笑)として、この本が自閉症とその療育についてどのようなストーリーを語り、親がそのストーリーに従うことは自閉症児にとってどのような意味を持ちうるか、という観点から本書をある程度本格的に読み解いてみようと思います。
(次回に続きます。)
コメントありがとうございます。
うーん、やはりそうなんですね。
この記事でも少しだけ触れていますが、七田の設定する課題は非常に負担の重いもののようですので、個人的には「あえて完遂できないような課題を設定することで、子どもが伸びなかった時の言い訳をあらかじめ準備しているんじゃないか」と勘ぐったりしています。
大前提として、このシリーズ記事で七田を無条件に肯定することはないので、その点はご安心ください。
このシリーズ記事で探ろうとしているのは、「それでも七田に頼るしかない親御さん」がいたときに、そこにわずかでも「光」があるかどうか、それだけです。
可能であれば、七田ではなく他のより評価の確立された療育法に取り組むほうがいいに決まっていますから。
もう少し、詳しく読ませていただきたいと思っています。
もし、お時間があるときに、浅野幸恵 脳 言葉で検索していただいて、ホームページをクリックしてくださいますか?子どもと母親の幸せのために頑張っていますが・・・。
コメントありがとうございます。
浅野さんのお立場はかの岩佐京子さん等と近いようですが、岩佐さんの主張は下記のように否定的に取り扱われていますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E9%96%89%E7%97%87#.E5.8E.9F.E5.9B.A0_2
私もこういった主張には極めて懐疑的です。
治る可能性はあると思っています。メールでお話しできたらと思います。
ガリレオが「それでも地球は回っている」と言ったのも、「コロンブスの卵」の逸話も、どちらも後世の創作で実話ではないと言われています。
それはいいとして、奇妙な新説に対して「懐疑的であること」に理由はいりません。
理由がいるのは、新説を「信頼する」場合に対して、です。
ご参考までに、こちらのチャートをご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/ohira-y/20100107/1262878936
科学的根拠のある、信頼性の高い情報を得る最も簡単な方法
ここに掲載されているチャートは、独立行政法人国立健康・栄養研究所が「健康食品の基礎知識」として公開している情報です。
自閉症に限らず、「○○に××が効く!治る!」といった情報が信頼に足るものかどうかを判定する、非常によくまとまったチャートです。
広く知られ、長く検証に耐えてきた通説とは異なるような新説(例えば「テレビやキカイ音で自閉症になる」といったもの)は、少なくともこのチャートの「ステップ5」をクリアしない限り、信頼するには値しません。
簡単にいえば「査読のある有力な専門誌に掲載された、複数の論文によって実証されているか」というのが、判断の基準です。
「こんなにたくさんの人がよくなりました!」という「エピソード」や、その新説を支持する「専門家の意見」は、ステップ1ではじかれてしまう(つまり、このチャートの最初のステップすらクリアできない「門前払い」)わけですから、信頼以前の問題です。
岩佐さんの時代から数えれば、もともとの主張が出てきてからもう1世代以上の時間がたっているのに、いまだにステップ1で門前払いのような状態に留まっていることから、浅野さんのご仮説についても、「懐疑的」であることを超えて、「誤りである」ことが間接的に示されているといってもいいように思います。
申し訳ありませんが、浅野さんのご主張が、HPで書かれているようなものである限り、私は興味がありませんので、メールでのご連絡はご遠慮申し上げます。
当コメント欄での議論であれば、他のユーザーの方にもいくばくかの情報が提供できる部分もあるでしょうから、極端に長く続かない限りお受けしたいとは思っています。
なお、下記の記事も、今回の話題と関係があると思われますので、ご紹介しておきます。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/124700004.html
テレビを消したら赤ちゃんがしゃべった!笑った!(立ち読みレビュー)
私は初めて岩佐先生の本を読んだ時は、岩佐先生の出された本を全部とりよせて、何度も読みました。本にラインを引き、ノートに書きだし、それを読んで考えました。夜行バスに乗って、東京へ行ってお話を伺いました。
その後、私は近くの大学で、発達心理学・っ障害児心理学・他を科目履修し、赤ちゃん学的な本・脳関係の本を乱読しました。赤ちゃんがどうして笑うのか?(自閉症の赤ちゃんは笑わなくなります)も・・・
壊血病はビタミンC欠乏が原因ということが今分かっていますが、それが受け入れられるまでに50年かかりました。その間にどれほどの多くの人が壊血病で亡くなった事か!と聞いています。
女性がこういう事を主張できるのは、生活がかかっていないからではないか?と思います。世界中の批判を浴びながら、主張を続けるのは、勇気のいる事です。
自閉症の子供の育てにくさに苦しんでいるお母さんが、「育て方が悪いから」と言われるとしたら、そのつらさははかり知れません。でも、育てにくさから、虐待に走る母・父がある事も事実です。虐待さっれるこども・虐待するお母さんのつらさを思います。
ブログのY君は、2才6ケ月の時・言葉は消えて無く(折れ線型)頭を打ち付ける自傷行為・パニック・超多動・・本当に虐待は大丈夫か、と心配しました。
カウンセリングを始めて2年たって「異常なところは、ほとんど無くなりました」と言われました。
脳の中の事なので、なかなか科学的に証明することは難しいでしょう。
岩佐京子先生はカウンセリングを止められましたが、1万件のカルテがありました。と言われ、片岡直樹先生は2000の臨床例がビデオに記録されています。と言われます。
どうか、先生方の著書を徹底的に自分の目と頭で、確認してほしいと思います。
あなたが誠実な方で、その影響力がとても大きいと思いますから、伏してお願いしたい!これから生まれてくる子ども達のために・・・希望しています。
浅野先生、私の私見です。
・自閉症の赤ちゃんもよく笑いますよ。我が家3人の息子はみんな自閉症で、うち二人は中度の知的障害児ですが、小さいころもよく笑っていました。今もよく笑っています。
・自傷行為やエコラリヤ、パニックは自閉症の特性ではない、というのは今や自閉症の研究者・支援者間では共通の認識だと思います。あくまで二次障害であると。先日聴講した佐々木正美先生もおっしゃっていましたし、昨年聴講した坂井聡先生は、実験的にそのことをご講演で証明されていました。自閉症でなくても、誰でも他害行為・自傷行為をすることがあるし、エコラリアをするし、パニックを起こします。
・自閉症でない子も自傷行為をし、パニックを起こし、しゃべらなくなります。これには、もちろん理由があって、その子のその二次障害を引き起こしている原因を取り除けば、改善されます。
・なので、「こんなお子さんに対しては、こんな原因が考えられます。なので、こういった改善をしたら、よくなりましたよ。」といわれる分に関しては、なんら違和感はありません。
・しかし、「こうだったからそれが自閉症(一般)に対するソリューションだ。」といわれると、非常に違和感があります。
・壊血病の例は、その原因をひとつに求めることができますが、自閉症が多数の遺伝要因に起因するらしい、という報告が最近なされていました。自閉症の原因・特定の要因がわかる、ということは、おそらくないだろうと思います。人は千差万別です。
以上
私も横入りして申し訳ありません。
私の私見です。
>自閉症の赤ちゃんは笑わなくなります
私が接した自閉症のお子さんたちも笑います。私を見ただけで笑ってくれる子も中にはいますよ。
実は、先のコメントで「奇妙な」新説というフレーズを入れると、恐らくその「奇妙な」のところだけに個別に反論されて、そこから後ろを全部無視されてしまうかも、と予想していたらまったくその通りだったので、「奇妙な」を入れなければよかったとちょっと反省しています。
それはさておき、本当にリンク先の「科学的根拠のある、信頼性の高い情報を得る最も簡単な方法」のチャートをご覧になっていただけたのでしょうか。
繰り返しますが、浅野さんのおっしゃる「ブログでのエピソード」「岩佐先生の意見」「片岡先生の意見」「1万件のカルテ」「2000の臨床例」、すべて、先の5段階のチャートの「ステップ1」で門前払いされてしまう程度の「極めて信頼性の低い」情報です。
そういった「エピソードや専門家の意見」は、何らかの「療法」に効果があることを示すための情報としてはほぼ「無意味」だということを、お読みいただいた(ありがとうございます)拙著(ただし2冊めのほうです)でも書かせていただいているので、改めてご確認いただければ幸いです。
もし本気でそういった主張をされたいのなら、臨床例なりカルテなりをしっかりした研究デザインに基づいて構成し、査読のある有力な専門誌に学術論文として発表し、他の研究者の追試を受ければいいだけのことです。
ある「新説」を正しいものであると認めてもらうために必要なものが「勇気」だと考えていらっしゃるなら、それは誤りです。必要なのは、単に「手続き」に過ぎません。その手続きが、主張を始めてから四半世紀以上たっているのにできないために、その「新説」が相手にされていないだけなのではないでしょうか。
ABAが広く支持されていて、私も信頼しているのは、ちゃんとこのチャートの「ステップ5」までをクリアした、「信頼のおけるやりかた」だからです。
浅野さんの主張が広く支持されず、私も信頼しないのは、このチャートの「ステップ1」さえクリアできずに30年以上放置された「信頼性の低いやりかた」だからです。
一緒にされたらABAも迷惑だと思います。
JKLpapaさん、ひなたさん、
コメントありがとうございます。
誠実な回答をくださり感謝します。
確かに、こういった「新説」の多くは、二次障害の緩和策や、二次障害を外から見て感じられる「対策っぽいもの」を、自閉症そのものを「治す」方法と主張する、といったものであるように思いますね。
原因と結果を逆転させているものも多いです。
自閉症児が人とかかわらず、相対的にモノとかかわる割合が多くなるのは、人のような複雑な対象とかかわるスキルの障害による「結果」なのに、そこを逆転させて、「モノやキカイ音とかかわることが『原因』で自閉症になる」と主張するのは、まさにそうですね。
両者(人とのかかわりの程度とモノとのかかわりの程度)には、因果関係は逆であっても相関関係はあるかもしれませんから、因果関係逆転の仮説にもとづいて観察すると、いろいろと「私たちには見えない世界」が見えてしまう可能性はありますね。
この辺りは、クリシン的に考えると極めて興味深いです。
「自閉症の赤ちゃんは笑いません」と書いたのは失言でした。広汎性発達障害の3分の1ぐらいは折れ線型だと聞いています。ご存じだと思いますが、折れ線型の場合、1才から2才ぐらいまで、普通に近い発達があります。発語があり、バイバイ・指さしもあったのに、2才ごろまでに言葉が消えたり、言葉が増えなかったりします。その場合は、赤ちゃん時代、良く笑うでしょう。私がカウンセリングした幼児は、笑顔が消えたころから、育てにくさが増えました。しかし、カウンセリングに入って、少し経つと、笑顔が増え、表情が柔らかくなります。自閉症の場合、その子によって症状が違いますから、どの子も、とは言えませんね。
療育が半年から、1年待ち!と聞くと、悔しくてたまりません。広汎性発達障害は早期療育がとても大切です。2才台で相談に乗りたいと願います。3才を超したら、一日でも早く療育に入りたい!と願います。回復の早さが全く違うからです。YくんもブログのRくんも自閉症の診断を受けています。
2才台で、広汎性発達障害のハイリスクの時から、カウンセリングに入るべきだと思います。脳には感受性期があるからです。目でははっきりと言われる事は、2才台に、たった1週間、片方の目に眼帯をして使わないで、目に刺激を入れないでいる事で、目の病気は治ったのに、脳の発達が阻害され、眼帯をかけた目の視力が落ちます。脳のことばの臨界期はを考えて療育を行うことはとても大切です。
☆ このブログの中に「9割以上のウエイトは、やはり、家庭での療育!
☆ このブログは、どんなレベルの低い主張であっても・・・一生懸命、誠実に議論をしようと努力しています。
うえの2つのことばも、心に残りました。
本当に誠実なブログですね。ありがとうございます。一人でも真剣に考えていただけると嬉しく思います。
本当に自閉症の子供を育てて、苦労された方々ならば、これから生まれてくる子ども達のために、育てるお母さんのために、関心を持っていただけるかも・・・と思いましたが・・・残念です。誠実にお答えして頂いて、ありがとうございました。時にはブログを見ていただければ嬉しく思います。
私の子供2人も自閉症です。
極軽度の長男(7歳)と重度の次男(5歳)ですが・・・2人とも折れ線型ではないです。
重度の次男は生後10ヶ月ぐらいで障害がはっきりわかるぐらいでした。
でも、すごく笑っていました、今もすごく笑います。
極軽度の長男は、自閉症がわかった時(2歳)はとても軽度とはみえませんでしたが、4・5・6歳とびっくりするぐらいの伸びをして今では、じっくり付き合った人でないと障害がわからなくなりました。
長男も、すごく笑います。
笑顔がステキでつも癒されるわ♪と言われる位、それぐらい笑いますよ。
長男の伸びはほんとにすごいものでした。
発達検査では1年で1年半ぐらいの伸びをしていました。(年長の時)
でも特別な療育はしていません。
地域の発達支援センターにアドバイスしていただきながら、通常の保育園でお世話になり、家庭で極普通に育てただけです。
このときに、特定の療育に通っていたらきっとその療育の効果だと私は誤解していたことと思います。
①折れ線じゃなくても赤ちゃんのときから笑います。
②特定の療育の効果だ!と幼児期の伸びを語られても(?)です。
③自閉症の子供も千差万別、自閉症の子はこうです!と言い切られることに(?)です。
以上、この3つが言いたくてカキコみました。
稚拙な文で失礼しました。
ひとつだけ個人的な疑問点です。
>自閉症の子供の育てにくさに苦しんでいるお母さんが、「育て方が悪いから」と言われるとしたら、そのつらさははかり知れません。
>本当に自閉症の子供を育てて、苦労された方々ならば、これから生まれてくる子ども達のために、育てるお母さんのために、関心を持っていただけるかも・・・と思いましたが・・・残念です。
こういうスタンスもまた、浅野さんの仮説や療育に関心を持たない親に対する脅迫(知ろうともしない親のスタンスに問題がある=親のしつけ(方針)が悪い)になっているように思います。
実際、私は長いこといわゆる”母原病”といった育児神話を信じていて、自分の疎外感を「親の育児態度のせい」だと思い込み、親との関係が必要以上にこじれました。
しかし実は自分自身の持つ障がいのためだとわかったときのショックと安堵感は計り知れないものがありました。親には濡れ衣を着せて申し訳なかったと思います。
ちなみに私は1歳まで笑わなかったそうです。それをよく考えれば生まれつきの障がいであって、親の育児態度や、ましてキカイ音とか栄養のせいではない(今となっては証明できませんが、どちらも他の同級生とそんなに差があったとは思えません)と言えると思います。
厳しい物言いとお思いかもしれませんが、当事者にとって、「信頼性の低い」情報が巷に流れることは非常に困ることなのだということをご理解ください。
また、(引用箇所を明記いただけていないのでよく分からないのですが)私が「自閉症が治らないと決まったわけではない」と書いたときは、何らかの代替療法・トンデモ療法について、それらを相手にしない理由を「治らないと決め付けているからではなく、その情報の『信頼性が低い』から、時間やお金をかける価値を見出せないからだ」と説明するような文脈があるはずだと思います。
とても複雑な自閉症という障害について、原因を考えたり、療育法を考案したりするときは、緻密な論理思考能力、文脈をとらえる力が求められます。
あちこちにある文章をバラバラにして、気に入ったフレーズだけを集めるというやり方では、絶対に「自閉症の全体像」にはたどり着けないように思います。
「折れ線型」について大変ご関心をお持ちですが、折れ線現象は、比較的知的能力の高い自閉症のお子さんでみられる症状です。そのため、折れ線現象をみせたお子さんも、その後、逆に大きな発達を見せる(療育などしなくても)ことが多いと言われています。
ですから、「折れ線現象を見せたお子さんにナントカ療法をやってみたら大きく伸びた」というのは、実は多くの場合錯覚で、実は「折れ線現象を見せたお子さんがその後(ナントカ療法に関わらず)大きく伸びて、たまたまそのときやっていたナントカ療法のおかげだと誤解された」というのが正しいと思われます。
折れ線現象については、拙著の1冊めでも取り上げていますし、ほぼ同じ内容をこちらのエントリでも書いています。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/24619504.html
また、自閉症に「回復」ということばを使うのは不適切です。自閉症は病気でも後天障害でもありません。ただそこにあるのは「発達」のみです。
コメントで、「独学」ということばを使ってらっしゃるので、ご著書のページから略歴を確認させていただきました。
浅野さんはオーソモレキュラーと選択理論心理学の人だったんですね。それらについても過去にエントリがありますので参照ください。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/133997858.html
オーソモレキュラーって何?
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/114513592.html
自閉症を含む軽度発達障害の子を持つ親のために(ブックレビュー)
最後に、サプリメントが「月1万円と少し」というのは、ものすごく高いですよ?? 浅野さんは毎月1万円以上、年間15万円近くもサプリメントを飲みますか?
私なら、そのお金で半年に1回(年2回)、家族で旅行に行って楽しい思い出を作りたいと思います。ついでに市販の安いビタミン剤を買ってもおつりがくるでしょう。
TOYOさん、めえめえさん、
コメントありがとうございます。
TOYOさんのコメントの、ご長男についてのくだりは、まさに「クリティカルシンキング」そのものですね。素晴らしいです。
人生の長期戦となる「療育」で迷子にならずに着実に進んでいくためには、クリシンが本当に重要だということを実感させられるコメントだと思いました。
本当に多くの方が読んでいらっしゃるのですね。
広汎性発達障害と言われて、ショックを受けていらっしゃるお母さん方が、どうしてよいか分からず、あるいは多すぎる情報に、うろうろしている間に、早期療育の時がすぎていくことを残念に思っていました。皆さんがこのホームページに早くたどりつかれると良いですね。
今日は、幼児期の療育総論を読んでいました。まだまだほんの少しです。藤居さんの御本に書かれているのでしょうか?
ご意見に反論するつもりはありません。
私の思いは、子どもたち・お父さん・お母さんが幸せになってほしい!「この子の障害を、何とかして治してあげたい!」と願うお母さんのお手伝いがしたい!と、思っているだけです。
また、批判を受けると思いますが、2-3才からならば・・キカイ音が該当するお子さんならば、多くの場合「キカイ音を除いて、栄養補助食品を摂る、ABAの環境教授法を行う・他」家庭での努力で、劇的に良くなられるから、伝えたい!と思っているだけです。
ほんの少しでも、関心を持っていただければ、そんな事信じられないと、思う方も「問題行動と子どもの脳」築地書館 を読んでいただければ・・・でも、そんな本は時間の無駄?・・・
それにしても、どうして広汎性発達障害が激増したのでしょうか?
さて、結論に異を唱えるものではありませんが、
>折れ線現象は、比較的知的能力の高い自閉症のお子さんでみられる症状です。
ここは誤りですね。
従来言われていたほど折れ線型自閉症の予後が悪いわけではなさそうですが、「知的年齢が高い」ことを裏付ける大規模なデータを見たことはありません。(ご存知でしたら教えてください) いろいろな研究を概観するところ、「通常の自閉症との間に差は見られない」というあたりが妥当かと思います。
>そのため、折れ線現象をみせたお子さんも、その後、逆に大きな発達を見せる(療育などしなくても)ことが多いと言われています。
ここですが、折れ線型自閉症の場合、早期療育によって、いったん失った言語を回復する可能性が高いこと、つまり療育の効果が高いことを、杉山登志郎氏が指摘されていました。
早期療育を受けても言語を回復しない子どもたちもいることから、いわゆる「折れ線型」は、単一ではなくいくつかのサブグループに分けられるのでしょうね。もしかすると、そらパパさんのおっしゃるように、意図的な療育ではなく、通常の育児や保育の中で回復していく折れ線型の一群があるのかもしれませんが、先のそらパパさんのコメントのように折れ線型全般について語ってしまうと、ミスリードになってしまうと思います。
浅野さんのコメント、既視感を持ちました。というのは、アスペルガーASが往々にやる反応パターンだからです。「私は善意でやっている」「それなのに分かってくれない。」「分かってくれないのは、相手が悪い人だから」という反応は、アスペルガーASが往々にやるパターンで、これが新たなトラブルを招く。自閉症スペクトラム(連続体)とは、よく言ったものだな、当たっていると感じます。
私自身、何度痛い思いをしたことか。それで感じ、考えたことですが、
自分から見えている世界に閉じこもっている自閉性がありますので、他者も自分から見えている他者であり、「相手に◎◎をやれば喜ぶ、助けられる」というのも、自分からそう見えるということです。実際に◎◎が他者・相手の助けなどになるか?という他者からの視点で自分の考え、自分自身を見ること評価することは苦手です。意識してやろうとしないとしません。
浅野さんもご自身の考えが、他者からどう見えるのか?、きちんと検討することは苦手のようで、そらパパさんが薦められた”科学的根拠のある、信頼性の高い情報を得る最も簡単な方法”のような他者からの検証・評価で、どういうレベルにあるのかは、2010年01月26日 07:31のコメントを見ると無関心のようにみえます。
また、自分から見えている世界に閉じこもっているので、その中では「お山の大将」であり、一種の全能感、万能感を持っています。
浅野さんの>9割以上のウエイトは、やはり、家庭での療育!<という感想に、それでは、『その両親にアドバイスする浅野さんら支援者、専門家の位置は、当事者からは、どれ位の高みにあるのでしょうか??』と問わざるを得ません。
その全能感、万能感を帯びている「相手に◎◎をやれば喜ぶ、助けられる」が相手から拒絶されると、全能感、万能感が否定されるので、相手を否定する「分かってくれないのは、相手が悪い人だから」といった人格攻撃を起こしやすい。
浅野さんの、>本当に自閉症の子供を育てて、苦労された方々ならば、これから生まれてくる子ども達のために、育てるお母さんのために、関心を持っていただけるかも・・・と思いましたが・・・残念です。<というコメントは、浅野さんの考えを受け入れない人=これから生まれてくる子ども達や育てるお母さんに無関心な人という決め付けに、同じ匂いを感じます。
自閉症スペクトラム(連続体)とはよく言ったものだなと思います。
こうしたことに思いが至ってから、私は、「相手に◎◎をやれば喜ぶ、助けられる」が相手から拒絶された場合は、私自身の考えている、感じている他者像が現実と違う。相手が喜ぶ、助けられるやり方・行動が◎◎ではないということであって、私自身の善意がつまり善意を持った私が拒絶されたわけではない。だから、善意のあり方が問題で、それを正せばよい、私にとって重要なのは、相手を他者を喜ばせる、助けることなのであって、やり方は自分が当初考えたもの、◎◎であるか否かは二の次ということです。
つまり私自身の考えている、感じている他者像を自分から見えている世界を更新すればよいのだと考えるようになりました。
浅野さんの善意、自閉症者を助けたいという善意を否定・拒絶するものではありませんが、浅野さんの世界が、当事者の一人からどう見えるのかというと
私のような自閉症スペクトラムのなかでも「障害」というレベルのものは、親から「治療」や「回復」の対象であるという位置付けは、とても苦痛です。それでは治っていない、治らない私・当事者、回復していない、回復しない子・当事者は、親から拒絶・拒否・放棄される者であるからです。
私は、自分の特質に気付いてから「産れてきてご免なさい」という思いがずっとしています。ほかの当事者の言葉を借りると
「私が健常者だったら母親も父親も、幸せになれたのかなと思うと、産れて来た事が申し訳ない。
私以外の奴が、健常者な誰かが、家の両親の子供として産れて来たら、我が家は幸せに普通に家でいられたかもしれないのに。」
当事者は「治療」や「回復」の対象であるという位置付けは、こうした思いを強めるものであり、自己肯定感を奪うものでしかありません。それのような態度=メッセージ、治った回復した子供が本当の私の子供、治っていない回復していない、今、目の前にいるこの子は偽の子供=欲しくない子供というメッセージは、子供に自己否定感をもたらすだけに見えます。
>9割以上のウエイトは、やはり、家庭での療育!<には、親の思い上がり、他者である子供を如何様にもできるという思い上がりを感じます。私には受験を控えた子が居りますが、親の私がいくら勉強しても、子供の頭には何の知識も蓄えられません。いくら幼子でもそれは同じで、自分で成長していく力で発達するのであって、親が手を引っ張ても自分で成長していく力以上には伸びない。
特にアスペルガーASは、我流でしか物事を学べません。>9割以上のウエイトは親<と親がシャカリキになればなるほど、我流で育っていく当事者の内発力を抑制すると思います。
纏まらない文章ですみません。
浅野さん、
もうおやめになったほうがいいかと思います。
浅野さんの文章はいつも同じパターンで、まず周りの意見に合わせたり、周りを立てたりして「いい雰囲気作り」をした後、それとはまったく無関係に「自分の主張したいこと」を書く、ということの繰り返しです。
今回も、前半は「雰囲気作り」パートで、後半では「反論するつもりはありません」と書いておきながら、そのすぐ後で「~で劇的に良くなられるから」と、思いっきり反論しておられます(ご自身ではそう感じていらっしゃらないかもしれませんが)。
今回、私はコメントで、「浅野さんが一生懸命宣伝されている療法は、それが積極的に実施されているにもかかわらず、良くなるという信頼のおける結果が出ずに30年以上もたっているから、『その療法では良くならない』ということが合理的に推論できる」ということを主張しています。
ですから、「反論しない」というのは、浅野さんの宣伝されている療法では自閉症はよくならない(プラセボレベル)、という私の意見に反対しないことを意味します。
錯乱坊さん、
確かに、自閉症スペクトラム全体で、『折れ線あり』と『折れ線なし』を比べたら、おっしゃる通り折れ線のほうが予後がいいとは言えませんね。言葉足らずでした。
私が書きたかったのは、「折れ線現象があってことばが消えた自閉症児」と「最初からことばを発したことがない(かなり重めの)自閉症児」を比べて、という趣旨でした。
同じ、ある時点で「ことばがない」という状態を呈していたとしても、一度はことばが出ていた子どものほうが脳の処理能力が高いということは推測できると思います(具体的にここにあるという指摘ができず申し訳ありませんが、そういったグループごとの平均発達指数みたいなものもあるんじゃないかと思います)。
もちろん、折れ線のあとで療育すれば全員言語を再度獲得するというものではないと思います。
ただ、だからといって折れ線の子どもたちを細分化して考えなければならないとも言えないと思います(発達にばらつきがあるのは当然なので)。
傾向として、最初からことばのない自閉症児よりも伸びやすい、ということがあれば、少なくとも「エピソード」として、「折れ線現象を呈した子どもにナントカ療法を実施したらこんなに良くなりました!」といった事例を集めることは(折れ線でない子どもよりも)容易になるわけですし、その結果、「ナントカ療法の主宰者」が「自分の療法は折れ線の子によく効く(実際には最初から伸びるポテンシャルが高いだけ)」と考えてしまうこともありえるだろう、ということを書きたかったわけです。
ヒゲ達磨さん、
当事者としてのコメント、ありがとうございます。
実は、「家庭での療育のウエイトは9割」というのは、私が別のエントリで書いたものを浅野さんが引用されているもの(下記参照)ですが、そこでの意味あいは「センターなどでの外部での療育と、家庭での療育のバランスは1:9以上で、療育というのは他人任せにしてはいけませんよ」というものです。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/136224347.html
前のコメントでも書きましたが、浅野さんは引用されたフレーズを本来の文脈を無視してご自身の主張に取り込んでしまわれるので、なんとなく「家庭生活の9割で親がガンガン療育すべし」みたいなニュアンスになってしまっていますが、同じエントリで私は家庭での療育は「子育てを、少し工夫すること」、「無理をせず、子どもを見失わず、短期間で結果を出そうとせず、家族が一丸となって、マイペースで進んでいってください」とも書いており、本来の文脈とはかなり違ってしまっていますね。
分析されている内容も興味深いです。読んでいて、「認知的不協和」という心理学の仮説を思い出しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C
この仮説から考えると、「ナントカ療法は効く」と信じている自分と、「ナントカ療法は効かない」と主張するAさんがいるとき、この矛盾を解消・軽減する方法として
1.「ナントカ療法は効く」という自分の信念を捨てる。(解消)
2.私も最初からナントカ療法が絶対に効くなんて思っていなかった、効く場合も効かない場合もある、と、自分の信念に逃げ道を作る。(軽減)
3.Aさんの主張は間違っていると考える。(解消)
4.「ナントカ療法で伸びた子どももいる」といった、新しい認知を追加する。(軽減)
といったものが考えられます。
本来、こういうタイプの議論は「1.か3.か」という結論を出す営みだと思いますが、代替療法などでの議論では、代替療法サイドの人はほぼ確実に2.と4.で応戦してくるように感じますね。
お久しぶりです。いつも楽しみに読ませてもらっています。
ヒゲ達磨さんのコメントに感じるものがありました。自閉症を「治す」ことにこだわる支援者・親というのは、自閉症者の自尊心を知らずに傷つけている可能性が大きいですね。一番身近にいて、本人がありのままを認められたいと願うはずの両親・家族に、「治す」という態度を促し、「治す」ことを広めようとするのは、想像以上に大きい問題ではないかと思いました。別の場所の「障害とは」という議論と重なりますね。
私自身も療育に変な力が入らないように気をつけたいと思います。
浅野幸恵さんのコメントの
>岩佐先生・片岡先生が、治ると言っていらっしゃるのに、なぜ広がらないかが、私には分かりませんでしたが、今、分かりました。
という部分が気になります。「査読論文も通らないのは信頼性がないという考え方=(イコール)悪しき権威主義」と取られていないことを願いたいです。
常同行動をしない、独り言を言わない、他害・自傷行為をしない、というようなことなのでしょうか。
あるいは、健常児と同じように集団で誰かをイジメたりできることが良くなったと判断されるのでしょうか(冗談ですよ)。
この本を読んでいませんのでわかりませんが、そういうそもそもの目標設定の定義づけがしっかりなされていないのであれば、どんなに対応策が縷々述べられていたとしても意味がないだろうな、とは思います。
あと、サプリについては懐疑的ですが、さりながら食べ物については皆さんそれなりに気をつけられているのではないでしょうか。逆に言えば、医食同源を意識することなくいきなりサプリということもあるまい、と思います。
浅野さんのwebで、「広汎性発達障害(自閉症・アスペルガー症候群含む)の主な原因は何だと思いますか?」というアンケートがあり、回答が、「乳幼児期の環境汚染(空気・水・食べ物)による脳の障害、胎児期の環境汚染(空気・水・食べ物)による脳の障害、テレビ・ビデオなどの機械音による環境素因、親からの遺伝による要因、親の子育てやしつけによる要因」以上の5択で、正直どれも選べなかったのですが、アンケート結果では、「遺伝要因」がトップだったようです。
この中で選ぶなら消去法で「遺伝要因」になるだろうけれど・・・よくわかりません。
自閉症の原因説として、信頼に値しないものは数多あるのですが、カンガルーケアの事故について調べていたら、偶然また新たな説を見つけてしまいました。
生後30分以内のカンガルーケアに危険信号!
http://www.s-kubota.net/Stan/28.htm
ここでは、生後すぐのカンガルーケアで、低体温、低血糖を引き起こし、発達障害の危険因子となる、ということが語られています。
自閉症発生者数と、母乳促進運動のグラフを並べているのですが、これは相関関係と原因関係の錯覚なのではないか?という気もします。生後すぐの処置によって自閉症になるとするあたりは、以前ここに来ていた白石氏の「刷り込み失敗説」を彷彿とさせますが、こちらは、カンガルーケアによる低血糖、低栄養、重症黄疸が脳に障害をもたらす危険因子であると、明快なメカニズムを示している点と、ある程度のデータが示されている点が違います。
自閉症水銀説やテレビ原因説等の一見して聞くに値しないものと同様だと切り捨てることも出来ず、私には全く判断しかねるので、そらパパさんにご意見を伺いたく、参りました。
お時間のある時でよいので、リンク先を読んで頂けると助かります。他力本願で本当に申し訳ないです。どうもまだ、こういったものの判断の仕方が身についてません。クリシンについても、もっと勉強する必要がありますね。
ます。つまり実証をする事です。そのための努力を30年以上に渡って放置されてた様ですが、今からでも十分間に合いますので是非努力する事を提案します。そしてそのやり方のヒントとして一つのアイデアを思いつきま
した。浅野先生の説では「キカイ音」が何らかの原因もしくは学習の阻害要因になっていると理解しましたが、もしその理解が正しければ、その「キカイ音」のない民族もしくは
社会的集団を調査すれば比較的簡単に完璧ではないにしろ何らかの信頼足りうる実証が可能だと思っています。一例としてテレビ、ラジオ、自動車などの電化製品を拒否して使用
していないアメリカのアーミッシュ等は有力候補だと思います。
かずみさん、
「治す」というのは、「どこかに『あるべき姿・状態』があって、今はその姿・状態ではない」ということが前提のことばですから、自閉症について言えば明らかに正しくないですし、当事者に対して配慮に欠ける表現だとも思います。「回復」もほぼ同様です。(ただ、折れ線でことばが退行したお子さんが、「ことばを」回復する、という表現なら、適切な使いかたでしょう)
この「治す」という表現は、代替療法で際立ってよく使われる表現ですが、一方でABAをやっている親御さん・支援者からも割とよく聞きます。「修正する」「矯正する」という言いかたもありますね。
これもまた、ABAには「望ましい行動というものがあって、今はその行動がない」という構造で働きかけをするために出てくる表現なのだと思いますが、この辺り、「思想的に」ちょっと独善的というか、「いまある姿としての自閉症の人」を肯定する側面は弱いかな、ということはいつも感じています。
また、この問題は療法の側だけの問題ではありませんね。こういう「『治す』系」の療法ばかりを追い求めてしまうという、一部の親御さん・支援者のメンタリティにも目を向けるべきだと思います。
例えば、ハードなロヴァース的ABAとキレーション、GFCFダイエットの3点セットまとめてやる親御さん(下記の本はまさにそうです)は、科学的だからABAを選んでいるのではなく、「『治す』オーラ」が強く出ている療法を片っ端から選んでいるのだと思われます。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/121302929.html
はじめさん、
かずみさんのコメントでも書きましたが、「治す」とか「良くなる」とかいうのは、よくよく考えてみると、子どもを「第三者が勝手にあてはめた基準」と比較していることを露骨に示す表現です。
もちろん、よく寝て、よく食べて、よく運動することを否定するものではまったくありません。
でも、それをもって子どもの調子がよくなったことを「自閉症が『治る』」と表現するのは、ちょっとおかしな話ですよね。
さくママさん、
カンガルーケアについてのリンク先は、事実と憶測とが入り混じっていて、よく分からない論理展開になっていますね。
生まれた直後の赤ちゃんにはたくさんのリスクがあるのは間違いありませんから、カンガルーケアがそのリスクを増大させる可能性はありそうですが、それが具体的な障害とつながるのかというと??という印象です。
もう1つ言うなら、自閉症は脳の障害なので、脳にダメージを与えるような状況が起これば、自閉症のリスクが高まるというのは自然だと思います。
ただ、それは自閉症のリスクだけを高めるんじゃなくて、脳を原因としたあらゆる発達障害のリスクを高めるというだけのことなんじゃないかと思います。
ですから、「カンガルーケアが脳にダメージを与える場合もある」→「脳にダメージが加わった結果として、自閉症(だけでなく、脳起源の障害全般)のリスクが高まることもあるだろう」、という程度の妥当性はあるとは思います。(でもそれは「相当因果関係」とは呼べないようには思います。)
ただ、正直言うと、私はたくさんある「自閉症についての仮説」を個々に検証することについては、能力もないですしあまり関心も強くありません。
本当に信頼できる仮説なら、先の「信頼性の5ステップ」をちゃんと上がってきて、「定説」になるはずなので、そういう仮説が出てくるのを待っている、という感じでしょうか。
最後にさせていただきます。
反論しない。ではなく、議論しないという事でした。人には、それぞれの考えがあると思っていますから、わたしも今、考えを変える事はできませんから、
スカラベさんが、キカイ音のない民族を調べたら、とおっしゃって頂きました。それは、片岡直樹教授がしらべられました。未開の民族にはないと聞きました。先生の本の中にも書かれていると思います。
私は、残念ながら、ベムの手帳にも書かれているように、独学の素人です。科学的に証明しなさい!と言われても、する能力はありません。しかし、「問題行動と子どもの脳」を読んでいただきたいと希望します。
岩佐先生のこの主張は、つみきの会の方々も、自閉症協会の方も、ご存知でいらっしゃいます。
会員の方にアンケートをとって、「そら御覧なさい!まったく関係ありません」というデーターが出せるはずなのに、なさいません。
それをして頂ければ「科学的に反論できるはずなのに」と思っていました。
私の思い・治るとは、言葉を獲得してコミュニケーションがとれるようになる事、
情緒が安定する事、広汎性発達障害のさまざまな症状、
多動・偏食・こだわり・睡眠障害・協調性運動障害・社会性の障害・他・が、性格の範囲内まで改善される事
小学校の普通学級に入学できる事・・などではないかと思っています。
思いつくままに書いたのですが、細かくはまだいろいろある事でしょう。(逃げの姿勢)
たくさんの方がブログを書いて見えるのですね。ベムの手帳も、読ませていただきました。勉強になりました。
しかし、前途多難だと、思い知りました。涙・・・私の老いと、追いかけっこだなー・・・と。
しかし、カウンセリングをしているお母さんから、杉山登志郎先生が、最近出版された本の中に、
自閉症は早期の療育で治る可能性がある。と書かれていた。と電話で教えていただきましたが・・・
そうであってほしいですね!
「議論しない」というのは、これまで浅野さんにコメントを寄せられた方にも、率直にいって私に対しても、ずいぶん失礼な発言ですね。
「議論しない」なら、自閉症が治るとか効くとかいった「議論が必要な話題」を最初からここに書かないでください。
しかも、自分は議論しないと言いながら、私たちには「本を読め」とおっしゃる。本当に失礼な方です。
それから、効果が「存在しないことを証明しろ」というのは、「悪魔の証明」と呼ばれているもので、本末転倒です。
繰り返しますが、「効く」ことを、先のリンクの「ステップ5」のレベルで証明すれば「効果があると考えてよい」、それがなければ、「悪魔の証明」などなくても、「効果は見られない」と考えるのが合理的な考え方です。
さらに、「30年間もステップ1で門前払い」という状況が加われば、その療法は「誤りであり、効果はない」と結論してもいいでしょう。
それから、先のヒゲ達磨さんのコメントも、まったく理解いただけなかったようですね。
浅野さんが今回書かれたような「治る」の対象になっているものまで含めて、「ありのままの自閉症スペクトラムの人」はそこにあるのです。
浅野さんの今回の発言をみても、「性格の範囲」にまで「治って」いない人は、やはり「治す」対象なのですよね。
でも、浅野さんにとって「治す前」「治さなきゃいけない状態」も、その人にとってはありのままの姿であり、その姿を肯定されないことは、その人にとってはとても辛いことなのだ、ということを、ヒゲ達磨さんは書かれていたのです。
そのことを、まったく理解されていないように思います。
ヒゲ達磨さんのおっしゃるように、「治療」や「回復」の対象であるという扱いに、私も当事者として傷つかないわけではありませんよ。
しかしながら自ら多少なりとも学習、工夫をして「回復」(あるいは社会性の獲得)しようという努力はしてるし、その点はヒゲ達磨さんもご同様でしょう。
それに、あるがままの姿を肯定してほしいというのは、ちょっと他者に対して求め過ぎだし、おそらくヒゲ達磨さんもそこまでは求めてないのでは?と思います。そもそも、そういう当事者の立場や心情の機微が理解できる人はかなり少ないと思うので。
また社会には一定の割合で議論ができないひと、信念に凝り固まって考えを変えることができないひとがいるのも承知してます。
その際、凝り固まったひとを論破したり、考えを変えようと試みるより、
より妥当で正しい方法論を編み出したり、世に紹介して普及させるほうが、よほど重要かつ効果的で、
そういう役割は既にこのブログは十分に果たしていると思っています。
それでも傷つける事があるようなので、終わりにした方が、と思いました。
議論でなく、質問があれば、いつでもご返事します。今回は少し、議論させていただきます。
「・・・効果が存在しないのに証明しろというのは・・・」という言葉がありましたが、どういうことでしょうか?
キカイ音を100%除いて、少しの脳の成長を助ける栄養補助食品を摂り、ABAの環境教授法を少し頑張って・他・で2-3才の幼児ならば、かなり劇的に改善する子どもがある。という事は事実です。
なぜ、存在しない!!と、断定されるのでしょうか?断定できるのでしょうか?
それは、療育方法を探しているお母さんのためになるのでしょうか?
集中介入の文の中に、「…質と言う観点からは、情報量を減らさねばなりません・・・環境から、ノイズと呼べるような、余計な情報は徹底的にカットする必要があるのです。・・・」
テレビ・ビデオが原因とか、ということではなく、言葉を発達させる療育には、ノイズ・余計な情報を徹底的にカットする事が、良い事!として、大きく伝えていただけたら・・
療育効果があがり、子ども達のためになる、と思います。
幼児期の療育を考える(7)2006年の中に「・・・とても、残念なことですが、このような自閉症児が持っている困難は、一生を通じて消える事はありません。現時点で、自閉症が「治る」と自称している治療法は、すべて眉唾だという事が理解できると思います。
障害と一生付き合っていくことを前提として、子どもの生活・自活力・認知力を引き上げていくことをめざさなければなりません。・・・」
この文章はお母さんにとってかなりきついと思います。
幼児期の教育総論の中に
「・・・いずれにしろ私がより重要だと思う事は、家庭での「療育的な働きかけ」をすぐに開始する事です。・・・幼児期初期の働きかけが、自閉症の発達過程に大きな影響を与える。というのが研究者の間での共通の認識になりつつあります。・・・」」と書いてあります。
それによって、早期療育ならば、普通学級へ、性格の範囲内まで、の改善の可能性がある事を、お母さんが最初に知る事が出来たならば、どれほど、お母さんの元気が出る事かと思いました。
岩佐先生が言われた事ですが、「治った子」は、誤診でした」ということになるそうです。
障害から外れていった子のお母さんは、「うちの子はこうゆう方法で良くなりました」と声を上げる事はありません!なぜなら「治らないと思われていて、そういう目で見られるからです」
「怪しげな代替療法・民間療法の類がハエのように群がってくるから・・・」
本当にそうですね、お母さんが情報を選択するのが大変ですね!このホ-ムページがお母さんの力になりますように・・・
怒られると思いますが、「問題行動と子どもの脳」を読んで、ご批判をいただければ・・郵送しても良いです。
所詮素人の考えた仮定です。そらパパさんには読む価値などなく時間の無駄とお考えと思いますが。それでも、一度読んでから、批判していただきたいと願ってしまう私です。
また、「治す」という対象は、主に2-3才の幼児です。医師から「お医者さんでも、知らない事が書いてあったので、びっくりしました」というお手紙をいただいた事があったとしても、私は独学の素人の子ども好きの老人(自分は思っていないが)です。
岩佐先生はカウンセリングを止められましたが、私は、少し若いので、岩佐先生の主張を消すことはできない!と、思う気持ちで頑張っています。
長くなってしまいました。失礼な言葉がありましたら、お許しください。
コメントありがとうございます。
また、お気遣いいただきありがとうございます。
率直なところ、わたしも最初から浅野さんを「説得」する気はありません。
代替療法のビリーバーの方に対して説得を試みることは、多くの場合不毛な結果を生みますね。
でも、「議論」というのはそれでも成り立つわけで、そこでのやりとりは、議論の当事者だけでなく、それを周りで見る人にも「伝わって」いきます。議論の直接の相手は「説得」できなくても、それを見ている周りの人は、十分「説得」できる、と信じています。
ですから私としては、「議論の場で、『議論しない』という反論をするのは極めて失礼だ」というコメントを書くところまで含めて、「議論」をしているつもりではあります。そして、そのメッセージが向かっているのは、浅野さんだけではなく、「このやりとりを見ているすべての方」です。
もう1つ、「それによってお金を稼いでいる人」については、問題があると感じた場合には厳しく発言している、ということがあります。
このエントリの元々のテーマである「七田式」「七田氏」は言わずもがな、浅野さんも「ほとんど奉仕」と言いつつ、サプリメントだけで1家族から年間15万円ほども取っていらっしゃいます。
話題は少しずれますが、もう1つのホットトピックスである花風社についても、「経済的自立ができないのは恥ずかしい」という本を出して、そうでなくても経済的自立ができるかどうかというプレッシャーやストレスと闘っている親御さんや支援者、当事者の方に売ってお金を稼いでいらっしゃる。セミナーを開催して、「経済的自立が最高の親孝行(じゃあ対偶をとると、親不孝とは経済的自立できないこと?)」という話をして、かなり高いといわれる講演料を取っていらっしゃる。キレーションやGFCFダイエットをすすめる怪しげな本に賛同のあとがきを寄せてお墨付きを与えて、(恐らく)原稿料を稼いでいらっしゃる。
別に「嫌儲」を気取っているわけではありません。そうではなくて、まず第一に、お金を稼ぐということは、少なくとも稼いだお金に相当する社会的責任が発生するということ、第二に、「お金を支払う」側の皆さんに対して、エントリや議論を通じて本当にそのお金を払う価値があるのかどうかの情報を提供したいと考えていること、そして最後に、そこに「お金が稼げる」というインセンティブが働くとき、人はどうしても優先順位を変えてしまうものなので、「お金を稼ぐことが『支援』より優先するような逆転現象が起きてませんか?」という問いかけをしたいと考えていること、がその理由です。
(さらに最後にいうなら、ベストセラー「FREE」でも言われているような、価値のある情報でも無料で手に入る時代に、価値がなかったりむしろ有害だったりする情報や言説でお金を稼ぐ手法は、無料で有用な情報によって健全に淘汰されるべきだ、と考えているということもあります。)
まあ、確かに最近ちょっと腹の立つ話題ばかりで、表現はきつめになっているかもしれません。その点についてはおわびします。
浅野さん、
私はもう細かいところに突っ込むのはやめます。
やはり、こちらの言うことには耳を貸していただけないようで、改めて「議論をされていない」ことがよく分かりました。
一言だけいえば、浅野さんのやり方で「かなり劇的に改善する」という「事実」は、私から見たときには存在しません。
子どもは、放っておいても一定の割合で「劇的に改善する」ことがあるものです。その原因が特定の働きかけによるものであるかどうかは、ちゃんと統制の取れた実験をやらなければ検証できません。
例えば、私がメモ用紙にえんぴつで「じへいしょうなおーる」と書いて、100人の自閉症児に貼り付ければ、発達のばらつきにより、1年後に「劇的に改善する」子どもが2人や3人は必ず出てきます。あとはこの手法に適当に理屈をつけて、劇的に改善したお子さんのエピソードだけを紹介すれば、新しい代替療法「貼り紙療法」の完成です。
この貼り紙療法は、その後も100人につき2~3人の「劇的に改善する子ども」を生み出し続けることができるので、「1万件のカルテ」が集まれば、エピソード満載の本格的な本も書けますね。ついでに適当にブレンドしたビタミン剤でも売れば、もっと儲かるでしょう。
こんなやり方でもし30年も続けられるなら、お金儲けとしては悪くない話です。でも、ちゃんと実験すると「効果のない97~98人」の存在がバレてしまうので、実験はせずに「エピソード」で語り続けることが重要です。
・・・お分かりでしょうか。
「こんなに良くなりました!」というエピソードにも、「効果があります」と語る「専門家の意見」にも証拠力はなく、ちゃんとした実験が必要だというのは、そういうことなのです。
繰り返しますが、ちゃんと実験すれば、「効果があるという事実」はすぐに分かるのです。期間も、1年もあれば十分です。
それが30年たってもできないわけですから、浅野さんなり岩佐氏なり片岡氏なりのやり方で改善するという「事実」は、「ない」のです。
「劇的に改善した子どもがいる」ことだけでは「効果がある」ことの証明にならないというのは、ちょっと難しい考えかたかもしれませんが、療育についてのとても重要な「クリティカル・シンキング」の1つです。そのことを理解せずに「改善した子どもがいる」→「効果があるのは事実」と誤った主張をされるのは、わらにもすがりたい親御さんに誤った期待を持たせる、不適切な行為であると考えます。(「改善した子どもがいる」→「効果があるのは事実」がなぜ誤りなのかが分からなければ、もう「働きかけの効果」について語るべきではないと思います)
それから、2~3歳かそれ以下の乳幼児にも、「ありのままを肯定される権利」はあると私は思いますよ。むしろその必要性は、より大きなお子さんより強いくらいではないでしょうか。
やり方が野暮に過ぎると思います。
明快な回答をありがとうございました。出産は、母子共に命の危険始め、さまざまなリスクと隣り合わせです。ある種、今は流行りとなっているカンガルーケアにも当然リスクがあるのですが、母乳育児と同様、リスクは説明されずにメリットの面ばかりを強調されることが多いので、リスクの面も認知されるようになれば、と思いました。
しかし、それ自体に自閉症発生の直接の因果関係があるとは確かに言えないですね。様々ある仮説に振り回されることなく、「信頼性の5ステップ」を上がってくるものを待つ、という態度はとても大切だと思いました。ありがとうございました。
他のことで、少々気になったことがあるので、少し。
そらパパさんは、「一般化障害仮説」の中で、自閉症とは、脳に抽出された情報を一般化する処理に障害がある、ということをおっしゃっていたように思います。抽出と一般化のバランスが取れていないことが問題なので、最初に与える情報量の制限をすることも療育の中に含まれる、というようなことも書かれていました。
逆に言うと、抽出作業に問題ない、あるいは優れている場合、情報を与えれば与えるほど、抽出量が多くなり、それ故バランスが大きく崩れ一般化がより一層困難となり、自閉症の症状が強く現れる、ということはありませんか?
七田式や、浅野氏らが言う、自閉症TV(キカイ音)原因説は、そのひとつの症状を指している、ということにはなるのではないかと思うのですが、いかがでしょう?TVなどは、映像・音声が絶え間なく流れ続け、情報量としてはとても多いように思います。TVを消したら言葉が増えた、という例は、「一般化障害仮説」の中の、与える情報の制限による、バランス化にあたるのではないか、と思いました。
私の理解に間違いがあれば、指摘をよろしくお願い致します。
「キカイ音の有無や程度が自閉症の原因、もしくは増悪に関連している」ということが、明確に証明されていてから、次の段階でそらパパさんの「一般化障害仮説」の中でそれをどう位置づけるか、という問いかけだと思います。
そらパパさんのキカイ音説への評価は、>先の5段階のチャートの「ステップ1」で門前払いされてしまう程度の「極めて信頼性の低い」情報<だと思いますので、自ずから、その問いかけ自体がそらパパさんにはナンセンス・無意味な疑問に思います。
めえめえさん、
館の掲示板などでお見受けする同名の方でしたら成人の方だと思いますが、このプログの読み手は、親や支援者の成人の方だと思います。浅野さんもそうです。当事者は、幼児、学童の年齢層だと思います。
この年齢層では発達障害の有無にかかわらず、親や兄弟、家族は重要な主要な対人環境だと思います。そこで、治すというスタンス>どこかに『あるべき姿・状態』があって、今はその姿・状態ではない<で親が子に接することは「今、目の前にいるこの子は、治っていない回復していない偽の子供=欲しくない子供」というメッセージを有言、無言で伝えることになる。それは、当事者・子の自己肯定感を害い、自己否定感を強めるものだと、一当事者は思う。それを読み手の親や支援者、浅野さんに伝えたかったのです。
それ、自己肯定感を害い、自己否定感を強めるのは、貴女が意図したものではないですよね?善意を裏切る結果ではないですか?と問いかけたのです。決して、当事者に「あるがままの姿で自分をそのままで受け入れよ」と周囲に求めよというのではありません。
ところで、「あるがままの姿(自分)」って何でしょう?自問自答しています。
議論については了解です(^_^)/
相手がそれによってお金を得る立場の場合、確かにお社会的な責任のあることを考えると、少なくとも支払うべき対価に見合う価値ある情報・サービスを提供しろと要求していったほうがいいんでしょうね。花風社の件にしても…
それにしても、自らを客観視することができる、できないはどこで分かれるのだろうと不思議です。以前、自尊感情が低過ぎるのも高過ぎるのも問題がある、という本を読みました。ほどほどの自尊感情というのは、よく言われるように非定型にとっては難問ですが、もしかしたら定型にとってもかなり難問なのかもしれませんね。
ヒゲ達磨さん
勝手に引き合いに出してごめんなさい。
私はヒゲ達磨さんもご存知の通り、当事者でもあり、PDD児の親でもありますから、ヒゲ達磨さんのおっしゃる
>当事者・子の自己肯定感を害い、自己否定感を強めるものだと、一当事者は思う。
というポイントは了解しているつもりではあります。ただ、ヒゲ達磨さんのおっしゃるような「産まれてきてごめんなさい」という感覚はありません。
子育てに当たっては、「親はあっても子は育つ」ぐらいのつもりでいます。「万能感の錯覚」の対極かもしれません(苦笑
しかしおっしゃるとおり、幼い子にとって親・家族というのは重要かつ主要な環境ですから、親の立場に立つ上では十分に注意したいところですね。
ここらへん、(館でも以前ご紹介しましたが)『発達障害の家族支援』(中田洋二郎)で詳しく取り上げられています。
>「障害を認識するためには自らの意思での障害の理解が必要であるが、このことは(中略)自己同一性の確立と深く関連している。本人の障害の認識の援助を思春期における自己同一性の問題ととらえ、幼少期からの自己形成を支えることが必要である」
今のところ、親の養育態度として私は上記を心がけているつもりですが、そもそも障害ではない(一生抱えるものではない、治るもの)という前提なら、このような視点は必要ないので、平行線だろうなーと思った次第です。
幸い、そらパパさんやかずみさんたちにはきちんとヒゲ達磨さんの主旨は既に伝わっているようなので、余計な横レスでしたね。ごめんなさい。
なお、”障害か個性か”という項目も上の本で詳しく取り上げられていています。
今手元にないので確認できませんが、障害というのは一義的な用語ではなく、そらパパさんが別のエントリーでも触れられてるような handicap (社会的障壁) の側面もあること、また障害か個性かというのは発言する主体の立場(当人か家族か支援者か)によっても意味づけが異なる、といったことが書いてありました。
当たり前といえば当たり前ですが、わかりやすく整理してあるのでお勧めです。
さくママさん、
すでにヒゲ達磨さんからのコメントもありますが、老婆心ながら1つアドバイスを。
自閉症についてある主張があったとして、それをざっとレビューして「ああ、これは信頼性の低い情報に頼っているな」ということが分かったら、基本的にそれ以上深入りしないことが、リソースの節約になると思います。
それに加えて、下手に代替療法に足を突っ込むと、「ミイラとりがミイラになる」ことも往々にしてあるので、用心するに越したことはありません。
一応、ご質問についてお答えすると、浅野さんの主張と比較して、一般化障害仮説で「刺激を整理しましょう」と言っているのは、そもそもキカイ音を消せというのとは無関係ですし(キカイ音であってもうまくコントロールされた刺激であれば望ましいものだといえますし、逆も同様です。つまりキカイ音であるかどうかは、私の主張とはまったく無関係です)、私はそれによって「自閉症が治る」とも言っていません。そういう特性があるなら、それに応じた対応をすればうまくいく(治るわけではない)、ということを言っているに過ぎません。
めえめえさん、
自分を客観視できる人は、究極的には「いない」と思います。
というより、そもそも「客観的な自己」というものは、実はどこにも存在しない幻想です。
そして、健全に人生を歩むことができる「ほどほどの自尊感情」というのは、実はものすごく楽観側に寄った「客観的でない」自己評価によって初めて支えられるものだったりもします。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/105091473.html
ですから、今回の話題は、自己を客観視できるかどうかという問題というよりは、「自分のまわりの世界で起こっていることの因果関係などをどうとらえるか」、つまり、クリティカル・シンキングの問題なんじゃないかな、と思います。
もうすぐ3歳になる自閉症の男の子の父親です。
上での議論を読んでいて、思ったことを。。
浅野さんの主張する「事実」とやらは確かに存在するのでしょうが、それが存在することと、浅野さんの「自閉症を回復させる方法論」の正しさとは結びついていないのですね。
また、言語を獲得すれば自閉症が回復したというのも、誤った認識だと思います。
私の息子の場合、2歳2カ月の時に言語を獲得したことで、私は我が子が自閉症であることを確信しました。
言葉へのこだわりや興味の限局が否応にもハッキリしてしまったこと、また、言語そのものが目的化してコミュニケーションに活かせ
ていないからです。
自閉症は問題行動自体にどうしても目がいきがちですが、根源的な問題が何なのかを常に意識することが大切ですね。
そらパパさんのブログを見ているといつも力が与えられるような気がします。
そらパパさんの療育への姿勢もですが、コメントを寄せている当事者の方々のご意見も素晴らしいです。
自分の息子にこれからどうやって向き合えばいいのか、私にとって大きな示唆を与えてくれます。
以前そらパパさんが、様々ある仮説や状態をひとつの仮説で説明できれば、その仮説の方がより精度が良い、というようなことをおっしゃっていたので、「キカイ音の有無や程度が自閉症の原因、もしくは増悪に関連している」かどうか、証明されている・いないに関係なく、「TVを消したら言葉が増えた」という現象があったのだとしたら、子供にとっては、「TVのような大勢に向けられた情報を一方的に流しているもの」が「母親からの言葉かけのようなピンポイントに情報が流れるもの」に置き換わることが、刺激の制限に相当する<<場合がある>>からなのではないか?というのが、私の疑問だったのですが、確かに仮定の上の話をしても、意味がないことなのかもしれません。
それから、繰り返しで申し訳ないのですが、
>逆に言うと、抽出作業に問題ない、あるいは優れている場合、情報を与えれば与えるほど、抽出量が多くなり、それ故バランスが大きく崩れ一般化がより一層困難となり、自閉症の症状が強く現れる、ということはありませんか?
こちらの方にはお答え頂けませんか?「自閉症の症状が強く現れる」という言い方が適切で無ければ、「混乱やパニックをより強く引き起こす」と言い換えた方が良いのかもしれません。未整理の情報を与えられると自閉症児は辛くなる、のはなんとなくわかるのですが、それによって「自閉症が悪化」するわけではなく、パニックや混乱を引き起こすことで、その間、その子の成長が妨害されてしまう、ということなのでしょうか??色々質問ばかりですみません。
>バランスが大きく崩れ一般化がより一層困難となり、自閉症の症状が強く現れる、ということはありませんか?
この点は、ライブ・自閉症の認知システム (7)「知識とは」とは「一般化された経験」のこと、
以降で扱われるのではないでしょうか?
(7)には、>「安定した世界観を得ること」、これと一般化も関係しています。<とあります。
私としては、「乞う、ご期待」といわれて、早く次号は出ないかと待っている心持ですが、、、
性急に返答を求めるより、そらパパさんの考えをじっくり伺いませんか?
おっしゃるとおり、個別のエピソードとして、ある代替療法をやったらよくなった(という事実を観察した)、ということと、その代替療法に効果があるということは、まったく別の話です。
代替療法をやっている人は、この辺りを善意でか意図的にかは分かりませんが無視して、実際によくなった人がいるんだから効果があるんだ、という「誤った結論づけ」を行ないます。
これは、「私がでかけようとすると雨が降るということがあったから、私は雨女(雨男)だ」という主張とほぼ同じ構造です。
人は、因果関係のないところにも因果関係を見出してしまう(それも「一般化」という大脳の情報処理の仕組み、脳が手抜きをして環境に適応するための仕組みと関係があるのでは、というのが私の仮説ですが)認知傾向があり、代替療法のエピソード主義というのは、それにうまく乗っかっていると言えるでしょうね。
さくママさん、
以下は、浅野さんの主張とは無関係な、私自身の考えかたということでご理解ください。
まず、「TVを消したら言葉が増えた」という事実はない(これは既に書いたとおり、30年間証明されていません)ので、このご質問自体がほとんど意味を為さないというのはヒゲ達磨さんのご指摘のとおりです。
それでもあえて仮定の話に踏み込むとすれば、TVを消すことで「言葉が増える」ことがあったとして、それがなぜ起こっているのか、発達の遅れにいい影響をもたらすものなのかというのは、高いところにある仮説からいきなり答えを出すんじゃなくて、まずは行動主義的にボトムアップで機能分析する必要があるでしょう。例えば、そこで増えた言葉が、単に「テレビを見せろ」という要求だったり、テレビで余暇を過ごせないことによる(代替行動としての)常同的なひとりごとだったとしたら、少なくとも「情報のコントロールによって『適切な刺激』を与えている」ということにはならないでしょう。
さらに、ある瞬間瞬間で「言葉が増える」ということが起こっても、それがより長いスパンで見て「発達の遅れを改善する」ような効果があるかどうかは、また別の問題です。
テレビを(少なくとも短時間)見せることは、親だけでないさまざまな人の社会的なやり取りを観察する機会を与え、発達にプラスの影響を与える、という主張もあるようです。テレビを見ていてもその子のことばは増えたかもしれません。ですから、「TVを消したら言葉が増えた」という表現はまさに「代替療法のレトリック」にはまっているものであって、「TVを消したら、TVを見せているよりも有意にことばが増えて、しかもそれは長期的な発達にもいい影響がある」でなければならないわけです。
(代替療法の主張には、こういった論理の巧妙なすりかえやレトリックが無数に散りばめられていますから、「ミイラ取りが・・」になりやすいわけです)
ヒゲ達磨さん、
お気遣いありがとうございます。
「自閉症の認知システム」、楽しみにしていただいてありがとうございます。このシリーズ記事は、次回あたりから一般化障害仮説についての話題に入っていく予定です。
(ただ、来週の月曜の記事は、いま話題の「代替医療のトリック」 http://bit.ly/aBoFHT のブックレビューになる予定です。)
さくママさんからいただいたご質問については、「そもそもこの仮説とキカイ音説は関係がない」ため、次回以降の「認知システム」のなかでも直接お答えするような内容が出てこないので、その旨、今回のコメントでお答えすることにしました。
レス有難うございます。
>子育てに当たっては、「親はあっても子は育つ」ぐらいのつもりでいます。「万能感の錯覚」の対極かもしれません(苦笑
はい、こんな親でも子は育つですね、はい私もそうです。それを支えているのは、子の秘めている成長力への信頼感だと思います。私のようなAS親という障害物?があっても、子自身の秘めている成長力で、育っていくという楽観的信頼ですね。
自己同一性・アイデンティテーの確立ですか、、、この話題、そらパパさんは
>障害と「経済的」自立、「精神的」自立について<
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/138695804.html
で取り上げてますので、そちらに今後は書き込むのが良いのかな?と思いますが、万能感という点にしぼって愚見を書き込みます。
自己同一性・アイデンティテーの確立は、社会や世界での己の立ち位置を自己決定するということですから、自分で自分の可能性を制限することであり、当然、万能感や全能感を自己放棄することです。今の日本では、大学生への調査で、自己同一性達成が4割強、自己同一性拡散も4割強、1割強が早期達成だそうです。
社会に出て年を重ねれば、自己同一性達成が増えるとは思いますが、少なからず、自己同一性拡散・・全てのことが可能だし可能なままにしておかなければならないという人や
早期達成・・何ら危機的なものは経験せずに、知らずしらずのうちに親などから受け継いだ生き方に傾倒している。自分の目標と親の目標の間に不協和がない。(別名・・権威受容地位)どんな体験も、幼児期以来の信念を増強するだけになっている。硬さ・融通のきかなさが特徴的な人が親になると思います。
こうした人が、発達障害に限らず、障害を持った子を授かった時に、どのような行動・反応を示すでしょうか??
早期達成の方は、「障害者は庇護しなければならない」という社会常識に従って養育をするでしょう。一方、「五体満足が望ましい子」という常識に傾倒しています。五体不満足なわが子は、その理想の子とは違うのですから内心では拒絶するのではないでしょうか?>どこかに『あるべき姿・状態』があって、今はその姿・状態ではない<という思いを抱いて、あるべき姿にしようと懸命に治療に奔走するのではないでしょうか?
子は親にとって自分の分身、自己愛の対象という面があります。
自己同一性拡散の人にとって、「全てのことが可能」な自己の分身である我が子が障害を持つというのは、著しく許せない現実、自己愛が著しく傷つけられるのではないでしょうか?その傷を「全てのことが可能」な自己の力を持って、治そう癒そうとする=子供を治療することに執着するのではないでしょうか?
どちらも、今、目の前にいる我が子を見ていないのは、現実を受け入れていないのは同じです。
障害を持った子を授かるのは、大きな自己同一性での危機ですから、そこをくぐり抜けて、自己同一性達成に至る方も多いとは思いますが、
テレビを見ることと自閉症の症状と、その無関係さを丁寧に説明して頂き、ありがとうございました。代替療法家がよく「テレビに子守をさせるな」と言うのは、「母親はもっと手をかけなければならない、まだまだ愛情が足りていないぞ」という一種の脅しと罪悪感の植え付けだと理解していたのですが、そらパパさんの仮説が全くの無関係だということがわかり、私個人としてはホッとしています。
一般化障害仮説に対する私の質問は、そらパパさんの第一作目やwebの記事やコメントの議論等を読んでもいまいち理解が及ばなかった点なのですが、ヒゲ達磨さんのおっしゃるように、今後の連載で扱われることを期待して、待つことにします。
私が特に興味があるのは、未分化の情報に晒され続けること、または抽出される情報が拡大するほど、一般化を請け負う機能がさらに低下(=自閉が悪化)していくのか?という点です。楽しみにしています。
「代替療法のトリック」は私も読みました。序盤からひきこまれて、一気に読めました!とても刺激的で面白かったです。レビューも楽しみにしています。
雑談になりますが、代替療法では、食べ物に関しても何が悪いとか色々と取沙汰されますが、
『食のリスク学―氾濫する「安全・安心」をよみとく視点』 (単行本) 中西 準子 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4535585741
は、とても参考になりました。とくに費用対効果の視点を、改めて考えさせてくれました。
100人の自閉症児に張り紙をして・・・
出かける時に雨がふったら、雨男・・・の例には唖然とします。
自閉症の困難は、コミュニケーション・社会性・創造性の障害ですね。言語コミュニケーション障害と非言語コミュニケーション障害があり、言語にも発語と理解言語があります。
回復した。と言っても、性格の範囲内、1割ぐらいの不十分さが残ります。
情緒障害もあり、それが強く残ると、反抗挑戦性障害と言って、こまることになります。しかし、これは2次障害とも考えられ、対策があります。
私の綜合療法で、回復するという事は、性格の範囲内まで、すべてが改善するという事です。
可能性はあります。早期療育ならば、
私の仮説は、乳児期の場合、聞こえ続けるキカイ音の処理のために脳内で、栄養が使われて、本来育たなければならない機能が障害を受けた事。プラス機能障害と考えます。
だから、キカイ音を除いて、脳に栄養を補給すると、言語だけでなく、多動・偏食・便秘・睡眠障害・運動協調も改善・良く笑うようになり、情緒も安定してきます。
もちろん、2年ぐらいは真剣に取り組まなければなりません。(ブログのYくんの例など)
自閉症スペクトルの幼児ならば、7割以上の子が、普通になれる可能性があります。信じられませんか?
こうした場を与えてくださった事に、感謝します。終
神様はいるとは証明できないけれど、信じる者は救われるのですよ~みたいな。
この「幸運の壺」を購入して毎日お祈りするだけで7割の人が幸せを手にした実感を持ってます(証明できないけど信じて~!)、と言われても普通の人は「あやしいw」と思うだけですよね。
さて、近頃「ベムの手帳」で検索して拙ブログへお越しになるかたが何人かいらっしゃいますが、正確には「ベムのメモ帳」です。
上のほうで浅野さんが仰っているのはこの記事のことです。
http://d.hatena.ne.jp/bem21st/20081121/p1
テレビにしてもワクチンにしてもカンガルーケアにしても、おおよそ代替療法が病気とか障害とかの「原因」と称するものは、よかれと思って、あるいは特に意識することなく当たり前に行なった行為が、取り返しのつかない結果を生んだのだと称する「脅し」的なものが多いですね。
環境を整えずに自閉症児を育てた場合と、環境を整えて育てた場合とでは、もちろん発達の姿は変わっていく可能性があるでしょう。
ただその推移のうち、一方を「悪化」とか「低下」と安易に呼ぶのはちょっと危険だろうと思っています。
脳は、常に環境とのかかわりを最適化するように働きます。
自閉症というのは、その「最適化」のために決定的に重要な「一般化」という脳の情報処理に問題がある、というのが私の仮説ですが、仮にそうだったとしても、その条件の下で、脳は「最適化」され続けます。
「整った」(これ自体にも定義が本来は必要です)環境での子育ては、自閉症児が環境から得られる知識の量や質を高める方向に脳の最適化を推し進める効果があるかもしれませんが、もしかするとその一方で、外界からの情報の取り込みについて、「整った環境」を前提とした最適化が起こっているかもしれません。
「整っていない」環境での子育ての場合は、脳は、そういう環境、かつ、「一般化」にも問題があるという悪条件のなかで、環境とのかかわり方を「最適化」していくことになります。たとえば、ことばも獲得できず、絵カードのようなAAC手段もない環境におかれた自閉症の子どもの脳は、それでも生き延びていくために、欲求をパニックで伝えるという「最適化戦略」を獲得するでしょう。
でも、どちらも「発達」です。子どもの脳が環境に最適化されていく過程を、私たちは「発達」と読んでいるのです。そこに優劣をつけるのは、私たち(もしくは社会)の主観にすぎません。
(まあ、ですから逆に、「社会が障害を規定する」という立場からすれば、後者のほうが「障害が重くなった」と表現するのは正しいとも言えるのですが)
療育というのは、「私たちがよかれと考える方向」に、発達の方向を微調整する営みだといえます。(「発達」そのものの大きなダイナミズムに対しては、恐らく私たちは無力です。せいぜいできることは、微妙な方向修正だけでしょう。その辺りについては、下記の記事で書きました。)
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/102792094.html
ですから、「療育」に関しては「こうすれば良くなる」みたいな表現はアリでしょうが、理論とか仮説のレベルで議論をしているときには、「『良く』なる」「『悪く』なる」という表現をとるのは、ちょっと危険じゃないかな、と思うわけです。
浅野さん、
7割以上も「普通」になれるなんて、すごいですね。
だとすると、「1万件のカルテ」や「二千件の臨床例」がある岩佐氏や片岡氏のところには、それぞれ7000件以上、1400件以上もの「普通」になった例があるはずですから、大々的に学会で発表されたらいいのになあ、と思います。
それなのに、なぜか30年たってもまともな学術論文も出ず、なぜか岩佐氏のクリニックは維持できずに閉鎖されたのですね。不思議なことです。
それと、繰り返しになりますけど、「普通」になる、という表現は、あまり適切ではないと思います。
tariraさん、
コメントありがとうございます。
「科学的に証明できない」のに、「改善する」と断言できるのは、とても不思議なことですよね。
ベムさん、
コメントありがとうございます。
今回の件では、記事ともどもお世話になりました。
発達のとらえ方、療育のとらえ方、とっても参考になりました。なるほど☆
難しい言葉がたくさん出てくる議論は私には難しくてスルーしてしまうことも多々ありでしたが、ひとつ前のコメントはとても分かりやすく、すっと納得できました☆なるほどぉ~☆
私たちに出来ることは、微妙な方向修正なんですね。
コメントありがとうございます。
>私たちに出来ることは、微妙な方向修正なんですね。
はい、私はそうだと考えています。前回のコメントでも引用しましたが、
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/102792094.html
こちらの記事で、そのあたりを書いたことがありますので、そちらもぜひ参照いただければと思います。