子育てプリンシプル
著:奥田健次
一ツ橋書店
親に求められる姿勢
典型的なダメ親とは
わが家のルールのつくり方
家庭でのルールの守らせ方
親と子の立場と役割
目指すべき家族のあり方
「子ども」の奥田流分類
自立をうながす育て方
ストレスを乗り越えさせる
子育てに役立つ催眠,魔法
失敗経験から学ぶこと
効果的な目標設定の技術
うまい叱り方とダメな叱り方
動因と抑制のバランス
公共心と私心
演出家,プロデューサーになる方法
感情コントロールの大切さ
携帯電話
奥田氏といえば、先日「自閉症児のための明るい療育相談室」(共著)を高く評価したばかりですが、残念ながらこちらの本は、少なくとも私には合いませんでした。
本書は、療育本ではなく、「辛口の子育て本・ABA風味」といった趣きの本ですが、奥田氏の主張を強く押し出した内容になっていて、明確に「著者の思想を読ませる本」になっています。
では、その「思想」とはどんなものなのでしょうか。
それが端的に分かるフレーズをいくつか引用してみます。(太字は私によるものです)
私流の言い方をすれば、”ムードに流されている”のです。戦後日本の親のほとんどが、このようなムードに流される親です。(初版27ページ)
では、次の「クラゲ家族」です。クラゲはゆらゆら揺れていますね。この家族は「煉瓦塀家族」の対極にあり、しっかりした構造がない家族です。戦後日本の多くがこの「クラゲ家族」。(中略)家庭の問題ではなく、戦後日本の大人の多くがこれでしょう。(初版67ページ)
私が日本中回って出会う家族のほとんどが崩壊しかかっています。このような家族の話を聞くと、感動しますね。土台家族は戦後日本の少数派ですから。
こうした家族が増えていけばいじめは減り、子が親を、親が子を殺す悲劇も減少するでしょう。(初版72ページ)
会津白虎隊の母たちの「ならぬことはならぬ(だめなものはだめ)」の精神を見習いましょう。(初版84ページ)
やはり、「かわいい子には旅をさせよ」と言った昔の人は偉かったのです。(初版102ページ)
社会にでよう、会社のためにがんばろう、地域社会に貢献できる人になろう。そうした気持ちを育てるには、公共心がないと駄目なのです。戦後の日本人に欠けている価値観のひとつです。(初版158ページ)
未成年者飲酒禁止法が施行されたのは大正一一年ですが、その頃国を動かしていた幕末生まれ、明治生まれの人は偉かったといえます。(初版198ページ)
この世の中全体は、どんどん悪くなるでしょう。よくなることはけっしてありません。(初版212ページ)
これでも全部拾いきれていませんが、本書の基本的なスタンスははっきり見てとれるでしょう。
ここにあるのは、強い「戦後カルチャー」全般の反発と、「古きよき日本」へのノスタルジーです。
著者の奥田氏はこちらのプロフィールを見ると1972年生まれということで、戦後(それも高度成長が終わった後)しか経験していませんから、ここで言っている「古きよき(戦前の)日本」というのは、伝聞から想像した、ないしは自分の祖父などの印象を一般化した「昔の日本」なのでしょう。
本当にそんな「古きよき日本」なんてものが実在したのか、そして、それをベースに戦後の日本、さらには戦後の日本人の親の人格全般まで批判することにどれほどの正当性と説得力があるのか、私にはちょっと分からないです。
さて、本書は、「私(奥田氏)が説明する、親としての『正しい』子育ての原理・原則=プリンシプルを確立して、断固たる態度で子育てすべきだ(そうでない親は「おろか」(28ページ)で「滅びる」(49ページ)そうです)」というメッセージを発している本です。
ですから、読者である私たちは、著者が主張する「原理・原則」とはどのようなものであるかを吟味していく必要があります。
本書の「プリンシプル=原理・原則」には3つのレイヤー(階層)がある、と私は考えています。
そのレイヤーを、より「基礎的な」ものから順に並べていくと、
(1)行動理論(ABAの基礎理論)の「原理・原則」に基づいた子育てをすべきだ---まあこれはいいでしょう。検証もできますし。
(2)親は、確固たる「原理・原則」に基づいて子育てすべきだ---これも「主張」としてはありでしょう。ちょっと硬直的ですが。
でも本書ではさらに進んで、(3)「親が持つべき正しい『原理・原則』はこれこれである」---と、特定の価値観・倫理観の「正しさ」にまで踏み込んでいます。これは、成り立たせるのが非常に難しいタイプの主張ですが、残念ながら本書はこの部分で失敗している、というか、むしろこの部分が特に根拠に乏しく大雑把な議論になっていて、(1)(2)と比べると著しい落差を感じます。
実は、先日殿堂入りさせた「自閉症児のための明るい療育相談室」の奥田氏の著述についても、療育テクニックの部分以外で、ちょっと気になる点がありました。
それは、やはり本書と同様に、「昔の日本はよかった」とか「欧米の親は日本人よりしっかりしてる」とか「がばいばあちゃんは立派だ」とか、そういう、明確な根拠が示されていない割には強い価値観・批判を伴った記述があちこちに見られる点です。
あちらの本では、それらは有用な療育テクニックの記述のなかに時おり現れる「枝葉末節」に過ぎないのであえて触れませんでしたが、こちらの本はまさにその部分を抽出して「親は、子育てはこうあるべきだ」と強く主張・批判している本ですので、無視することはできません。
本書を読んでいると、著者である奥田氏の思想的な矛盾を、いくつか感じます。
第1に、レイヤー(1)(2)の「原理・原則」が依拠している「エビデンスベースド」な立場が、レイヤー(3)ではすっかり抜け落ちていることです。
奥田氏が属する「ABA陣営」は、自分たち以外の(エビデンスベースドでない)陣営が主張する「療育の成果」を、結果としてうまくいったように見えるエピソードだけを抽出し「解釈」しただけの迷信に過ぎない、と厳しく批判します。
だとすれば、結果として成功した昔の人のエピソードだけを抽出し「解釈」しただけで「昔はよかった」という主張をすることは、避けなければならないはずです。
もしも「昔はよかった」という主張を、他の人にまで押しつけるレベルの「原理・原則」に引き上げたいのなら、それもまたしっかりと社会学的に検証するなりしたうえで、エビデンスベースドな形で提示すべきでしょう。そうでなければ、それは「原理・原則」ではなく、ただの個人的な好みとかイデオロギーでしかありません。
第2に、レイヤー(2)では「強権的なだけの親はダメ」と言っている(63ページ~)のに、レイヤー(3)の主張では、結局、権力志向になってしまっている点です。
この辺り、著者の主張が非常にぐらついていて、何を言いたいのかよく分からない(つまり、「強権的」と「原理・原則的」の境界線が極めてあいまい)のですが、どうも、「強権的な親」と「原理・原則の親」の違いとは、硬直的なルールで頭ごなしに抑えつけるのではなく、子どもとのコミュニケーションや状況判断を通じて、子育てにある程度の柔軟性を持たせるかどうか(持たせないのが「強権的」で、持たせるのが「原理・原則」)あたりにあるようです。
だとすると、「昔はよかった」で出てくる「戦前の親」は、著者の文脈では「強権的な親」ではなく「原理・原則の親」だったことになるはずですが、それを証明する記述はどこにもなく、ただ「良かった、良かった」と書いてあるだけです。
あえて拾うとすれば、先の198ページの引用で「未成年の飲酒を禁止した昔の人は偉かった」というのがやや具体的ですが、全面的に禁止してしまうやり方は、やり方それ自体としては、どちらかといえば「強権的」であるように思われます。
それに、「昔」と「今」を比べるのなら、私たちが生きているのは「今」なわけですし、「ある程度の柔軟性をもって判断していく」という、「強権的でない」判断基準をもつためには、むしろ「昔」を振り返るのではなくて、「今」何が求められているのかに目を向けるべきではないでしょうか。
劇的に子どもをとりまく環境が変わりつつある現在、視線を過去に向ける「原理・原則」に、いまの子どもが将来にむかってsurviveしていけるだけの叡智が含まれうるかどうかは、厳しく検証されなければならないはずです。
それなしに、素朴な「昔はよかった」的立場から、「子どもの携帯電話は禁止すべき」とか「ニートやひきこもりは社会ではなく親(家庭)のせい」(86ページ)とか「がばいばあちゃんの昔気質の子育てを見習おう」(110~111ページ)とか「TBS『ガチンコ!』のBE-BOP予備校企画の指導は素晴らしい(129~134ページ)」といったことを主張するのは、やはりどう考えても硬直的かつ「頭ごなし」で、まさに、レイヤー(2)で否定しているはずの「強権的な子育て」を、実は著者が強く志向していることを示唆します。
結局のところ、著者の頭の中にある「原理・原則の子育て」とは、実際には「多少聞く耳はもちつつも、最後は親の価値観を強権的にでも通す子育て」なのだ、ということなのかもしれません。
親の決めたルールを守れなかった罰として子どもの携帯ゲーム機を叩き壊した親を、「おかげで、この子どもさんは高校生になった今、両親を尊敬し、規律正しい青年に成長しました」と賞賛するエピソード(196ページ)などを読んでいると、そう感じずにはいられません。(ちなみに、その2つの間に因果関係を主張するのは、ABA的視点からは相当厳しいことのように思われますが・・・(^^;))
・・・言うまでもありませんが、上記は私の「個人的好み」による読み解きに過ぎません。
200ページ以上ある単行本にしては、1000円(税別)とかなり安い値段設定になっていますから、興味のある方はお読みになって、ご自身で評価されるのがいいと思います。
※その他のブックレビューはこちら。
この本も、店頭で見たら買ってしまったかも知れません。危ないところでした。奥田氏の主張は、blogで拝見しているので、買わずに済んませます。
コメントありがとうございます。
もう1冊のほうを殿堂入りまでさせて、こちらを批判的にレビューするということについて、正直、こういう記事の出しかたをすべきかどうか迷ったのですが、逆に、私が奥田氏を全面的に支持しているととらえられてしまうと、それはまったく本意ではないので、あえて2週連続で(記事的にも時間的にも近い間隔で)ほとんど正反対のレビューを書かせていただきました。
私も奥田氏のブログは拝見しています。
もう本人による更新はされていませんが、過去ログをみると、なかなかすごいエントリが並んでいるなあ、と思います。
http://kenjiokuda.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_f2bd.html
http://kenjiokuda.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_eb8b.html
http://kenjiokuda.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_accf.html
コメントありがとうございます。
私の知人が言うには、かなりきついことをいうようで、厳しい指導を理由に理不尽なことを言うようだとのことでした。
専門家という肩書きに親はすがりたい気持ちもわかります。
コメントありがとうございます。
まあ、著者自身のブログ(というか、事務局みたいなところが「主語」になっている不思議なブログ)ですから、そこに否定的なことが載らないのは当然といえば当然だと思います。
私自身も、奥田氏の指導スタイルについては聞いたことがあり、その聞いた話だけからでは、よく言えば厳しい、悪く言えば「尊大な」印象を受けました。
とはいえ、奥田氏は行動療法家としては優れたノウハウを持っていらっしゃいますので、個人的には著作を通じてそちらだけを参考にしていければ、と思っています。
大御所の先生も同じようなことを言ってました。
それにしても、批判的なことを書いて問題にはならないのですか?
その点、気になりました。(汗)
コメント&お気遣いありがとうございます。
批判はそれなりに慎重にするように心がけてはいますが、批判することは否定することではありませんし、頭ごなしに肯定することも否定することもせず、「批判的」にものごとを考える=クリティカル・シンキングこそが、療育にとってとても大切な考えかただと思っています。
(今回のレビューについても、反論に耐えうるだけの「根拠」を示しつつ、必要な批判だけをやっているつもりです。)
まあ、私は療育の「業界」からは自由な身ですので、ご心配には及びません。(でも、ありがとうございます。(_o_))
自由にゆったりと構えている姿勢と、半端ない知識と冷静は見習いたいところです。
知人は苦しい療育をしているように私には見えました。ミイラとりがミイラのような感じでしょうか。
ABAは万能ではなく、一部分のみに有効だと謙虚さも必要なのかと感じました。
コメントありがとうございます。
苦しい療育は続かないですし、目的を見失いやすいと思います。(なぜなら、療育で目指すべきは家族全員の幸福であって、他のものを犠牲にすることによる子どもの能力アップでは絶対にない、と私は思うからです。)
こどもの発達に対してABAが万能だというのも極めて疑わしいと私は思っています。発達の大部分は制御不可能であり、ABAが効果をもつとしても、せいぜいその「わずかに残された制御可能な領域への制御可能性」にすぎないと考えているからです。
これからもよろしくお願いします。
この先生の本って育児に的を絞って数冊チョイスして読んでも強烈な内容のため、表面的にしか理解できないのではと思います。
メリットの法則という本も書かれていますが本来ならこれを1番最初に読んだ上で子育てプリンシプルを読むべきだったのかなぁと思いました。
そしたらゲームを叩き壊された子供がなぜいい子に育ったのかがわかるかもしれません。
コメントありがとうございます。
メリットの法則は私も読みました。
こちらはオーソドックスなABAの本になっていると思いますが、そうなるとあまり内容が面白くなくなってしまうんですよね…。
奥田先生の本については、その後出た「アスペルガー先生」なども読みましたが、やはり個人的には引っかかるところを感じます。