2009年05月04日

心理学入門一歩手前―「心の科学」のパラドックス(ブックレビュー)

GWなので、ちょっと趣向をかえた本をご紹介。
心理学のまわりには、こんなにも豊かで思索に富む海が広がっているのだということを教えてくれる好著です。



心理学入門一歩手前―「心の科学」のパラドックス
著:道又 爾
勁草書房

序 章 学問としての心理学
 1 はじめに
 2 心理の学と心の理学
 3 本書の目的
第一章 心について考える
 1 「心」の語源
 2 心の三つの問題
 3 古代の心観
 4 現代の心観
第二章 現代心理学の姿
 1 心理学の対象と方法
 2 具体例――誤った信念課題
 3 現代心理学の諸分野とその関係――二重四環モデル
 4 心理学の四つの方法
 5 基礎と応用?
 6 対象と方法による統合
第三章 科学について考える
 1 科学とは何か
 2 一七世紀における近代科学の成立
 3 二つの世界観
 4 一九世紀における第二次科学革命
 5 「科学的」とはどういうことか
 6 科学は普遍的で絶対的な真理をもたらすのか
第四章 心理学の誕生
 1 経験論哲学
 2 医学における精神病理学の形成と力動精神医学の登場
 3 アメリカ合衆国における社会科学の形成
 4 ダーウィンによる進化論の確立
 5 四つの源流から二〇世紀の心理学へ
第五章 「科学的心理学」への道
 1 スピリチュアリズムとの決別
 2 意識心理学の問題
 3 行動主義宣言
 4 操作主義の確立
 5 チューリング・テスト
 6 認知革命
第六章 素朴実在論と中枢主義の克服――現代心理学の課題 (1)
 1 観念論と実在論
 2 素朴な実在論と認知システムの目標
 3 ハイデガーの存在論と認知システムの目標
 4 脳はいかにして身近なものを気遣うか
 5 まとめ
第七章 ギブソンの存在論――現代心理学の課題 (2)
 1 アフォーダンス
 2 直接知覚
 3 ギブソン批判
 4 ギブソンの「誤読」問題
 5 ギブソンの視覚理論は汎種的なものである
 6 間接知覚論と近代心理学
第八章 仏教の心観と存在論
 1 仏陀の教え
 2 唯識思想と存在論
 3 縁起説
 4 まとめ
あとがきにかえて――心の発見とアリストテレス的進化
事項索引
人名索引


心理学というのは、大いに誤解されている学問です。最も端的な誤解が「心理学者はヒトの心が読める」というものでしょう。
心理学は、心を読みません。それどころか、一部の心理学は、そもそも「心」を研究対象から外してしまっていますし、そうでない「心理学」についても、その多くは心を直接扱うことはしません

なぜでしょうか?

それは、「心」というものが、科学という方法論にきわめて乗りにくい(もしかすると「そもそも乗せられない」)ものだからです。
「科学的」ということに強くこだわると、「心」からはどんどん離れていってしまいますし、逆に、「心」の複雑さ・繊細さに強くこだわると、「科学的」な世界から離れていかざるを得ない面があります
そのトレードオフのバランスのなかで、心理学にはさまざまな「立ち位置」がありえます。「生理学的心理学」と「精神分析」や「トランスパーソナル心理学」では、同じカテゴリに属しているとは考えられないほど「世界観」が違います。そして、みんな自分の立ち位置が一番だと思って、お互いに対立しています。

本書では、このようなさまざまな心理学を、「二重四環モデル」というのを使ってうまく分類しています。
ここですごく新鮮だったのが、著者が自身オリジナルのこのモデルに対して「このモデルは不正確なところもあるが、モデルとはそういうものであり、教育的ツールとしては有効だ」と、仮説モデルの役割を割り切って明確に位置づけているところです。

心理学の二重四環モデル
↑心理学の二重四環モデル

これはまさにそのとおりで、仮説モデルが優れているかそうでないかは、「正しいか間違っているか」ではなく、「妥当性が高いか低いか、経済性が高いか低いか」で判定されるべきものです。
コンパクトで単純なモデルで多くの(全部の、である必要はありません)複雑な現象を説明することができれば、それは優れたモデルであり、仮に検証前あるいは検証不能であっても使う価値はあります。そうでなければ、その仮説モデルは価値に乏しいのです。この話題は、あとでもう一度出てきます。

さて、本書の大きな主張は、心理学を「心の科学」と呼ぶこと自体に本質的な矛盾が含まれている、ということです。

科学の革命とは、乱暴にいえば「アリストテレス的世界観からデカルト的世界観への転換」だといえます。
たとえば支えを失った物体が地面に落ちるのは、アリストテレス的には「物体が本来あるべき場所に戻ろうと意図したためである」ということになりますが、これはつまり、「目に見える現象を、目に見えない『内面』の働きとして説明する」ことを意味します。
対して、そのような主観的で検証不可能な「物体の意図」のような内的要素を排除し、客観的で検証可能な「法則」によってすべてを説明していこうというのが、デカルト的な意味での「科学の革命」だったと(ものすごく乱暴ですが)整理できると思います。

ところが、心理学については、必ずしもそうなっていないわけです。

我々は、「物体が地面に落ちるのは、物体が本来あるべき場所に戻ろうと意図したためである」いう説明には強い違和感をもちます。
ところが、「あの人が泣いたのは、彼が悲しいと感じたからである」という説明には違和感を感じず、それで説明になっていると感じます

いま「物体の意図」を研究する人はいませんが、「私たちの心のはたらき」を研究する人はたくさんいて、それが「心理学」であり「心の科学」だ、と定義している人もたくさんいるわけです。

この「違和感」を徹底して掘り下げ、「心理学は心の科学ではない」と結論づけたのが、現在でも心理学の重要なパラダイムである「行動主義」です。
何かを説明するとき、検証できない「内的な概念」(例えば「物体がもつ意図」)を排除しようとすることが「科学の革命」であるとするならば、我々ヒトの行動を説明するときもやはり、検証できない「内的な概念」、つまり「心」という概念を使わないことが、「科学化」に他ならないことになります。
そう考えていくと、「心の」「科学」というのはそもそも言語矛盾だともいえるわけです。

「行動主義」はここから、心理学というのは測定や検証が可能な「ヒトの行動」について研究し「行動の原理・法則」を発見する「行動の科学」であるべきだ、と言い切りました。この、ある意味とても過激な「行動主義」の心理学は、ご存知のとおり自閉症療育において、「ABA(応用行動分析)」として実を結んでいます。

その後、心理学の世界では、行動主義は心理学の研究範囲を狭めすぎる、行動主義では説明できないことがある、といった批判がおこり、ヒトの情報処理プロセスに何らかの「モデル」をおき、観測可能な実験にうまく落とし込んでそのモデルの妥当性を検証する「認知心理学」に主流の座を明け渡しました。

とはいえ、私たちが素朴に持つ「心」という概念は、実は「よく分からないもの、うまく説明できないものをとりあえず置いておくためのがらくた倉庫」に過ぎないのかもしれない、という視点は、自閉症療育を考えるにあたっても非常に重要です。
端的にいえば、自閉症療育において、「自閉症児の心に働きかけ、心を育てましょう」みたいなことを安易に語ってしまうのは、実は「私は自閉症についてよくわからないので、とりあえず心というマジックワード(万能なことば)を使って逃げを打っています」ということになりかねないわけです。

「心」という概念があまり「スジが良くない」ことは、前半で出てきた「モデルの妥当性・経済性」の問題としても説明できます。
つまり、ヒトの行動や障害を説明するための概念としての「心」という仮説モデルは、非常に大規模で複雑な割にはたいしたことが説明できない「よくないモデル」になってしまうことが多いのです。
それでも、「心」ということばを好んで使う「心理学者」もたくさんいます。それが誤りだとは言えません。行動主義的アプローチでは取りこぼしてしまう「大事なもの」は、確かにありそうです。でもそこには、冒頭に掲げたような意味での「科学として存在することの難しさ」が横たわっていることを常に意識すべきでしょう。

最後に仏教の話題が出てきます。
なぜ心理学で仏教?と違和感を感じるかもしれませんが、実は仏教は「心の哲学」という側面を強くもっており、現代の心理学がとらわれがちな「西洋哲学的『心』観」を相対化し、新たな「心のモデル」を提案してくれる「思想」なのです。例えば、般若心経(せっかくなので、今週中にこの本あたりも別途紹介します)を読むと、そのことがよく分かります。
逆にいえば、これだけ「何でもあり」な「心」というのを、科学というフォーマットに乗せることの難しさこそが、心理学の本質、醍醐味だとも言えるのかもしれません。

私は以前から、心理学の入門書というのは、心理学の豆知識を寄せ集めたようなものじゃなくて、「心理学とは何なのか」「何が問題になっているのか」といった「そもそもの話」についてこそ語るべきだ、と繰り返し述べてきました。そこを掘り下げずに心理学を学んでも、それこそ「知識のがらくた倉庫」になってしまうからです。

これまで、科学哲学や脳・心の哲学の本以外ではそういったニーズに応える本は皆無に近い状態でした(あえていえばこれとかこれ)が、今回、ようやく「心理学の本」として、現時点での決定版といえる本が登場したと言えそうです。

これも、療育に直結する本ではありませんので「殿堂入り」はさせませんが、内容的には殿堂入り相当とみてもいい好著です。
療育を学ぶなかで心理学に興味を持ち、真面目に勉強してみたいと考える方には、心理学の世界への門をたたく1冊めの本としてぜひ読んでいただきたいと思います。

※その他のブックレビューはこちら
posted by そらパパ at 19:44| Comment(3) | TrackBack(1) | 理論・知見 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。

この本の編集を担当した者です。
書名で検索していたら、こちらのブログにたどり着きました。
このたびは本書を大変丁寧に、そして好意的に取り上げていただき、ありがとうございました。

心理学という分野が広大すぎることもあって、「入門」と銘打った既存のものは、各分野を表層的に扱ったものか、ご指摘のような豆知識を寄せ集めた本ばかりです。
しかし、そのような本を見ているといつも、それが私が学んだ心理学というものの実態から離れてしまっているような感じがしてなりません。
テーマや内容はもちろん同じものもあるのですが、それでもなお、何かしらの違和感が付きまといます。

また入門書といいつつも、一番大事なはずの「学び始める地点」を押えていない本が結構あります。
いきなり各論を提示されても、初学者にとっては戸惑うことばかりでしょう。
やたらとある「〇〇心理学」に混乱し、知識のつまみ食いを続ける中で、結局心理学は何をやっているのかがわからなくなってしまいます。

このような思いを払拭したく、「『入門書』ではない入門書」として本書を企画いたしました。
心理学に興味を持った多くの方が、その実像を知る第一歩となればと願っています。

長文、失礼いたしました。
Posted by 編集Y at 2009年05月07日 15:08
はじめまして。1年ほど前に、ASとわかった初老の男性です。

本を読んでいないいないのですが、アリストテレス的世界観の下りに誘われて、ついフラフラと書き込みます。

私は言語性IQ優位タイプなのですが、小学生の頃、ある場所にとても神秘的なものを感じて数週間通いつめたことがあります。
 知り合いの動作性優位の方は、様々な場所に色々な「気配」を感じて、不快なところは避ける。衣服でも、同様で、快の気配を感じるものがある。するとそれを着続けることになるそうです。

 この着続けは、周囲の方からはこだわりに見えると思います。当事者のこだわりが、すべてこうしたアリストテレス的世界解釈、=「目に見える現象を、目に見えない『内面』の働きとして説明する」=、意図とか感情といった心的枠組みで世界を自動的に解釈することから生まれるとは思いませんが、そうした要因からくるものもある。

このアリストテレス的世界解釈が強く働くと、電柱や看板が語りかけてくると感じるようになるのかな?私の小学生の頃の場合も神社やお寺といった場所で、声といったレベルで表現できるようでしたら「神の仏の啓示」という解釈も可能で、私の育った環境ではそう言えば、それで受け入れられたしょう。路肩の電柱や看板では、異常となる・・

私自身、そのような感受性の特性を持っている、また現在ではASと名づけられる壊れを意識していましたので、そうでない明らかに私とは世界の感じ方や見方が違う周囲の人々とどうやって折り合っていくか?これは、今も昔も私の課題です。

その点で、科学は魅力的です。心的枠組みで世界を自動的に解釈することから生まれるアリストテレス的世界観では食い違うもの同士が、共通の共有できる世界観を作り出す方法に思えます。

「真理の大海原を前に砂浜で遊ぶ子」にA・ニュートンは自らを喩えましたが、彼は敬虔なキリスト者ですから、彼にとって真理とはキリスト教の神が意図と目的をもって創造した世界の真理です。他の宗教、神を信じる人、科学者でも同様と思います。
ですから、同じ現象に関するどちらが”正しい”真理かという論争は天上の神々の争いという色彩を帯び、どちらも引っ込みが付かないとおもいます。これを、どちらが”妥当”かという別の視点で、有用性という人間のいる地上に引きずり下ろし、誰もが認める否定できない事実に基づいて、検証可能な仮説を導き出す。その妥当性を検証して良ければ共通のものとして共有する。仮説同士は、どちらが多くの現象を説明できるか、予測できるかなど有用性で優劣を決める。

このやり方は、定型者とAS者の間でも共通の認識、行動を作り出すのに有効だと思います。私から見れば、周囲の方々はみな定型者ですから、まず皆さんの言い分を聞いて、次いで私の言い分をのべ、共通する部分やより有効な方法を考えるなどなど。
私がASだと知ってから、定型の私の言い分が無条件に正しいという態度を取られる方がいるのには閉口します。ASと判る前も後も同じ私です。まあ、この方は「私の常識=世間の常識」という方でしたから、ASというレッテルが遠慮を無くしただけでしょう。

アリストテレス的世界観は、他者に押し付けなければよいのではないでしょうか。同じ光景を見て、楽しい、美しいと感じる他者がいるのは嬉しいことです。しかし、そうした方が居ないからと言って、自分の感じ方を自己否定したり卑下することはないと考えます。絵や詩といった表現で深めていけばよいのではないでしょうか。私の神秘性を感じた感性は、山や森、花々を見て存在することの素晴らしさを感じるものになっています。それは、他者や自己が存在することに素晴らしさを感ずる感性でもあります。

心理学とは全く違う話になってしまいましたが、私は50を過ぎてから自己探求の旅を再びやらざるを得なくなったので、心理学はいわばガイドブックのようなものです。そらまめパパさんの書評は、参考になります。長々と失礼しました。
Posted by ヒゲ達磨 at 2009年05月08日 21:36
編集Yさん、

コメントありがとうございます。

自閉症の子どもを療育する親御さんにとって、私は、実は本書のような「心理学のそもそも論」の知識というのは、不可欠なんじゃないかと思っています。

というのも、自閉症療育の世界で圧倒的に支持されている「ABA(応用行動分析)」は、心理学のなかでも最も過激でストイックな行動主義的立場をとる行動分析学をベースに組み立てられているからです。
子どもをABAの療育にいかせていながら、それでいて心理学の行動主義的思想を知らない、というのは、けっこう危険な状態なんじゃないだろうか、とさえ個人的には思います。

ですから、こういう本は療育とは直結はしないのですが、多少踏み込んだ療育に取り組むのであれば、ぜひ知っておきたい「基礎知識」だと考えています。ですので、紹介させていただきました。

これからもよろしくお願いします。


ヒゲ達磨さん、

コメントありがとうございます。
興味深く読ませていただきました。

ヒゲ達磨さんは、「心の哲学」とか「分析哲学」、「認識論」の本を本格的に読まれたことはありますか?
そこには、私がこの記事で触れた程度ではなく、ずっと深いレベルで、ヒゲ達磨さんが思いをはせているような「こころ」や「この世界の認識のしかた=世界観」についての議論が展開されています。

哲学のいいところは、ヒゲ達磨さんが違和感を感じられるような「常識のおしつけ」がまったくなく、どんな世界観も可能性としてありうる、というスタンスで議論がすすんでいくことです。
シンプルなところでは、野矢茂樹氏の「哲学の謎」とか、すごくいい本ですね。

http://soramame-shiki.seesaa.net/article/16377069.html

自己探求の旅のお供に、きっと哲学がお役に立つと思います(私にとってそうであったように)。
Posted by そらパパ at 2009年05月08日 23:42
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