以前批判記事を書いたキレート療法(キレーション)と、ロヴァース式の早期集中介入、この2つに同時に取り組んでいる、あるいは両方に興味を持っている(片方をやっていて、もう片方に関心を持っているケースを含む)人が、結構多いように思うのです。
統計をとったわけではないので印象でしかないのですが、それにしても、掲示板などでキレートなり早期集中介入なりが話題になっているとき、一方について書いている人が、「もう一方」について既に実施している、あるいは実施しようとしていると言及しているのをしばしば目にするように感じます。
このことについて考えていて、この2つの「療法」が、実はいくつもの共通点を持っていることにふと思い当たりました。
第1の共通点は、自閉症が「治る」あるいは「劇的に良くなる」と標榜している療法であること。
キレート業者の怪しげな宣伝は言うに及ばず、早期集中介入の流れをくむ「真面目な」本である「自閉症を克服する
ここでは、自閉症が治るのかどうかという議論には踏み込みませんが、少なくともこれらの療法が「治ると言ってくれる」療法であることは間違いありません。
第2の共通点は、個別対処的な側面を持つ療法であること。
キレートに凝っている人のブログなどを見ると、「子どもに○○の症状が出たから××の量を増やした」とか、「○○が成功したから次は××」とか、そういった記述がよく出てきます。まるで、「胃がもたれるから胃薬」「頭痛がするから頭痛薬」と同様の視点で自閉症を治療しているかのようです。実際には、行動や障害とサプリメントの間に、それほど明確な関係が証明されていない以上、ここには「コントロールできているという錯覚」が生じていると考えられます。
早期集中介入やABAも、「ことばを発する」とか「おむつを外す」とか、具体的かつ個別的な目標が設定され、その目標に向かってダイレクトに療育を進める(スモールステップなどの工夫はありますが)のが特徴です。こうしたアプローチは、親にとって、扱う対象が分かりやすく、子どもの発達を「コントロールしている」感覚を持ちやすいと考えられます。
第3の共通点は、「数字による管理とフィードバック」がある療法であること。
キレート療法において、「数字を示す」ことはマーケティング上の重要な要素になっています。
最初の水銀検査で「こんなに悪い数字が出てますよ」とやって、その後の検査で改善すれば「この調子で続けましょう」、悪化すれば「もっと頑張りましょう」、実は数字は数字でしかなく、障害の改善と関係あるかどうかは別問題なのですが、数字で示されると何となく納得してしまう、そんな心理を利用したマーケティングです。
早期集中介入はABAの一種なので、目標行動、実施セッション数、達成率といった「数値」による厳密な管理と結果の確認(=フィードバック)が方法論の骨格となっています。
第4の共通点は、「親ががんばって実施する」療法であること。
キレート療法とは、子どもが好むか好まざるかに関係なく、薬を飲ませる療法です。ここに、子どもの意志は存在しません。
そして、早期集中介入も、親がスケジュールから課題の遂行から強化子を与えるところまで、すべてを完璧に管理することで成立する療育プログラムです。親が(あるいはセラピストが)がんばらなければ、週に何十時間という長大な時間の療育がこなせるわけはありません。
そして、5つめの共通点。それは、「大量に与える」ことに特徴をもつ療法であることです。
早期集中介入におけるトレーニングの「量」が莫大であることは論を待ちません。
キレートについても、かつて「挑戦してみた」という方の話を聞きかじりましたが、水銀を排出するためのキレート剤以外に、それにより排出される他のミネラルを補充するためのサプリメントや、その他の「効果がある」とされるサプリメントも合わせて飲むということで、ちょっとびっくりするくらいの量を飲ませる必要があるということです。
キレート療法と早期集中介入は、見た目こそまったく異なりますが、療育のスタイルとしてはとても似ている部分がある、といえます。つまりどちらも、「親が」「劇的な効果を期待して」「自らのコントロールのもとに」「大量に与えて」「結果を数値で確認できる」療法なのです。
・・・どうでしょうか?
私はこの「発見」に関連して、いろいろなことを考えました。非常に私的な感想なので、あえてここには詳しく書きません。
また、私はキレート療法に関しては完全に否定的、ロヴァース式の早期集中介入には懐疑的ですがABAそのものは積極的に支持しています。ですので、上記の記述は、これらの特徴が悪いことである、ということでは必ずしもありません。
・・・でも、こういった療法に「はまる」こと、あるいはこういった療法にばかり魅力を感じることがもしあるとするなら、そこにはある種の「危険性」があるのではないか、という漠然とした指摘だけはしておきたいと思います。