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2009年03月16日 [ Mon ]

桑田氏の発言に思う

数日前になりますが、かつて甲子園や巨人軍で活躍し、現在は早稲田大学の大学院でスポーツ科学を学んでいる桑田真澄氏が、野球界にはびこる「誤った指導法、迷信に振り回される指導者」への苦言を呈している、という記事が話題になっていました。

例によってネット配信記事はすぐ消えることがあるので、念のため全文引用します。
桑田真澄氏が野球指導者に苦言「そろそろ“気が付いて”もらいたい」。
2009/03/11 23:48 Written by Narinari.com編集部
 

昨年3月に「野球の神様のお告げ」を受けたとして、22年間にわたる現役生活の幕を下ろした桑田真澄氏。引退後は野球解説者を務め、サントリーの缶コーヒー「ボス 贅沢微糖−いいとこドリップ−」のテレビCMでソフトボール日本代表の上野由岐子投手と共演したことも話題になっているが、現在の目標は指導者になることだ。引退を表明したTBS系「筑紫哲也 NEWS23」のインタビューでは、「野球が好きだというのが、自分の誇り」としたうえで「野球界の後輩たちを1人でも多く育てていければいいと思う」と語っていた。

桑田氏ほどの実績がある人物ならば、指導者としては引く手あまたなはず。実際、現役最後の所属球団となった米大リーグのパイレーツからコーチ就任の要請があったほか、古巣・巨人の監督就任も噂されていた。しかし、理論を重んじる桑田氏はスポーツ科学を修めることを選択。その第一歩として、早稲田大大学院に入学した。現在は指導者の基礎を猛勉強中のようで、自身のブログの3月10日付エントリーでは「読書、読書、勉強、勉強の毎日で、少し目が疲れ気味です」としている。

こうして指導者とはどうあるべきかを模索中の桑田氏が、同エントリーで日本の野球指導者への苦言も呈した。ボーイズリーグ、麻生ジャイアンツの会長を務める同氏は、現場で多くの「あまりにもひどすぎる」指導者を見てきた模様。その苦言は試合での起用法や選手への接し方、練習方法などに及んでおり、こうした指導者へ向けて「そろそろ『気が付いて』もらいたい」と呼びかけている。

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)韓国戦の解説を務めた桑田氏は、同大会で投手の投球数が70球に制限されていることに注目。プロの投手に制限を与えているにもかかわらず、大学生以下の選手に100〜200球を投げさせている指導者がいることについて「とても恐ろしいこと」「勝利至上主義以外、何物でもないよね」とした。

また、選手を怒鳴り散らしたり、タバコを吸いながらミーティングをしたり、昼食にアルコールを飲んで練習をしたりする指導者も少なくないようで、こうした指導者に対して「怒鳴らないと理解してもらえないほど、私には指導力がないんですと、周りに言っているようなもんだよね」「自分に甘くそして、優しく、子供達に厳しい指導者は要らないですよ」と一刀両断している。

さらに練習方法についても、投げ込みや打ち込み、走り込みなどをすべて「迷信」と断言。疲労を蓄積するだけの練習方法をやめ、「効率的、合理的な練習メニューを考え、短時間集中型の練習をして、残りの時間を勉強や遊びに充てるべき」とした。

競技が異なるものの、スペインの少年サッカー指導者の免許を持つサッカー専門誌「フットボリスタ」編集長、木村浩嗣氏も、指導者勉強会で「技術や体力に特化した反復練習自体が不要」との結論を得たという。どの競技でも指導者がこうした勉強会に参加すること、独学でもスポーツ科学などを学ぶことが、桑田氏の言う「気付く」ことにつながるのは間違いないだろう。

桑田氏はよほど指導者への不満が募っているようで、「落ち着いたら、指導者について、本を書こうと思う」としている。勉強中の最新スポーツ科学が反映されるであろうこの書籍は指導者必携となりそうだが、果たして「気付いていない」指導者たちが桑田氏のアドバイスに耳を傾けるのだろうか。

ちなみに、話題になっている桑田氏のブログ記事はこちら。
http://kuwata-masumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-ea9b.html

なんか、これを読んでいると、ほとんど自閉症の療育の話をしているかのようですね。

そしてこれは、単に自閉症療育とスポーツ指導に限られた話ではなく、より広く、教育とか療育とかリハビリとかトレーニングといった、ヒトの内面や能力に働きかけて「変えていく」という類の取り組みすべてにあてはまることなんじゃないだろうか、と感じます。

そうなる原因を認知心理学的にとらえるならば、恐らく以下の3つがキーワードになるでしょう。

まず第一に、ヒトは絶えず動的に変化していきます。特に、ある種の「不均衡」が現に生じているとき、その変化は大きなものになります。
子どもは発達により新しい能力や新しい行動パターンを獲得するという「変化」をみせますし、スポーツをする環境にある「からだ」は、そのスポーツに適応するようにその身体を変えていきます。ケガなどにより一旦失われた運動能力も、「からだ」を自ら変化させて、その能力を回復していくでしょう。
もちろん「良くなる」方向だけではありませんが、ヒトが動的に常に変化しつづける存在であることは間違いありません。

そして第二に、私たちは「変化」に対して、どうしても「因果関係」を見つけようとする認知のバイアス(偏り)をもっています
降っていた雨がやんだときに、てるてる坊主を下げたことがその「原因」であるような気がしたり、逆に出かけたときに雨が降ってきたときに、自分が「雨男」「雨女」であるような気がしたり、マージャンなどのギャンブルをしていると、「場の勢い」とか「牌の流れ」といったものを感じてしまったりするのは、どれも単なる錯覚ですが、錯覚だと分かっていてもそう感じてしまうくらい、私たちの「因果律バイアス」は強いものです。
最後のマージャンの例についてですが、私は大学時代にサークルの友人に誘われてゲームとして多少たしなみましたが(今は全くやりませんが)、やる前は完全にバカにしていた「場の勢い」とか「牌の流れ」といったものが、実際に遊んでみると(バカなことだと頭では分かっていても)強烈に感じられて、それを意識して切る牌を変えたりしてしまう自分に、我ながら愕然としたものです。

そして第三に、私たちは、自らの働きかけが他者や環境を変える・コントロール力を、実際以上に大きく見積もる「統制感の幻想」という認知バイアスも、もっています
ちなみに、この概念については繰り返し書いてきてはいるのですが、逆に誤解を招いているかもしれませんので改めて書くと、私たちが他者や環境を変える・コントロールする力をもっている、と考えること自体を「幻想」と呼んでいるわけではありません。そうではなく、そういう力を、実際以上に大きいものだと感じることを「幻想」と呼んでいるわけです。

この3つの要素が重なりあうところに、何が生まれるか。
それが、「効果のない指導法や教育法、療育法が容易に生まれ、維持される状況」です。

例えばある職業セラピスト(?)が、「てるてる坊主に子どもの名前を書いてぶらさげると、自閉症がよくなるという療育法」を考案したとしましょう。
そして、そのセラピストのところに相談にくる自閉症児の親御さん30人にこの「療育法」を試したとします。

そうすると、1年経過した後にはどうなっているでしょうか?

まず第一のポイントにしたがい、子どもたちはダイナミックに変化しているでしょう。
仮にこの療育法に「まったく効果がない」とすれば、ざっくり言って、半分の子どもの発達指数は上昇し、半分は下落しているはずです。中には、驚くほど大きく伸びる子どもも(少数派でしょうが)いるでしょう。
さらに言えば、子どもの実年齢も上がっていますし、個別にみた場合、ほとんどのすべての子どもは「1年前よりはできることが(少しは)増えている」はずです。これは、発達指数が下がった子どもも含めて、です。
ここは非常に重要なポイントですが、「ほとんどすべての子どもがそれなりにできることが増えている」という状態こそが「その療育法にまったく効果がない」という水準(ランダムレベル)とイコールである、ということです。(このことが、どんなインチキ療育法でも効果を主張できる根拠になっていると考えられます)

そして第二のポイントにしたがい、セラピストはその「変化」に、何らかの具体的な「因果関係」があると考えます。
実際には、ある時点とそこから1年経過時点での発達指数がばらつくというのは、科学的な意味では因果関係がつかない測定上の誤差(ノイズ、ランダム要素)であったり、そもそもここで登場する当事者が誰も考慮に入れていないような、ずっとスケールの大きな生物学的な発達の機制によって規定されているものが大部分である可能性がありますが、そうではなくて、具体的に目に見えて私たちが制御可能な「原因」がはっきりとあるかのように考えてしまう、ということです。

そして第三のポイントにしたがい、セラピストはその「変化」を引き起こした原因が、他ならない自らの「てるてる坊主療育法」にある、と考えてしまうわけです。

つまり、まとめるとこういうことです。
子どもは時間が経過すると、大なり小なりできることが増えます。スポーツを続けていれば、スポーツをする前よりは身体能力が上がるでしょう。そういった「変化」に「指導者」という立場で立ち会ったとき、私たちは、その「変化(特に望ましい方向への変化)」には原因があり、その原因は自らがコントロールしたこと(先の例では「てるてる坊主を下げたこと」)にある、という「迷信に近い信念」を形成しがちになるわけです。これは、私たちの認知の仕組みが、そういう「だまされやすさ」をもともともっているということと密接に関係があります。

ともあれ、教育に類する働きかけ(教育、療育、リハビリ、トレーニング等)の現場は、このような「迷信」が容易にはびこる場所であることは間違いありません。世に出ているそういった類の本も、その多くは、一部の有効な方法と、多くの「迷信」が書いてあるといっても過言ではないかもしれません。
これは、だから教育界が悪いとかそういうことではなくて、ヒトはもともとそういう迷信を持ちやすいということなのです。

桑田氏も含め、そういう「迷信だらけの世界」に”気がついて”しまった人には、この構図は火を見るより明らかに映るでしょう。(桑田氏が本当にそこまで「見切って」いるかどうかはまだ現時点では分かりませんが)
その一方で、”気がついて”いない人には、自分や周囲の「指導行為」の多くが迷信に基づいているとは、到底信じられないことでしょう。
ヒトは、他人に対して働きかけるという立場にたったとき、何の効果もない働きかけに効果があると信じる「迷信」を持ちやすい生き物である

そういう事実を、私たちは改めて噛みしめる必要があるのではないでしょうか。
桑田氏の記事を読んで、そのことを強く感じました。

参考エントリ(「忘却からの帰還」より)
やっぱり人間の心は創造論を信じるような実装になっている
http://transact.seesaa.net/article/115060396.html
科学への抵抗感についてのレビュー論文 Bloom and Weisberg[2007] (1)
http://transact.seesaa.net/article/115551148.html

posted by そらパパ at 21:40 はてなブックマーク | コメント(9) | トラックバック(0) | 療育一般
この記事へのコメント
そらパパさん、ご無沙汰しております。
五合庵です。

> 子どもは時間が経過すると、
> 大なり小なりできることが増えます。

逆に考えると、今できない事を見つけてあげ、
あたかも本人の努力でできたようにしむける事ができれば、
『努力すれば、できるようになる!』
と理解し、自信につながると考えます。

具体例=> http://angel.ap.teacup.com/tsumiki-niigata/211.html
Posted by 五合庵 at 2009年03月17日 05:20
第二から後が 携帯では見れません(T_T)
Posted by 若パパ at 2009年03月17日 13:11
若パパさん。
PCでも調子悪いです。

そらパパさんは、きっと修正してくださいますよ!

…ね!…
Posted by のっち at 2009年03月17日 22:12
すみません、乱丁状態になっていたのを修正しました。
各位にはご迷惑をおかけしました。
Posted by そらパパ at 2009年03月17日 22:48
こんにちは。
桑田さんのブログの記事、大変興味深いですね。「何事もバランスが大事」、これにつきますよね。今の子供たちは幼い頃から「一芸に秀でる」ことを求められているようで、遊び、運動、勉強のバランスはとても偏って(偏らされている)いると思います。

スポーツ科学とは何かは知らないのですが、娘が通っている幼児の体操教室では、メニューはとても細かくシェイピングされています。
本人たちは努力すればできる、というよりは、毎回「できた!」というのを積み重ねています。初回からいきなり、「跳び箱飛べたよ」といって帰ってくるんです。見学にいってみると、1段の跳び箱をまたいで飛び越えているんです(笑)。
練習も1時間の中で、準備運動、サーキット、マット、平均台など大きくは15分単位で、組まれていて、マット練習の中でも3種類をそれぞれ3セットぐらい、という感じで、同じ運動は3分ぐらいで終わるんです。
幼児の集中力や体力を計算して、飽きないように、疲れすぎないように入念に計画されているのがわかります。
コーチも、決してどなりません。それでも、親があんなに怒鳴っても(笑)いうことを聞かないのに、ちゃんと整列できている。強化とシェイピングによって、とてもよくコントロールされています。

自分が子供の頃の、「やりこみ」練習とは大違いです。同じことを何度も繰り返したらできるようになる、というのが迷信だというのは、子供達の体操教室を見ていて、なんとなくわかります。できなかったら、やり方、指導の仕方を変えるべきなんですね。ただ、うまくいったからといって、「統制感の幻想」に支配されないように気をつける必要あり、ということでしょうね。

話はとびますが、そらパパさんのご著書の「幸せプロジェクト」というタイトル、よいですね。
早期才能開発も、やり込み練習も、もとは親や指導者が子供達に幸せになってもらいたい、という気持ちがあるんでしょうが、いつの間にか大人の幸せ感をおしつけてしまっているのかもしれません。
Posted by ピッカリママ at 2009年03月17日 23:45
ピッカリママさん、

コメントありがとうございます。

この記事をみたときに、ああこれは療育とまったく同じだ、とすぐにピンときました。

桑田氏は選手キャリアの後半はケガとの戦いでしたから、無理な練習を強いる指導者への危機意識がとりわけ強いんじゃないかな、と思います。

えてして「古い」タイプの指導者は、桑田氏がイメージするようなトレーニングとか、ピッカリママさんが指摘されているような効果的な運動メニューなどを、「運動能力は苦労しなければ身につかないんだ」といったような形で頭ごなしに否定することがあるように感じますね。
このようなメンタリティは、療育についても「親がどれだけ犠牲を払って苦労するかが大事だ」といった意見につながりやすいですね。
ここで最後の「幸せプロジェクト」のタイトルにつながるのですが、私は療育の目的は「家族全員が幸せになること」だと信じて疑いません。親が不幸になっても少しでも子どものスキルアップを、というのは絶対に違うと思っています。
ですから、「親も苦労せずに、楽しく充実して、それでいて子どもに効果的に働きかける」ことを、拙著でもブログでも目指していきたいと思っています。

ちなみに、スポーツ科学というのは、「学問としてのスポーツ学全般」のことを指すようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E7%A7%91%E5%AD%A6
Posted by そらパパ at 2009年03月18日 18:27
最近、子どもの教育にしろ、私自身の生活改善にしろ、コーチングを取り入れるとうまくいくことに気付きました。ビジネス界でも取り入れられているコーチングですが、元はスポーツ界に端を発していますよね。
桑田氏の記事のうち、
>ミスしたプレーを分析し、解説してあげるべきですよ。
>そして、次は、どうしたらいいのかを教えてあげるべきですよ。
…という箇所の根底には、コーチングマインド、即ちプレイヤーの能力を信じ、具体的対応策をあれこれ探りながらプレイヤー自身の能力の発現を待つ、というスタンスが見えるように思います。
今後、療育においても、そして願わくは学校教育でも、コーチングマインドによる指導が広まっていくよう期待したいです。
Posted by めえめえ at 2009年03月18日 22:38
皆さんへ

 一度、武田建氏の行動療法をベースに書かれている、スポーツコ−チング、子育ての書物を読んで見てください。
 このような内容は既に、30年も前から武田氏は指導者に向け指導しつずけているんですよ。なのに・・・
 本当に何故日本はいまだに、ど根性論なんですかね?
文系ブラバン育ちの私には理解不能です。 
Posted by カリメロ at 2010年10月09日 18:38
カリメロさん、

武田氏のコーチングの本は、確か立ち読みしたことがあります(内容がスポーツだったので、購入には至りませんでしたが)。

プロの世界では、イチローのような成功例も出てきているので、徐々に科学的なトレーニングが広まってきているように思いますが、たとえば少年野球とかサッカーみたいな現場では、まだまだ根性論が根強いんじゃないかと思います。

ちなみに私も中学時代はブラスバンドでトロンボーン吹いていましたよ。
Posted by そらパパ at 2010年10月11日 17:16


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