自閉症の本―じょうずなつきあい方がわかる
監修:佐々木正美
主婦の友社
プロローグ あなたの周りにこういう子はいませんか?
第1章 自閉症ってどんな障害なの?
第2章 家族として子どもをサポートしていくために
第3章 周りのみんなで支え、共に暮らそう
第4章 世界で、そして日本で療育の中心となっている「TEACCH」
自閉症Q&A
コミュニケーションカードを活用しましょう
この本は、先日の三重への往復の間に読んでいました。
タイマーや絵カードなど、いろいろな記事がたてこんでいるので、のんびりレビューしようと思っていたのですが、けっこう書店で複数入荷していたり、平積みされているのを見て、早めにレビューを書いたほうがいいかな、という気持ちになりました。
冒頭にも書いたとおり、この本は、すごくいいところと、そうでないところが混在しています。
いいところは、第2章以降が、既存の本ではあまり見られないような、とてもシンプルで具体的な、TEACCH+絵カード療育の入門書になっているという点です。
佐々木氏監修でこのサイズ・値段帯というと、殿堂入りしている「自閉症のすべてがわかる本」が思い起こされます。
「すべてが・・・」の特徴は、TEACCHの佐々木先生が監修してはいるものの、立場的には一応中立を保っている点です。つまり、全体として「TEACCH的」にはなっているものの、一般論で語られている部分が多く、TEACCH的な療育についてはそれほど踏み込んだ内容は「あえて」盛り込まれていません。
それに対して本書は、「TEACCHが自閉症療育の主流であり、これからますます重要となっていく療育法なのだ」と明言したうえで、気持ちいいくらいはっきりとTEACCHの立場から療育を提言しています。あらゆる場面に積極的に絵カードを活用していくという姿勢も明確で、最新のトレンド(というとファッションみたいですが(笑))も積極的にとりいれています。
↑「TEACCH的な療育」を初心者にむけて解説しています。
そういう意味で、本書は「前提知識なしではじめて読むことができる、TEACCH療育、絵カード療育の入門書」という、あまり類書のないユニークなポジションを確保しているといえるでしょう。
さて、第2章以降の内容が高く評価できるものだということを書いたうえで、今度は「よくない部分」についてです。
もうお分かりかもしれませんが、本書のよくない部分というのは、第1章なのです。
第1章は、自閉症はこういう障害です、といったことを、「目に見えて現れる(行動的な)特徴」と、「そのような行動や障害が生じる認知面からのメカニズム」に分けて解説しているのですが、この「認知的な自閉症のメカニズムの説明」が、非常に雑で、部分的にはトンデモ理論に近いような内容になっているのです。(行動面の特徴の紹介についても、あえてあまりポピュラーとは思えないような「奇異な行動」をピックアップしているようにも感じないでもないですが、それは大きな問題ではないと思うので、ここでは触れません)
例えば、本書の23ページ(初版)には、自閉症の脳の問題としてこんなことが書いてあります。
自閉症の子どもは、言語などに関する左脳の発達は遅いのですが、空間認知能力や、音楽や美術など芸術分野に必要な機能をつかさどる右脳は優位に発達するため、このような特別な能力(そらパパ注:サヴァン能力のこと)を発揮するのではないかと考えられています。
・・・。
えーっと、もしかして私は七田式の「右脳本」を間違って開いてしまったんでしょうか(--;)。
脳の認知システムを単純に「右脳・左脳」(非言語脳と言語脳)のように分けて、どちらが優位とか劣位とか語るのが科学的根拠の薄い俗説だというのは、少なくともこういった本に携わる人にとっては常識だと思っていたのですが、どうもそうではないようです。
(一応擁護しておきますが、本書では佐々木氏は「監修」であって、原稿は他の人(おそらく編集会社のライター)が書いています。佐々木氏は「現場の人」ですから、このあたりの理論面については、精査の目からこぼれてしまったんだろうと推測しています。)
ともあれ、この第1章に書いてある「自閉症についての認知的解説」は、よく表現しても「大雑把で乱暴で俗っぽい」内容になっていると思います。
ですから、本書を読むときは、思い切って第1章はまるごと飛ばしてしまってください。第1章の知識がなくても(あるいはむしろ「ない方が」)、第2章以降は問題なく読むことができます。
難しいことを考えなくても、自閉症というのは、端的に「環境とかかわって学んでいくという発達上のスキルの障害」なのです(というのが私の仮説です)。
そして、TEACCHにしても絵カードにしても、その問題に対して、「自閉症児にとってもかかわりやすく、学びやすい環境づくりをする」というアプローチなのです。そうシンプルに考えたほうが、ずっとクリアで分かりやすいと思いますが、どうでしょうか。
そんなわけで、本書は、第1章を読み飛ばして第2章以降だけを読むという前提つきで、TEACCH・絵カード療育入門書としておすすめできます。
この手の本らしくイラスト豊富なところも、まさに「視覚に訴える療育」であるTEACCHや絵カードの療育がどんなものであるかを分かりやすく見せることに貢献していると思います。
私は、読んだ本を「本棚に残しておく本」と「古本屋等で処分してしまう本」に分けるようにしていて、その割合は1(残す):5(処分)くらいなのですが、この本は「残す本」にしました。欠点もありますが、それ以上に魅力もある本だと感じたからです。
その他のブックレビューはこちら。
そらパパさんのブックレビューに島田律子さんの「私はもう逃げない」が無いように思うのですが、この本の中で佐々木先生は「健常児と一緒に遊べる環境に置くことによって、自閉症が治る、といったケースがごく希にあります。」とのたまっていたことが書かれています。
まあ、このエピソードは今から30年以上も前のことですからしゃあないとも思いますが、これを読んで以来、この先生に対する当方の評価がちょっと下がっており、もしかして「精査の目からこぼれてしまった」のではない可能性もあるなあと思ったりしました。
コメントありがとうございます。こちらこそご無沙汰しています。
精査もれの件ですが、はじめさんがご指摘されたような意味あいも含めて、「精査もれ」と考えています。つまり、TEACCHは端的に「実学」で理論面に強いわけではないので、佐々木先生も、これを見ても「おかしい」と感じるところまでは至らなかったという可能性はあるだろうな、と考えているわけです。
ただ、私も講演をしたりブログの記事を書きつづけていて実感するのですが、後から見て一点の曇りもないようなことばを常に話し続けることは、ほとんど不可能だと思います。
私はご指摘の本を読んだことはありませんが、佐々木先生のように発言の機会の多い専門家だと、その機会の多さに比例して、いろいろな発言が飛び出してしまうのも、ある程度はやむを得ないことなんじゃないかと思いますね。前後の文脈、ということもありますし。
ともあれ、発言一つでその人の全業績が評価されかねない「専門家」という立場は、ある意味とても恐ろしいものだなあ、とは思います。
まあ、「ごく希にある」というのは、逆の意味で誠実だという印象も受けます。
それはつまり「大部分はない」ということでもあり、「まったくない」という断言をしていないということでもありますから、臨床的には、ある意味で「誠実」なわけです。
著名な専門家でも得意分野・不得意分野や「知識の限界」は当然あるので、私はあまり「減点主義」はとりたくないな、と思います。そういうことでいえば、TEACCHに対置されるものとしてのABA側の著名な方にも、やはり同じような(部分的に首をかしげるような)ことは感じます。
その専門家が発するメッセージが全体として、どのくらい当事者に対しての「メリット」をもち、逆に「デメリット」をもつかのバランスが大事なのかな、と思います。そういう意味で、間違いなく佐々木先生は日本の自閉症療育界のトップクラスの指導者、リーダーだと思っています。
「自閉症の本」教えていただいて注文し,19日に読みました。確かに23ページ,左脳の…という文がありますね。この左脳ということばは15ページにも
引用「自閉症の子どもは左脳に,ある種の弱さを持っているようで」引用おわり
と出て来ますね。
ということはこの1章の執筆者は1人なのかな。この左脳云々についてのそらパパさんのご指摘には全く賛成です。せっかく、2章以降が具体的で,親御さんに紹介したいのですが,「あの1章の左脳の所は無視してね」と言い添えなくてはならない、と思います。
ところで私が発言したいと思ったのはもうひとつの所なのでして,
32ページから「自閉症に対する新しいとらえ方があります」と言う文章が始まり、何かな?と思いながら読んでみると,「自閉症スペクトラム」の説明らしいのですが,何か違和感があり,落ち着かない。考えてみました。
この文章では
引用「自閉症スペクトラム 自閉症とその他の発達障害とは似ている部分がたくさんあります。自閉症や自閉症と関連する発達障害を、重なり合う連続したものとしてとらえるのが自閉症スペクトラムという考え方です」引用おわり 35ページ
という文に続いて、知的障害、学習障害、アスペルガー症候群、自閉症、ADHD,自閉症スペクトラムということばが渦巻き上に描かれたカットがのっています。
私の理解では,DSMでいえば「広汎性発達障害」というくくりの中の自閉性障害、アスペルガー障害、特定不能の広汎性発達障害などを、分けて考えるのでなく,連続したものとしてとらえようよ,というのが「自閉症スペクトラム」という発想だと思ったし,現場の人間として,その方が実際的だよなあと思っています。
ところがこの本のように,知的障害、学習障害,ADHDまでを「連続したものとしてとらえる」と言うとしたら,これは、一般的な自閉症スペクトラムの発想とは違って,いわば「発達障害スペクトラム」とでも言うべき考え方ではないのかなあ、と思います。
私も,学習障害やADHDの子達はもっとしっかりした政策的支援を受けるべきだと思いますし,そのために,ひょっとしたら「発達障害スペクトラム」という発想が有効かもしれない、と思います。でも「みんな一緒に考えよう」と「言う」だけでは何も変わらないわけで,整理するべきことはいっぱいあるでしょうね。
つまり,言いたいのは,『この文章での自閉症スペクトラム、使い方間違えてると思うんですが、皆さんどう思います?』ということです。(すみません,そらパパさんが書いたわけじゃないのに…)
実際に子どもたちと関わる立場からはこんな理屈どーでも良いことかも知れませんよね。でも,学習障害、ADHDを含め,いろんな発達障害への支援を「いっしょに」加速させるような「視点」ってないものか,みたいに思っていて,少しこだわってしまいました。
もうひとつの理由で,私、TEACCHプログラム研究会に所属していまして、この本の後半はホントに良いなあ、紹介できるなあ,役に立つなあと思うだけに,1章が残念なだあと思ったのです。(長くなってすみません)
アスペルガー当事者でPDD児の親です。
自閉症スペクトラムという用語については、りんごのたねさんのおっしゃる通りと理解しておりました。
一方、学童生徒への特別支援教育の対象として、教育界では「発達障害」(LD、AD/HD、高機能自閉症・アスペルガー症候群)という用語を用います。知的な遅れのないうちのPDD児への支援にはいまだに”情緒障害”のラベルがついています(汗
この本は未読ですので詳しくはわかりませんが、医療分野と教育分野との用語の混乱から、こういった誤解を招く記述になってしまったのかもしれません。
参考までに、国立特別支援教育研究所のURLを貼りますが、研修講義中でも”重なる障害特性”としてLD、AD/HD、自閉症の特性はひとりの児童に重なって現われることがあると述べています。
http://icedd.nise.go.jp/blog/lecture/index.html
コメントありがとうございます。
確かに、ご指摘の35ページあたりは、私も引用して批判しようかどうか迷った箇所です。
このページの図や文章をみると、いわゆる「発達障害全般」のことを「自閉症スペクトラム」と呼んで、その1つの症例が「自閉症」だ、というように読めてしまうので、これは間違っている可能性が高いと思います。
また、左脳・右脳の話題が引用した場所以外にもう1箇所登場することも把握していました。
要は、第1章はあまりに「突っ込みどころ満載」なので、引用する場所を1箇所に絞ることにした、というのが正直なところです。
実際、第2章以降の内容の充実度と、第1章の理論面の弱さの差が極端すぎるので、この本は、第1章と第2章以降を別のライターさんが書いたか、あるいは実践にはめっぽう強いけど理論は苦手というライターが一人で書いたか、どちらかなんだろうと思っています。