(以下、ケガの描写が含まれますので、そういうのが苦手な方は読まないでください)
カッターナイフでタッパーを切るという、まあムチャといえばムチャな作業をしていて、右手でタッパーを押さえながら左手でゴリゴリと押し切りをしていたら、なかなか切れずに満身の力と体重をかけたところで突然全部切れてしまって、さらにその先で押さえていた右手の人差し指の第1関節のところも切って、さらにその先まで行って作業台にカッターナイフの刃が刺さって止まりました。
切れた右手の人差し指は、ちょうど第1関節の折り目の部分、手の平側のほぼ端から端まで、深さで2mmくらいザクッといって、傷口が開いてプラプラして・・・当然、次の瞬間には激痛と同時に血が大量にあふれてきました。
キズの深さと長さを考えると自然に止まるとは思いにくいし、もしかすると手術が必要かもしれず、それができる病院がどこかも分からなかった(行って対応不可だと目も当てられない)ので、救急車を呼びました。
案の定、行った先の病院で8針縫って、包帯ぐるぐる巻きで帰ってきました。
縫ってもらった救急の医師には「毎日消毒のために通院してもらうことになりそうだ」と言われたんですが、今日実際に外来にいって診てもらったら、運良く既に止血していて治りがいいので、このままなら来週あと1回だけ消毒にいって、その後は抜糸まで通院せずに済みそうな感じです。
前の日の夜に包帯巻きだった指も、巨大なばんそうこうに変わって、かなりすっきりしました。このばんそうこうが汚れたら、自分で外して水洗いして(消毒液は使うなと言われました)市販の普通のばんそうこうに替えてしまっていいそうです。
まあそんなわけで、とりあえず元気です。痛いのは痛いんですが、それもそんなにひどくはありません。
皆さんも、ケガには注意してください。
夜中の作業中に大変でしたね。でも治りそうということで良かったです。お大事になさってください。
作業課題とか支援ツールの作製でしょうか。私も男親なのでそういう工作を夜にやったりしますから気をつけることにします。キーボードを打つのも大変でしょうから、お返事などは無理しないで下さい。(あっちの議論ももうすぐ終わりますから(笑)。)
それは大変なことでしたね。
でも、切り口がきれいだったから経過が良かったのですね。
私も課題作りをしていて、思いっきり切ってしまったことがあります。
切れ味のいい工作専用のカッターでしたので、そりゃ~もう良く切れて。
それ以降、箱ばっかり使っています。
しばらくご不自由されるかと思いますが、どうかお大事にしてください。
お風呂とかも大変ですね。お大事にしてください。
自分が7年前に、風呂で背中をタオルで洗っていた時に、すっぽ抜けた左手が勢いあまって棚に乗せていたT型髭剃りにあたり、人差し指第2関節の皮を深く削ってしまったことを思い出しました。
絆創膏をあてて出社したのですが出血が止まらず、医者に行ったら「本当は労災ではないのですか? 保険証を使うのは違法ですよ」と言われ、弁明に苦慮したことを思い出しました。
不自由も多いと思いますが、イライラを貯めないようにしてくださいね。
うちの子は多動がひどくて、目が離せない状態で何が起こるか分からなかったので、万が一の時に対応できるよう、小児救急の講習に夫婦で出た事があります。
幸いこれまではその技術を使わずに済んでいますが、、、、
友人は缶詰のパッ缶の蓋でザックリやったことがあるみたいです。どうかパッ缶にもご注意ください。
救急車は、子どもの交通事故(飛び出し)で2回出動してもらったことがあります。こういう体験はあまり重ねたくないものですね~。
数日前のblogの雇用問題―私も気になりながら新聞やニュースを見てました
以前、職安(ハローワーク)でカウンセラーしていたので余計身近に感じます
今、ジョブコーチもしていますが本当に障害の有無に関係なく会社の存続に関わる不況になっていて沢山の方の雇用は緊迫していると感じます
以下、個別のレスでなく、まとめレスになってしまってすみません。
今回は直接支援ツール作りをしていたわけではないのですが、ある「支援ツール」を作っている過程で余ったタッパーを使った工作でした。(めえめえさんのおっしゃるとおり、私は左利きです。ですので、右手が不自由でも、けっこう何とかなる場面が多いです)
で、こんな目にもあったのもひとつのきっかけかもしれないと感じたので、明日の月曜日、その「支援ツール」の記事を、予定を繰り上げて掲載することにしました。
ケガのほうは、素人目には順調によくなっているように見えます。最近は消毒してガーゼ、ではなく、水道水で洗って密閉というのがケガの治療の基本のようですね。
今回、病院でもそういう風に指導されたので、毎日風呂上りに水道水でよく洗って防水ばんそうこうをかっちりと貼りなおしています。
最後にくままゆさんから雇用についてのコメントがありましたが、いま第3四半期の決算で大揺れに揺れていますが、今年の3月の決算はこれどころでは済まないでしょう。
我々自身の雇用も危なくなってくると思います。
でも、そんなときでもやはり「選択肢のない人」をどうするかというのは、まったく別の問題として考えなければならないんだと思っています。
ご心配くださりありがとうございます。
おかげさまで、もうほとんどよくなって、抜糸の日程を検討できるくらいになってきました。
せつなさん、
コメントありがとうございます。
その本については、別の記事のコメントでちょっとだけ触れていますね。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/110130045.html
軽く立ち読みもしてみたのですが、その範囲では、「ただのFCの『奇跡本』」だとしか感じられず、それであの厚さはとても読みきれないだろうと思ってそのままにしてあります。
多少ジャーナリスティックな書かれかたはされているようですが、だからといって、例えば「医者がすすめる代替療法」が有効とはいえないのと同じように、「ジャーナリスティックなFC本」が信憑性が高いとは思えないというのが現時点での評価ですね。
もちろん、もし本当に「革命」のようなことが起こってきたら、その「現象」に対しては、何か考えなければならないと思います。(それはちょうど、東田さんの「奇跡」に対するのと同じような意味で、です。)
立ち読みでも、せつなさんがおっしゃるような志向性をもった本であることは分かりました。
でも、それでも、少なくとも立ち読みの範囲では、私には「よくあるFC本」にしか見えなかったわけです。
いずれにせよ、機会があるか必要だと感じたら、読んでレビューしてみたいと思います。
この本については、アメリカのAmazon.comのレビュー欄がけっこう面白い展開になっていますね。
http://www.amazon.com/review/1594482721/
レビュー欄のトップがいきなり「ティト本人」と称する人からのこの本への批判になっています(評価は★1つ)。なんか内輪もめ的なものを感じさせる状況です。別のレビューで「This book should be named "The Hollywood Way About Autism"」と書かれていますが、私も立ち読みの範囲でも「ハリウッド的に演出されたストーリーに見えるなあ」と感じました。
それにしても、Amazon.comのレビューは肯定的なレビューと否定的なレビューが入り乱れていて読み応えがありますね。
対して、日本で同様の「自閉症の奇跡」系の本のAmazon.co.jpのレビューは賛辞一色で、否定的なレビューを拒むような雰囲気でなんか気持ち悪いなあ、と感じています。(これは、いわゆるFC系・代替療法系だけでなくて、「ハードなABA」系の本でも感じるところです。)
おかげさまで指のケガはすっかりよくなりましたが、こんな技術が開発されているんですね。
http://japanese.engadget.com/2009/02/17/laser-healing/
針と糸よりも速いレーザー+染料で怪我を治療
傷口に染料を塗り、そこにレーザーを照射することで傷口の皮膚組織を活性化して傷口をくっつけるという手術が実用化されつつあるそうです。
これができれば、傷口に雑菌が入り込めないような「密閉状態」を簡単につくることができそうですし、抜糸の手間もありませんね。
横から失礼します。アスペルガー当事者でPDD児の母です。
> 重度の自閉症児も、テンプル同様、全て視覚優位であり、どの子にとっても、同時処理的な対応が最善であるという考え方
不勉強なので教えていただきたいのですが、このような考え方は一般的なのでしょうか?
ちなみにうちの子はK-ABCの結果、同時処理が継時処理能力を上回っていますが、下位項目のばらつきがかなりあり短期記憶も弱いため、むしろ継時処理タイプに向けた療育をしていただいていると思います。個々の子どもにより得手不得手を生かしたカスタムメイドの療育である必要があると思っていたのですが…
また、自分の感覚を省みても、同時処理と視覚優位とは直結せず、別の問題ではないかと思います。しかしワタシも素人考えなのでよくわかりません。
何かご教示いただければ幸いです。
コメントありがとうございます。
一般論としてですが、結論がトンデモな著述物については、その結論にいたるプロセスもトンデモである可能性が高いと眉につばをつけて考えたほうがいい、と思います。
もしも、著名な科学者が本当にちゃんと「実験」してくれたのなら、その実験が別途学術論文として発表されているはずですので、「ハリウッド風」に脚色されたストーリーを追うよりは、そういった、少なくとも「査読」という客観的なプロセスを通っている文献をあたったほうがいいと思います。
(もしもそういった「論文」が存在しないのなら、その「実験」は、いくら著名な科学者がかかわっていたとしても、それは「本気の実験」ではないと考えるべきでしょう。)
また、療育によって伸びた子と伸びない子がいる、と考える「視点」そのものが、もしかするとちょっと危ういとも考えることができます。
なぜなら、それらの子はもしかすると「何もしなくても同じように伸びたもしくは伸びなかったかもしれない」からです。
こちらの働きかけによって子どもが変化しているのだ、という「因果関係」を安易に見ないことが、残酷かもしれませんが実は大切な視点なのだと思っています。
そのあたりは、過去のこれらの記事とコメントでの議論もご覧ください。
さらに、K-ABCのいう「同時」あるいは「継次」というのも、ある種の知能テストの因子分析から導き出された「構成概念」ですので、それが脳の中に実在する情報処理モジュールであるかのような議論をすると本質を見誤る危険性があります。因子分析というのは、たとえばアサヒビールがスーパードライを出すとき、広告代理店がマーケットリサーチによってビールの味の評価軸が「コク」と「キレ」であると分析し、それを活用して「コクがあるのにキレがある」というキャッチコピーで大成功したときの「コク軸」や「キレ軸」を見つける分析手法のことです。因子分析は、複雑な事象をよりコンパクトに説明することはできますが、それは必ずしもその事象の内部(構造)を正しく解析していることにはなりません。個人的には、知能検査を目的としたK-ABCを、必要「以上」に自閉症療育に応用することは、多少危険かな、という印象は持ちます。「分かりやすい」ことは、「真理に近い」ことと常にイコールではないですから。
そらパパさんのコメントで納得いただけたかとは思いますが、付け加えさせていただきます。
この本を見ないことには話に齟齬が生じると思ったので立ち読みしてみました。せつなさんが感覚処理の部分を気になさったのは、ティト君が聴覚優位であることが強調されて書いてあるからではないでしょうか。
しかし実際には、自閉症児・者といえども必ずしも視覚優位の対処法が有効であるとは限らない、ということは経験的に療育・教育現場では知られているのではないかと思います。
幼児期の療育をうちは受けませんでしたが、経験豊かな療育機関での実践を見聞きしますと、「全て視覚優位という言葉でくく」る療育はむしろ例外で、さまざまなアプローチの蓄積があるようです。(もちろん、それでも合わないとして辞めていく親子もいるそうです)
この本が映画化されるのでしたら、むしろ著者が息子に対し、”言葉による意思疎通が困難だからといって、見聞きしたことを全く理解していないと想定してた”自分の認識に気付き、”今までわかってあげられなくてごめんね”と涙するシーンがクローズアップされるといいな、と願ってます。
なぜなら、これは発達段階・知的障がい・疾病等理由は異なっても、発語困難で一見意思疎通の難しいあらゆる子ども・大人たちの人権擁護につながる重要な問題だからです。
解りやすい解説、ありがとうございます。他のブックレビューでもおっしゃっておられましたが、「ミイラとりがミイラにならないよう」気を付けますね(笑)。それと、K-ABCのデータなども、あくまでも「子どもを楽に学ばせる」ためのツールとして利用するという立ち位置に止まるよう注意したいと思います。
めえめえさん
いろいろ教えて頂き、ありがとうございます。(通級など、いわゆる軽度発達障害児に対する特別支援教育の現場は別として、)少なくとも、無言語だったり、一語文のみと言った重度自閉症児者には「視覚優位」を前提として療育が行われているとばかり、思い込んでいました。(これは、私の周囲ではそうだったということに過ぎないのでしょうね。)重度の方々にも視覚優位でないうというアプローチで療育が行われる場合もあること、そもそも、重度の方々に対して「始めから視覚優位ありき」で組み立てる療育の方が珍しいとのこと、いやー、驚きました。私は、重度自閉症児者の方々については「視覚優位が杖」として、常識のように思い込んでいたので、その常識と思っていたことが非常識だったなんて、自分の無知を恥じ入るばかりです。貴重な、現場のお話、本当にありがとうございました。
それと、例の本が映画化されたとき、世間一般の方々が、めえめえさんのおっしゃっているような視点で映画をご覧になって頂けたら、それはそれで、とっても素敵なことだと思いました。