2009年01月19日

スウェーデンの障害者自立支援

先日、日本の障害者自立支援・就労政策が無策に近い状況にあり、本質的な意味でセーフティネットが機能していないという問題をとりあげました

この問題は、その一方で、「かつての障害者政策のように、単純に資本主義から隔離してしまうこともよくない(資本主義から隔離することは、少なくとも資本主義国家においては、社会から隔離することに極めて近くなってしまいます)」という相反する課題も抱えていて、なかなか悩ましい問題だと感じていたのですが、既にほとんど「最終解」に近いビジネスモデルを作っている国があることを、恥ずかしながら今になって知りました。

それが、スウェーデンです。しかも30年も前から。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090114/182649/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090115/182792/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090116/182922/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090119/183071/
“障害者団体”、スウェーデン・サムハルの驚愕
 未曾有の金融危機の波をかぶり、世界各国の企業で従業員の削減が始まっている。日本でも非正規雇用従業員といった弱い立場の人が「ハケン切り」や「雇い止め」といった形で職を失っている。社会問題化している彼らの救済は、政府にとっても大きな課題だ。
 だが、社会で最も弱いとされる人を正社員として雇用し、納税者として育て上げている企業がスウェーデンにある。
 この会社の従業員のほとんどは障害者である。しかし健常者と変わらない給料が支払われ、健常者と同様に高い税金を国に納めている。会社運営のコストの一部は国民が負担しているが、経営者は国民負担を減らすために不断の努力を続ける。
 働くことは人間なら誰もが持つ欲求であり、個人と社会を結びつける1つの重要な接点である。この会社は雇用の場を提供することで、障害者の社会参加の機会を生み出し、「障害者を納税者に」というその先の目標を見据えた経営を行っている。
 手厚い福祉で知られるスウェーデン。この会社が体現しているのは「働く意志を持つ者には等しく機会を与える」というスウェーデンの哲学である。福祉という視点を超えた経営哲学からは、弱者救済という視点からは見えてこない、強い国造りのあり方が見えてくる。


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この政策、30年も前からやっているわけですから、知っている人には常識なのかもしれませんが、私は初めて知りました。(スウェーデンがすごいらしい、という話は多少聞いていましたが、ちゃんと調べたことはなかったわけです。)
そして、それから30年もたってから成立した「障害者自立支援法」が、少なくないケースでかえって障害者の自立を妨げていること、特に知的な障害があって民間には就労の場などほとんど期待できない人には「やらずぼったくり」に近い状態になっている事実を考えると、日本の行政というのはいいところも悪いところも本当に「アメリカ的」で、その結果として、競争原理を働かせてはいけないはずの領域にまで競争原理・自己責任原則を適用してしまっているのではないか、と改めて感じました。

日本は戦後、ほとんど全期間にわたって保守系・アメリカ自由主義系政権が国政を担ってきましたから、かつての「隔離」の次に進められた「新しい障害者福祉行政」が、こういった機会平等・結果自己責任的な政治的価値観に基づいて展開されてきたことは、ある意味当然のことだと言えます。
そして、こういった問題への論調をみても、特に景気がいいときなどの「平時」には、特定の弱者への過剰な支援は、そこからこぼれる「潜在的弱者」との「逆格差」、「不公平感」を作り出し、弱者に甘い汁を吸わせることになるから好ましくない(だから、弱者にも自己責任を負わせるべきだ)といった意見が少なくないことを見ても、こういったアメリカ的な福祉行政のスタンスは、国民からも一定の支持を得てきたともいえるでしょう。

でも、そんな「アメリカ主義的な障害者福祉行政」は、「アメリカ主義的な経済の崩壊」によって、その弱点を露骨にさらけ出してしまいました。それは、先日記事としても書いたとおりです。

競争原理を抑制する、というのは、採算を無視してお金をつぎ込むということと必ずしも同じではないでしょう。そのことを、スウェーデンのサムハルのモデルは事実として私たちに提示してくれています。

上記の日経BPのシリーズ記事をみると、1回目の記事は比較的平凡な「スウェーデンの障害者就労政策はよくできてますよ」といった記事ですが、2回目の記事からサムハルの「企業としての強さ」が顔を出し、3回目の記事では、サムハル設立にこぎつけた「官僚の優秀さ」に驚かされ、このビジネスモデルがそんなに「ヤワ」なものではないことがはっきり分かります。

もちろん、国営企業として税金を注入してはいるわけですが、サムハルは障害者を労働力として育て、優秀な人間を一般企業に「転職」させること、さらに身体障害者だけでなく知的障害者の雇用率を高めること、さらに「営業活動」や「サービス開発」によって仕事を自ら見つけたり作り出したりして社員の労働時間を維持することなどの国からの高い要求をクリアしつづけていて、日本で「特殊法人」と呼ばれているような団体の「運営」でイメージされるようなものとはまったく異質の、難易度の高い「経営」によって企業としての質を高めています。
つまりここには、「障害者による就労に『流動性』をもたせる」という、志が高く、でも想像を絶するほど難しい目的が課されているわけです。

このスウェーデンの取り組み(しかも30年近く前から既に行なわれていること)を横目で見ながら、いまの日本の障害者自立支援の現状、特に知的障害者の現状をみるとき、やはり、日本の政治の貧弱さを嘆かずにはいられません。

もちろん、スウェーデンは日本とはけた違いの国民負担率を前提にした非常に「大きな政府」をもっており、基本的に「小さい政府」を志向している日本の行政体制全体のなかで、障害者福祉行政だけ「大きな政府的」になることは難しいという側面もあるでしょう。
経済のグローバル化と世界的な経済縮小のなかで、サムハルの現状が決して安泰ではないことも、このシリーズ記事には書かれています。

でも、そういうことではない、と思うのです。
このスウェーデンの取り組みをみたときに、日本の障害者自立支援法、そしてその実施には、ある種の「志」とか「理念」が決定的に欠けているように、私には思われるのです。それは、具体的にどんな取り組みを実施するのかといったレベルよりもさらにベースにある、もっともっと本質的な政治の姿勢です。
その「本質的な姿勢」の弱さが、いまの福祉の厳しい現状、障害者自立支援だけでなく年金にしても健康保険にしても介護にしても、さらには最近話題の非正規労働を巡る制度上の問題にしても、すべてにおいて現れているのではないか、そんな風に感じるのです。

右肩あがりの成長の前提がおけなくなった(むしろ、ここ数年は右肩下がりでしょう)経済状況のなかで、最も難しく、高度で志の高い経営マインドが問われるこれらの領域が、ある意味「もっとも経営マインドから遠い人たち」によって占められ、「朽ちて」いくのを見るのは、本当に胸の痛くなる思いです

この、いろいろなことを考えさせられるスウェーデンの話題、あともう1回連載があるようです。
記事が増えたらリンク先も追加するようにしたいと思います。

→リンク、追加しました。最後は日本の話題になって、今回の記事と符合するように「思想」の問題が入り込んできて、やっぱり考えさせられました。
posted by そらパパ at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の話 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。10ヶ月前に夫の仕事の都合でイギリスに引越し、息子(3才9ヶ月)が2ヶ月前に自閉症の診断を受けました。イギリスに来てから、毎晩ネットで自閉症について調べ、そらパパさんのホームページに辿り着きました。
自閉症に関するほとんど全ての情報を網羅していて、その素晴らしさに感動し、そらパパさんの著書はもちろん、こちらで紹介されている本をまとめて購入しました。
日本語の情報がなかなか得られない海外で、そらパパさんのホームページには大変助けられています。

スウェーデンが福祉国家として優秀だとは聞いたことがありましたが、単に福祉が良いというだけでなく、障害者が健常者と同じような自立した生活をする、ための支援が素晴らしいですよね。日本とは、障害者に対する意識が根本的に違いますね。

同じように、ここイギリスでも人々の障害者へ対する意識の違いを日々感じています。
イギリスでのサポートや療育の質の高さに驚くことも多いのですが、それ以上に、社会の人々の障害者に対する考え方が前向きで、困っていることは手助けするけど、特別視しない、という自然な対応に助けられています。

イギリスではインクルージョンに積極的な学校が多く、息子の通う普通幼稚園でもアシスタントの先生が息子についてくれているのですが、健常児と同じようにクラスで過ごしています。他のお子さんや親御さんたちも、息子の奇行にもたじろぐことなく、よく話しかけてくれ、困っているとすぐ手伝ってくれます。障害のことも気軽に話題にできるような雰囲気です。
特に特別視されることもなく、障害というのも一つの個性くらいに考えてる人が多いように感じます。障害者だけでなく、健常者も一人一人違うし、誰でも苦手なことはある、ということもよく聞きます。

社会の人々にそういう思想があってこそ、国家の福祉もいい方向で機能していくのでしょうね。
イギリスでも福祉は万全ではないので、やはり将来に不安を感じることはありますが、周りに助けられてなんとかやっていけるだろう、と思うことも多いです。
日本では、障害者のためにバスが遅れると文句を言われるなんて、悲しいですね。障害の認知、場作りを親任せにするのではなく、国が本腰を入れて取り組んで欲しいですね。
Posted by トーマス at 2009年01月22日 09:53
トーマスさん、

コメントありがとうございます。
また、拙著やその他の本をご購入いただき、ありがとうございます。

多くの方からサポートをいただいていることで、私も頑張ってブログを続けています。

日本人には、多様性を寛容に受け止めるというメンタリティが弱いのかもしれないですね。
誰でも、一時的にみっともない状態になったり、無責任な判断をしてしまったり、そして、一時的もしくは継続的に、多大な介助を受けなければならなくなったりすると思います。
そういう場面において、周囲の人がなぜか簡単に「上から目線」になってしまって、自己責任論が出てきたり、「助けて『やる』」(だから感謝してへりくだって当然)といった感じになってしまうのは、なぜなんだろう?と思います。

一つには、トーマスさんも触れられているように、ノーマライゼーション教育がうまくいっていないということがあるのかな、と思います。
障害を持った人はかつてよりもずっと「姿が見える」ようになったわけですが、それに対して「障害を持っていない人」のほうに受け入れ態勢を作ることを怠ってきているのかもしれません。

あまりこの辺は考えがまとまっていないので、散漫なコメントになってしまいましたが、スウェーデンの「成功例」を知ったことは、それはそれで勇気付けられもしました。

日本にも、これと同じではないにせよ、何か次の時代につながる「新しい芽」が出てくるといいなあ、と思います。
Posted by そらパパ at 2009年01月22日 23:41
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