2008年12月01日

作用点と操作点

久しぶりに、娘とのかかわりの中での発見について書こうと思います。

ちょっと前のことですが、娘が目やにが出るからということで、ちょうど私も休みだったので家族で眼科に連れて行きました。
そこで、診察のときに娘が怖がってしまって、なかなかお医者さんに正面を向いてくれないので、私が背後から「羽交い絞め」の形で娘を抱え込みました。
まあ「羽交い絞め」と書くと印象がものすごく悪いですが、後ろから娘の両脇に腕を入れて、手を娘の頭の後ろで組む、という形ですね。診察してもらえるようにお医者さんの正面を空けながら、横に逃げようとする娘を前に向かせるためには、この形が一番よかったわけです。

そうしたところ、なんとか逃げようとする娘は、自分の後頭部の後ろにある、私が組んでいる手のところに自分の手を伸ばして、私の組み手を外そうとしました

私は娘が「脱出」しないように悪戦苦闘しながらも、この娘の行動にちょっと嬉しくなったのです。

というのも、

以前は同じようなことをしたときに、いつも、自分の体の動きが止められている部分、つまり今回の例でいえば、脇の下を回っている腕のあたりを外そうと頑張っていたのです。
これだと、実際には腕は外れませんから、親としては逃げないようにおさえているのも割と簡単です。

ところが、今回は実際に固定されている脇の下ではなく、その固定している私の腕を外すことができる場所である、「自分の後頭部の後ろにある組んだ手」を外そうと頑張ってきました。

これは、動きを止められている体との接点(作用点=腕)と、実際におさえられているのを外すために手を出すべき場所(操作点=頭の後ろで親が手を握っている場所)が異なることを理解して、後者のほうに働きかけているということを意味しています。

実際には私の手が後ろで組まれていることは娘には見ることができませんから、自分自身のボディ・イメージや周囲の存在についてのイメージをちゃんと3次元的にもったうえで、目に見えている状況などをヒントにして行動していることが伺えるわけです。

私は娘のこの行動を見て、かつて何年か前に娘の療育を始めたとき、娘がまともな自分自身のボディ・イメージすら持ち合わせていないらしいことに気づき、試行錯誤の末に「鏡の療育」というアイデアを思いついたことをいまさらながらに思い出しました。
あのとき、何とか娘に身につけさせたいと考えていたことが、ようやくここへきて「確実に身についていて、実際に活用できている」と感じられるようになりました

これは、本当に嬉しい発見でした。(もちろん「その場」では、娘に診察を受けさせることでいっぱいいっぱいですが(笑))

ところで、そうやって改めて考えてみると、他にも娘の「認知構造の発達」に気づける経験がいくつもあります。

例えば、我が家では、夜、娘を寝室に連れて行くとき、寝室の明かりをつける「仕事」をやらせていますが、お気に入りの絵本を両手いっぱいにかかえて寝室に行ったときは、以前は手がふさがっていてスイッチに手を伸ばせず、パニックしていました。

それが最近では、絵本をふとんの上に放り出して両手を空けてからスイッチを入れて、また絵本を拾いなおすというのを当たり前のようにやるようになりました。
絵本を放り出すときはまだ真っ暗なので、放り出すと絵本が見えなくなるはずですが、それでも安心して放り出せています。

これは、「ものの保存則」(いまここにあるものは、ちょっと手放したり視界から外れてもちゃんとそのまま存在するという、世界についての理解)が身について、しかもそれを実際の生活で自然に応用できるところまできた、ということなんだろうと思います。

振り返ってみると、「実際の生活に応用できる」というレベルでいえば、ごく最近まで、この「保存則」は娘にとっては成り立っていなかったように思います。
それが最近「身についた」ことによって、今まではやらなかったような(多少非適応的な)行動も出てきました。
それが、みんなで取り分けて食べるような食事やおやつが、私たちが食べて減ってくると怒り出して、自分ひとりで独占しようとする、さらには、できるだけ自分の「取り分」が多くなるようにすごいスピードで食べる、といった反応です。
家族が別々の皿で食べているような食事も、何とか自分の分を早食いして自分が横取り?しようと必死になったりします(笑)。

こういうのって、要はどれも、「目の前の事象にそのまま反応する(ことしかできない)」という状態から、「目の前の事象そのものではなく、それに基づいて構築された内面の『安定した世界』のイメージに基づいて行動する」という状態に移行した、言い換えると、「世界をメタ認知できるようになった」ということを意味しているんじゃないかと思います。

ピアジェ的に表現するならば、「感覚運動期」から「前操作期」に移行した、ということなんだろうな、と思います。

娘は、いろいろな状況証拠から、ここ1年くらいの間にようやく、「2歳児の大きな変化」に相当するような知的な面での発達が見られるようになってきたと感じているのですが、今回の「発見」もまた、そのもう1つの「状況証拠」になっているんじゃないかな、と感じています。

そういう意味では、認知構造が大きく変わっていくという、「高いハードル」でもあり、ある種の「危機」でもある時期を、何とか大きなトラブルなしに乗り越えて、新しい発達段階に到達しつつあることを、まずは素直に喜びたいなあ、と思います。
もちろん、娘の実年齢はもう6歳で、遅れという意味ではとても大きなものが存在するのも事実なのですが、そういう相対的なものは横において、娘自身が着実に成長しているということに、試行錯誤を続けてきた親としての喜びもありますし、ちょっと距離をおいて発達心理学的に見たときには、その飛躍に率直に驚きも感じます。
posted by そらパパ at 21:42| Comment(3) | TrackBack(0) | 娘の話 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど。

娘さんのご成長、おめでとうございます。m(_@_)m
Posted by BUNTEN at 2008年12月01日 22:37
子供達が発する言葉に日々私もびっくりさせられることがあります。私が教えられることがあります。そらまめパパさんのお子さんに対するおとうさんとしての強さや優しさは私が見習わないといけないと思っています。我が家は母子家庭ですから…そんな優しさや強さを持てるおかあさんでありたいです。
Posted by 鈴蘭 at 2008年12月02日 15:00
BUNTENさん、鈴蘭さん、

コメントありがとうございました。

こういう、小さな「発見」を励みにして、子育てを続けていければいいなあ、といつも思っています。
Posted by そらパパ at 2008年12月02日 21:41
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