2008年09月15日

フレーム問題とTEACCHの構造化

この分野を知っている人には当たり前すぎることだと思われますが、そういえば書いていなかったなあ、ということで、書いておきたいと思います。

人工知能研究の分野の古典的な問題として「フレーム問題」というのがあります。

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/frame.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%95%8F%E9%A1%8C

これは、「ある目的のために行動するときに、世界に存在する無数の事象のなかから、どうやって瞬時に『考慮すべき事象』だけをピックアップし、そうでない事象を端的に無視できるのか」という問題です。

哲学者のデネットが提示した有名なフレーム問題の例がありますので、それを以下に示します。(これは、私の1冊めの本『自閉症-「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育』の中でまとめたものの引用です)

 技術者がR1というロボットを開発した。
 ある日、R1の予備バッテリーのある倉庫に時限爆弾がしかけられたため、R1はバッテリーを救出するための行動を計算し、「バッテリーの載ったワゴンを引っ張って倉庫から出す」という答えを導き、R1はこれを適切に実行した。
 ところが、運悪く時限爆弾も一緒にワゴンの上に載っており、R1はバッテリーと一緒に爆弾も持ち出したことに気がつくことができなかった。
 R1は爆弾もろとも爆発した。

 R1の失敗を目にした技術者は、R1の改良バージョンとしてR1D1を開発した。
 R1D1は、R1とは違い、自分の行動そのものだけでなく、その行動が引き起こすさまざまな副次的結果(たとえば、ワゴンを引っ張ればワゴンの上にあるものはすべて一緒についてくる)をもあわせて計算する(演繹する)能力が新たに実装されていた。
 R1D1もワゴンの上のバッテリーの救出をすることになり、「ワゴンを引っ張って倉庫から出す」という行動について計算を始めた。R1D1は、ワゴンを引っ張っても部屋の壁の色は変わらないということを計算し、続いてワゴンを引けばワゴンの車輪は回転するだろうという計算を始めた。その計算中に爆弾が爆発し、R1D1は爆弾もろとも爆発した。

 R1D1の失敗を目にした技術者は、R1D1の改良バージョンとしてR2D1を開発した。
 R2D1は、R1D1とは違い、ある行動に付随するさまざまな副次的結果について、「関係がある」結果と「関係のない」結果を区別し、関係のない結果を「無視する」ことができるように設計された。
 R2D1もワゴンの上のバッテリーの救出をすることになったが、倉庫に入ろうともせず、ただじっと動かずにいた。
 技術者が「何かしろ!」と言うと、R2D1はこう答えた。「邪魔しないでください。私は関係のない結果を見つけてそれを無視するのに忙しいのです。無視しなければならない結果は何千とあり、関係のない結果を見つけるたびに、それを無視すべき結果のリストに追加しているんです。」R2D1もまた、爆弾もろとも爆発した。

古典的な人工知能は、ルールの決まったゲームをプレイするなど、考慮すべき事項が有限の「閉じられた」世界では目覚しい発展をみせた一方、考慮すべき事項が無限にある「開かれた」外の世界に出た瞬間に、まさに上記のR1D1のように「立ち往生」してしまったわけです。

ここで不思議なのは、「なぜロボットにフレーム問題を解かせるのが難しいのか」ではなく、「なぜ我々はフレーム問題に悩まないで済んでいるのか?」という、むしろそちらのほうです。
なぜかわからないけど、私たちは「無限にあるさまざまな事象」から、その都度適切に「考慮すべき事項」だけを端的に引き出して、問題解決して毎日を「無事に」過ごしている。
もしもそのことができなければ、私たちはR1D1のように「考慮すべきことが多すぎて立ち往生してパニックしてしまう」か、R1のように「単純すぎる定型パターンで行動して融通が利かずに失敗する」か、どちらかになってしまうでしょう。

・・・気がつかれたでしょうか?
この、R1やR1D1的な「失敗の行動パターン」が、どこか自閉症児の「失敗の行動パターン」に似ていることに。

この、「自閉症児者にはフレーム問題が(我々より深刻な形で)発生しているのではないか?」というのは、証明されていない仮説ですが、かなり有力なものであることは間違いないと思います。
そして、この仮説を採用すると、こんどは逆に「フレーム問題が発生しにくい環境のもとでは、自閉症児者は一般的な環境よりも問題解決・行動しやすいのではないか?」という仮説を導くことができます

この考えかたにもとづいた働きかけだと言えるのが、実はTEACCHの「構造化」になります。(これをTEACCH自身が意識しているのかについては、ここではとりあえずおいておきます。)
構造化によって行なわれる、視覚化、場所の意味の明確化、スケジュールや手順の提示は、すべて「行動にあたって考慮すべき事象のバリエーションを減らして、有限化していく」働きかけ、ないしは「毎日の生活に人為的に『フレーム』を提供する」働きかけだということができます。

つまり、TEACCHにおける構造化というのは、別の視点からみると、「深刻なフレーム問題に悩まされている(と想定される)自閉症児者に、フレーム問題が起こりにくい環境を人為的に提供することで、フレーム問題を『解消』(解決ではない)する働きかけ」だと考えることができるわけです。

この問題は、もっともっと掘り下げて考えるテーマだと思いますが、今回はここまで。
また機会があったら続きを書いてみようと思います。

参考:フレーム問題についても触れられた易しい心の哲学の本は、たとえばこちらこちらがあります。
posted by そらパパ at 21:36| Comment(6) | TrackBack(2) | 理論・知見 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そらパパさん

当方、本件の事象については全く同意するものです。

でも、ご自身がご指摘されているように、構造化すればフレーム問題を解消はできても、(根本的に)解決ができているわけではないので、般化をどうするのか、限定された環境だけでしか発揮できない能力は、能力として獲得したと言って良いのか、という疑問を持ちます。

社会全体での取り組みが求められるTEACCHの概念は素晴らしいのですが、そうなっていない現実とは未だギャップが大きく、TEACCHには懐疑的になってしまいます。
Posted by はじめ at 2008年09月16日 06:11
はじめさん、

ご指摘の部分は、エントリに書いた「もっと掘り下げる部分」の一つだと思いますが、TEACCHというのは究極的にいえば、構造化された環境で学んだことを般化させようというものではなく、構造化された環境を生涯にわたって提供しようというものですね。だからこそ、就労支援とか余暇活動支援とか生活拠点作りまでがTEACCHに含まれているわけです。
日本ではそこまでの取り組みとして結実しているわけではないというのも事実ですが、地域に1か所、2か所でもそういった生涯の活動を支える場所ができて、最低限の「点の支援」ができれば(それくらいなら、親の力でもそれなりになんとかなる部分があるでしょう)、点が線になり、線が面になるという形で、TEACCHがめざすような自閉症児者の生涯の生活の場をつくる方向が見えてくる可能性があります。「TEACCHは行政だのみ」というわけでも、必ずしもないと私は考えています。

※TEACCHの本旨とはずれますが、最初にシンプルな環境で基礎を学習させたほうが、より複雑な学習(まあ「般化」もその一種でしょう)が容易になるという研究結果は、ニューラルネットのエルマンネットか何かの研究であったと思います。ABAでも、成功しない難しい課題をいきなり与えずに、成功できるスモールゴールを設定して少しずつ難易度を上げていくというアプローチは基本ですね。構造化も(繰り返しますが、これはTEACCHの本旨ではありませんが)、そういうスモールゴール設定を可能にする手段としてとらえることも可能でしょう。
Posted by そらパパ at 2008年09月16日 21:42
言語学では、フレーム意味論というのがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%84%8F%E5%91%B3%E8%AB%96

「売る」「買う」の違い、「coast」と「shore」の違い。こういう視点の切り替えに弱い自閉症は「語用論の障害」ではくくれない不思議さがあるなぁと思うのです。

>就労支援とか余暇活動支援とか生活拠点作りまでがTEACCHに含まれている

結局、こどもの10年後を考えるとこういう分野で頑張らないといかんなぁ、と思い始めています。行政は全くあてになりません。
Posted by あやぱぱ at 2008年09月16日 22:49
あやぱぱさん、こんにちは。

Wikipediaの記述をみると、なんかヴィトゲンシュタインの言語ゲームの話とかを思い出しますね。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/ronri2.html
(ご指摘のフレーム意味論のほうは、まだ「意味」がアプリオリに存在することを前提にしているようですが、「言語ゲーム」のほうは、「意味」すらも「関係」のなかで初めて生成される、と考えるものだと理解しています。)

いずれにしても、ことばというのは単語と意味の1対1対応でできている、なんていうのはまったくの誤解であることは間違いありません。
ことばというのは、まさに世界と相互作用するなかで初めて「意味」が立ち現れる、きわめて社会(フレームと呼んでもいいのでしょう)依存的な現象です。

また、最後の部分、まったく同感です。
子どもだけにすべてを押し込もうとするのでもなく、他人任せで社会が変わるのを夢見るのでもなく、まさにその「中間」のところで、私たちに何ができるのか、ということを、私も子どもがもう少し大きくなってきたら真剣に考えなければいけないなあ、と思っています。
Posted by そらパパ at 2008年09月17日 22:53
そらパパさん

初めまして。いつも楽しく拝見させてもらってます。

私は知識工学を専門に研究させてもらっているのですが、常々、人工知能や知識工学の知見がこの世界に活かせるものは多いと常々考えています。子どもたちの様々な行動の要因が人工知能・知識工学の限界という視点から説明できる場合が結構多い気がしてなりません。

構造化に関しては常々「人為的に『フレーム』を提供するもの」と思っていたのですが、ずばりの記事が書かれていたので思わずコメントさせて頂きました。

今後とも応援しております。
Posted by おがっち at 2008年09月19日 12:49
おがっちさん、

はじめまして。
コメントありがとうございます。

この、「TEACCHの構造化=フレームの人為的提供」という考えかたは、TEACCHとフレーム問題の両方を知っている方に話すとほぼ100%賛同してもらえます。ですから結構妥当性の高い考えかたなんじゃないかな、と思っています。

面白いのは、TEACCH自体はそういうロボット工学のような研究とはほとんど接点がないのに、実践と経験によって現在のような姿になっている、ということですね。(^^)

これからもよろしくお願いします。
Posted by そらパパ at 2008年09月19日 22:25
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