ところで、ここで私が主張している立場というのは、感覚的な議論としては、多くの方に伝わっているんじゃないかな、と感じています。
その一方で、「それはABAが前提としている立場とは矛盾しているんじゃないか?」という批判もあるのではないかと思います。
つまり、こういうことです。
ABAの知見は、実験によって科学的に証明された真理に基づいている。
自閉症児と健常児との違いは、「発現している行動の有無や違い」として列挙することができる。
自閉症児の行動は、ABAの知見によって修正したり発現させたりすることができる。
したがって、「発現している行動の有無や違い」をABAの知見により変容させていけば、自閉症児を健常児にすることができる。
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つまり、ABAによる働きかけは理論的には万能である。
(現実場面でABAが万能でないのは、「行動修正カリキュラム」を完璧に作ったり、それを実際に完璧に実施するだけの時間や人材が用意できないからであって、それらについて理想的な環境を用意できれば、ABAは理論的には万能であるはずだ。)
多少極論的に書いていますが、要は「現実としては効率とか養育者の努力の問題はあるが、理論的にはABAは何でもできるはずだ」という立場です。
この主張に反論することは、実は簡単なことではありません。
これは、そもそも理想状態を想定した「たられば」の議論であって検証不能だ(なので、議論は必然的に哲学的なものになっていくでしょう)というのが一因ですが、それよりもっと大きな理由は、この議論に反論するためには、私たちの多くが常識的にもっている、素朴な「科学」に対する認識を超えていく必要がある、と考えられるからです。
ABAが持つ世界観は、典型的な古典科学的・決定論的世界観です。デカルト的・ニュートン的世界観だといえば、科学哲学に明るい人ならこの後の議論が大体見えてくるでしょう。
ABAは、人間の活動全般を、1つ1つの個別の「行動」に細分化します。
そして、この細分化された行動に対して、「ベースライン」を観察し、「療育的働きかけ」を行ない、「効果」を観察・測定します。
このとき、観察される「行動」は、通常1種類、まあ多くても2~3種類くらいの行動のマトリックスに単純化されています。
そして、このように細分化された「行動」の1つ1つに働きかけを行なった結果の集合体として、「人間の活動全般」に効果を及ぼすことができる、と考えます。
上記のように整理すると、ABAが行なっていることが、古典的な科学の方法論にかなりきれいに乗っていることが理解できると思います。
そもそも「心理学」は、哲学から独立して「科学」としての地位を築きたいと切望してきた歴史があり、それが最も先鋭化したのがスキナーらの「徹底的行動主義(心理学)」ですから、その流れをくむABAが、徹底して「科学のスタイル」をとっていることは自然なことだと言えます。
ニュートン物理学がそうであったように、ABAのこの方法論は、ある一定のレベルまでは素晴らしい成果を約束してくれます。
いま私たちが、発語のない自閉症児を前にしてもそれなりに「働きかけができる」と自信を持つことができるのは、ABAの方法論のおかげだと断言しても間違いないでしょう。
でも、ABAは「療育のすべての真理を完全に語ることができる究極の方法論」ではない、と私は考えています。
これもまたニュートン物理学と似ていますが、ABAが暗に前提としていることが実際には成り立たない領域が存在するために、ABAは(ニュートン物理学と同様に)「療育の一部の真理を近似的に語ることのできる、限定的な方法論」に過ぎないのです。
まず、人間の活動を個別の行動に細分化して働きかけを行ない、それを合成すれば全体への効果となる、という考え方は「還元主義」と呼ばれる考えかたです。
次に、働きかけを行なうときに「ベースライン」をおき、働きかけの「効果」をその「ベースライン」との比較でみる、という考えかたは、ニュートン物理学が絶対空間・絶対時間をおいたのと似ています。そもそも、人間の活動を、特定の「指標」に置きかえて効果測定するというのも、一種の還元主義だといえます。
そしてもう1つ、ここに隠れている前提として、療育とその効果は、外部から客観的に「観察」できる、という考えかたがあります。これは「観察と行為の独立性」、あるいは「神の視点」とでもいったものです。
近現代の科学に興味のある方ならご存知のとおり、ニュートン物理学もかつては、「世界のすべての真理を語ることができる究極の方法論」になりうると考えられていました。まだ世界の全容を語れないのは、方法論が悪いのではなく、我々がまだ解明していないことがあるからだ、と考えられていたわけです。
その考えかたに立つと、もしも世界のすべてのパラメータを知る者(ラプラスの悪魔)がいれば、ニュートン物理学の法則に従い、未来がすべて予測できる理屈になります。
しかし、ニュートン物理学における、これらの「暗黙の前提」は結果として否定され、現在ではニュートン物理学は「世界の一部の真理を近似的に語ることのできる、限定的な方法論」として扱われています。そのような「ニュートン物理学の克服の過程」が、現在の地球温暖化問題にもつながる、現代物理学の歴史だといってもいいでしょう。
・・・長くなってきたので、ここから先は次回に回したいと思います。
(次回に続きます。)
私には複雑系科学は理解できないでしょうが、環境問題に代表される「予防措置原則」に、かなり興味を持ちました。捕鯨が攻撃される理由とか、牛肉の安全性などについて考えるとともに、TEACCHって、予防措置的なアプローチだなーと思いました。原因は何かはっきりしないけど、20年、30年、一生のスパンで今こういう支援をしておく、という視点を感じました。その支援の方法論の中に、ABAも含まれていると思いました。
そもそも、子供にとって楽しいことや意味ある行動を強化して、毎日を楽しくする。そして、今やめて欲しい行動の代替行動になる行動を強化しておいて、切り替えてもらう、などの手法にABAは有効ですね。そして、私には何より、親がおもいがけない強化や無駄な怒鳴りをして、子供の自己評価を下げないために、とても有効と思いました。
記事の続き、「限界」について楽しみにしています。
いつもコメントを読んでいて思うのですが、ピッカリママさんは心理学の本質とか科学哲学といったものへの理解がすごいですね。
とても初めて心理学を学び始めたばかりだとは思えません。
要素還元主義のABAが、発達障害支援のような「複雑系っぽい事象」に効果があることの不思議さについては、まさにご指摘のとおりです。既にこの後の議論を80%くらいは先取りされていると思います。
環境問題などについては、実は私はかなり昨今の議論に対しては懐疑的です。本当に地球は温暖化しているのか、仮にしていたとしてもそれは二酸化炭素が原因なのか、といったあたりについては、まさに「複雑系」の議論であって、科学はけっこう無力なのです。(ですから、昨今の環境問題に関する議論は、科学の議論というよりは実は政治の議論だと考えています。まあ、だからといって環境にいい生活を志向することを否定するものではありませんが。)
TEACCHとABAは、似ているところと真逆のところがあります。今回の議論に関連する部分でいえば、実はABAは「発達」そのものはほとんど扱いません。一方、TEACCHは「発達」を待って、その上で働きかけるような側面があります(「芽ばえ反応」などがその典型ですね)。