2008年08月13日

TEACCHと行動主義

TEACCHと行動療法、ではなくて、TEACCHと「行動主義」です。

このブログでは、TEACCHに共感的な記事を割と多く書いていて、逆に行動療法には批判的な記事も少なからず書いているので、恐らく私はTEACCH派で行動療法に批判的だと受け止めていらっしゃる方が多いんじゃないかと思います。
それはある程度事実ではあるのですが、でも私は、行動療法の前提となっている「行動主義」という考えかたには非常に強い共感を持っています。

もっとはっきり書くなら、私は、行動主義者です。

とはいえ、行動主義というのは、「行動療法が一番いいと考えること」ではありません
そうではなくて、「『こころ』という目に見えない概念に依存せずに、目に見える行動との接点を常に持ちつづけようとする態度」のことだと思っています。ですから、行動主義をベースにTEACCH的働きかけを行なうことは可能ですし、私自身の立場はそういうものだと思っています。

私の考える「行動主義」とは、「こころを考えるな」とか「こころは存在しない」という極論ではありません。
ヒトの行動を見て、そこから何らかの「こころの働き」を考えることは、あっていいと思います。
「こころの働き」を意識しながら、子どもの行動に対して働きかけを行なうことも、あっていいと思います。

ただ、私が絶対に避けよう、と思っているのは、子どもの行動を見ることを忘れて、子どもの「こころの働き」を直接考えようとしたり、子どもの行動にではなく「こころに働きかけよう」と考えたりすることです

「こころ」というのは、実際には目に見えないにもかかわらず、私たちが(ある意味、身勝手に)作り出した「想像の産物」です。それが実在するかどうかもわかりませんし、かりに「実在」するとしても、そのあり方が私たちが想像しているものと同じであるとは限りません。
ですから、そんなものを直接「見よう」としたり「働きかけよう」とすることは、それこそ目に見えないオバケを霊視しようとしたり、お祓いで退散させようとすることと本質的には変わらないとさえ言えます。

自閉症は私たちにとって難解な障害で、一歩間違えると簡単に迷い道に入ってしまう(しかも自閉症児者からのフィードバックが少ないため、「間違った道を歩いている」こと自体にも気づきにくい)ので、確証のもてない仮説をおくことは(迷い道に入らないように)できるだけ避けるべきだと思います。

そのために有効なのが「行動主義」という考えかたなのだ、と思います。行動主義に立った療育は、子どもの現状も、働きかけそのものも、働きかけの結果も、すべて目に見える「行動ベース」で確認・検証します。「行動ベース」の最大の特長は「誰の目にも見える」ということです。
ですから、療育の過程で多少「道から外れる」ことがあっても、その外れ方が大きくなりすぎてしまう前に、「行動を見る」ことで軌道修正できるわけです。

誤解を恐れずにあえて言うならば、そうは言っても自閉症の療育は、「行動を修正すること」に留まるものではなく、やはり「こころに働きかけること」まで含むものだと思います。これは、心理学の研究対象が「行動」だけに留まらず、それより広大な「こころ」である、というのと同じ意味で、そう書いています。
でも、「こころ」は目に見えません。
ですから、自閉症の療育とは、真っ暗闇の中を迷子にならずに歩いていこうとするような営みであるといえます。
でも、「行動主義」にこだわった療育スタイルを堅持できれば、「子どもの行動を見る」たびに、その暗闇に一瞬ですが明かりが灯るのです。
「こころ」という真っ暗闇の中を、ときどき一瞬ピカッと光る明かりを頼りに、着実に目的地に向かって歩いていく、行動主義にもとづいた自閉症の療育は、そんなものだと思います。

私は基本的にはTEACCHに共感的なのですが、一点、気になるのは、ここで書いているような意味で、「こころを(行動を介さずに)見ようとして」いたり、「こころに(行動を介さずに)働きかけようとして」いる(つまり、オバケを相手にしていて、それに気づいていない)ように見えることが、たまにあることです。
TEACCHが想定する、自閉症児者のもつ認知面の困難という「仮説」(目に見えない内面のことなので、これはあくまでも「仮説」です)は、それなりに科学的な妥当性がありそうなものだとは言えますが、それでもやはり、個々の自閉症児者ごとに「行動ベース」で理解・検証を積み重ねていく働きかけが重要なのだと思います。
その部分は、TEACCHであっても常に禁欲的であらねばならない、と私は考えています。そうでなければ、自閉症児の「こころ」を身勝手に「解釈」して、検証不能な「こころの療育」と称するものを施していた(そして予後は悪かった)かつての悪しき自閉症療育の影は、意外と簡単に忍び寄ってくるのではないかと感じています。

(これは、一部に存在する、バロン=コーエンの「心の理論」などの仮説にもとづいた認知心理学的アプローチをとる自閉症理解・療育法についても、同じように感じるところです。)


参考までに、私が上記でとっているような立場は、心理学においては「方法論的行動主義」と呼ばれています。一方、ABAが寄って立っている立場は少し違い、「徹底的行動主義」と呼ばれます。
参考リンク:その1その2

posted by そらパパ at 21:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 療育一般 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
すごくぴたっときました。

私は行動至上主義かも・・です。

全て、子どもの行動から判断します。

分かってるけどしない、というような複雑な事はしないお子様を育てているので、それでいいかなと思っています。

勇気ある今回の記事、ありがとうございます。
Posted by こうまま at 2008年08月14日 20:10
こうままさん、コメントありがとうございます。

逆説的でもあるのですが、「何を考えているか分からない」ように感じるときこそ、あえて「何を考えているのか」といった意識にとらわれずに、冷静に行動を見ることが大切なんだと思います。

そして、行動をしっかりと見続けることで、少しずつ「何を考えているのか」が、逆に分かってくるんだと信じています。

・・・やはり逆説的ですが(^^;)。
Posted by そらパパ at 2008年08月14日 22:29
うんうんとうなづいて読ませていただきました。
私ももっと息子が小さい時、行動主義になれてたら、自分が楽だったと思います。

親としては息子の行動に勝手な解釈をつけて、悩みに悩んでいましたが、結局心の中の事など母親でも分かりはしないのですから。

行動療法の仕事をしていたとき、いいなと思ったのが、データが客観的な事です。正確なデータを取るためには見た現象のみ記録するようにと言われました。

これって楽です。
悲しくて泣いているのか、怒っているのかのデータを取れと言われたら悩んでいたでしょう。でも何回どっちの手でぶったとか、床に寝転がったとかは、見たままです。

神様でもないのに、人の心なんて分からないです。
そして、解釈を徹底的に抜きにすると、パターンが見えてくるんですよね。この方が彼らの何かを伝えるに決まってます。

相手を本当に理解したいなら、気持ちをGUESSするより、行動パターンを見つめる姿勢って大事なんだなと思います。

と言ってもあまりに冷静に観察していると息子に「冷たい」とか「意地悪だ」とかいわれますが…。でもそれは、本人自身にも自分の行動パターンが客観的に見られていない証拠なのかもしれませんね。

Posted by マオママ at 2009年07月02日 11:01
マオママさん、

コメントありがとうございます。

行動療法は強力です。
なんでもできるから強力なのではなくて、できることとできないことがはっきりしていて、うまくいっていることといっていないことがはっきり見えるから、強力なのだと思います。

行動療法を攻撃するパターンの1つとして、「目に見えるものだけを相手にしていては取りこぼすものがたくさんある」というものがあります。
私は、この批判そのものはまったく正しいと思っています。行動主義は「科学的」であるために、あえてたくさんの「あるかもしれないもの」を捨てて、「確実に取り扱えそうなもの」だけに、自らの活動範囲を限定することで成り立っています。

でも、「だからだめだ」という批判はまったく当たりませんね。
行動療法は、その「限られた領域」のなかで、現に多大な成果をあげています。その成果には再現性があり、基本的には同じように働きかければ、同じように効果が期待できますし、実際にやってみて、効くかどうかの「検証」もできます。
その再現性こそが、行動療法があえて活動範囲を狭めて「科学的」であることにこだわったことで得られた、何にも代えがたい大きな価値です。

ひるがえって、「行動療法はだめだ」と主張して「目に見えない広大な子どもの世界」とかかわっているとされる人たちの「成果」はどうでしょうか。
測定できない世界で働きかけを行なっている限り、効果が出ているか証明できない=無駄なことをやっていてもそれに気づく術がないことになりますし、何より致命的なのが「再現性がない」、つまり、「効果があった」とされる働きかけが仮にあったとしても、それが具体的かつ完全に「記述」されることもありませんし、その働きかけが別の子どもにどの程度効果があるのかを実証することもできません。

「こころに働きかける」ような療育を全否定したり全肯定したりできるだけの知識を私たちは持っていません。
でも、確実に言えることは、効果があるのかないのか、効いているのか効いていないのかよく分からないような働きかけに子どもや家族の貴重な時間を使うよりは、仮に「扱える範囲」が狭いとしても、効果が期待でき、かつ、「実際に効果が出ているかどうかをいつでも目で見て確認できる←これがものすごく重要」働きかけを選択するほうが、親として賢明な選択である可能性がはるかに高いだろう、ということです。

それは、ダイエットをするときに、「小腸に意識を集中して、脂肪を吸収しないように念じる」よりも、食事を減らして運動して毎日体重計に乗るほうが賢明な選択である可能性が高いのと、構造的にはほとんど同じです。

そして、マオママさんもご指摘のように、「わけのわからないもの」を相手にするより、「目で見て分かるもの」を相手にしたほうが、分かりやすいですし、長い期間取り組みを続けるときに感じるストレスも軽いだろう、ということもあります。

※行動主義的に療育に取り組む体制が「確立」された後であれば、先に触れたような「行動主義で取りこぼしてしまうもの」にも意識を向けることにも、価値はあると思っています。左のサイドバーのシリーズ記事の「療育(ABA)の限界」の項目などで、そういった話題を取り扱っています。
Posted by そらパパ at 2009年07月02日 21:40
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