これまでにも何度か書きましたが、私は、自閉症児は認知構造に異常もしくは遅れがあるために、自然状態では自発的なコミュニケーションが強化されないという問題を抱えているのではないか、という仮説を持っています。
この仮説にたてば、早期集中介入とは、その問題をものともせず、力業(ちからわざ)で普通の幼児の場合と近い環境を人為的に作り、あるべき発達を推進していく方法だと考えることができます。例えるなら、放っておけば沈んでしまう、穴の開いたボートから水をくみ出し続け、何とか浮かせたままで向こう岸までたどり着こうとするようなものだ、と言えます。この方法では、必死に水をくみ出し続ける(密度の高い集中介入を行なう)ことが絶対条件となり、家庭で気軽に実施することなど到底できません。
ところが、先ほどの仮説にたつと、自閉症児の問題を解決する糸口は、もう1つ別のところにもあることが分かります。
それは、「認知構造の異常を修正し、遅れを取り戻すこと」です。
またボートの例えを使うとすれば、大穴が開いたままで海に乗り出すのではなく、まず穴の開いた場所をできるだけ修理し、穴を小さくして、それから初めて海に乗り出すのです。穴を完全にふさぐことは不可能でも、それが十分に小さければ、水くみの労力は最小限に抑えることができますし、ボートに乗りながら景色を眺めたり、ゆっくりと休んだりする時間もできるでしょう。海に乗り出す時間は遅くなりますし、もしかすると時間切れで向こう岸には着かないかもしれませんが、それでもボートは沈むことなく、ゆっくりと目的地を目指して進むことができるでしょう。
例え話が長くなってしまいましたが、要はこういうことです。
早期集中介入のように、できるだけ幼い時期からハードなフォーマルトレーニングを開始するのがいい、と考えるのではなく、まずは感覚統合訓練や鏡などを使った自他認識の発達促進、「ママは味方」メソッドなどによって、より上の発達レベルに到達するために必要な認知構造の確立、感覚異常の改善、愛着行動の形成などにじっくりと取り組み、自閉症児にとってのこの世界を「わけが分からないもの」から「わけが分かるもの」に変えること、それによって、訓練で仕込むのではなく、自閉症児みずからが最も基本的なコミュニケーションスキルを身に付けることを目指すのです。
目を合わせることや指差し、抱っこを求めることなどをお菓子などを使って人為的に強化したとしても、介入をやめたら消去されてしまうようでは、そもそもこれらを強化する意味がまったくないと思います。このような、本当に基本的なコミュニケーションスキルは、日常生活の中で「自然消去」ではなく「自然強化」されるようにすることが絶対に必要であり、この変化を作り出すことこそが、最初期の段階での「家庭の療育」が目指すべき最大の目標だと考えられます。
そのために、環境を変えるという面では、分かりやすい環境を作り、「母親に近づいて何かを表現すればいいことがある」といった学習がされやすい状態を作ること、子どもを変えるという面では、フォーマルなトレーニングではない日常の関わりの中で、基本的な認知力の発達、感覚異常の改善を目的とした働きかけを行なうことが求められます。
この段階には、いくらこだわってもこだわり過ぎるということはないと思います。とにかく、どんなに時間がかかっても、この段階の目標を確実に達成することを目指します。
これが、先の例えでいう「ボートの穴を修理する」ということです。早期集中介入との最大の違いは、子どもの行動だけをいきなり変えようとするのではなく、認知や感覚に働きかけてそこを発達させることを目指す、という点にあります。
ただし、その手法は、観念的なものではなく、具体的なものでなければなりません。
例えば一時、子どもにおもちゃを適当に遊ばせて、その行動を観察して子どもの精神分析をするといった遊戯療法的なアプローチが自閉症児にも試されたことがありましたが、これが効果をあげたという報告を聞いたことがありませんし、何ら積極的かつ実体的な働きかけをしていないという点において、私も完全に否定的です。いわゆる「受容」と呼ばれるような療育アプローチについても、程度の大小はあると思いますが、「働きかけ」という要素が弱いやり方については、効果的ではないと考えています。
早期集中介入をしない、ということは、子どもに積極的な働きかけをしなくていい、ということとは全く違います。このブログでも鏡を使った働きかけなどを紹介してきましたが、親御さんの創意工夫で、それぞれのお子さんに合った「しかけ」を作っていくことが、とても大切だと思います。
(次回に続きます。)