もしそうだとすると、この状況(望ましい行動が自然には強化されない)を強制的に変える具体的な方法が1つあります。
それは、これらの行動を人為的に強化する、という方法です。目が合ったら、ことばを発したら、コミュニケーションしたら、これらの「望ましい行動」に対し、お菓子でも何でもいいですが、自閉症児にとって「ごほうび」となるものを人為的に与えることによって、望ましい行動をすると適切に強化される、という(普通の乳幼児の場合と同様の)環境を「人為的に」作り出すのです。
これは、ちょっと聞くと素晴らしいことのように思えますが、ことはそう簡単ではありません。
自閉症児にとって、これらの行動は、人為的に強化されなければ(=自然状態では)消去される行動だと考えられます。ですから、人為的な強化をやめた途端、消去が始まってしまうのです。言い換えれば、人為的な環境を作っている間の「強化」の力と、それ以外の自然状態の間の「消去」の力がせめぎあい、勝つか負けるかの闘いを繰り広げるような状態になるのです。
ここで「強化」が勝つための方法はただ1つ。人為的な環境を与える時間(強化の時間)をできるだけ長くし、自然状態の時間(消去の時間)をできるだけ短くすることです。要は、常に介入を行ない続けることです。
・・・もうお分かりだと思います。これが、「早期集中介入」なのです。
早期集中介入は、膨大な課題をやらせて発達を促しているというよりはむしろ、自閉症児にとっての「自然状態」である消去のプロセスから必死に逃げて逃げて逃げまくり、ゴールまで逃げ切ろうともがく行為のように見えます。
例えていえば、穴が開いて沈みつつあるボートから必死に水をくみあげて、何とか向こう岸に着こうとする行為に似ています。中途半端な水くみ(介入)ではボートが沈む(消去される)のを防ぐことができません。最後の最後まで水くみを続け、向こう岸にたどり着く(一定の発達レベルに到達する)ことができれば、ようやく水くみを休む(集中介入プログラムを終了する)ことができるようになる、というわけです。
これは、ある意味非常に「科学的」な考え方です。行動分析学の知見から理論的に考えれば、このようなプログラムが成果を上げる可能性は十分にあり得ます。ロヴァースらの功績は、このような「理論的にはありそうだが現実的には難しい」考えを本当に実践してしまったこと、そして成果を上げたこと、更には、「ボートが沈まない」ために必要な介入時間は週40時間以上、「向こう岸に着く」ために必要な継続期間は2年以上という「具体的な数値」を導きだしたことにあると言えるでしょう。
それにしても、週40時間というのはちょっと途方もない時間です。サラリーマンの法定労働時間と同じであり、小学校などの授業時間をはるかに上回ります。睡眠時間を11時間、食事や入浴などに必要な時間を2時間と考えると、残りは週77時間、その過半数の時間をフォーマルな(もしくはそれに準じた)トレーニングにあてることになります。さらに、それ以外の日常も徹底的に「行動療法的」に過ごすことが求められます。
私はここに、自閉症という障害の抱える壁の厚さ、困難さをダイレクトに感じます。
なぜここまで密度の高い介入が必要なのか? それはすなわち、自然状態で消去される力がそれだけ大きいからだ、ということです。
早期集中介入が行なっていることは、簡単に言えば「自然の力に逆らうこと」です。それがどれくらい大変かは、「自然状態」からの乖離がどれくらい大きいかよると考えられます。
例えば、飼い犬に「お手」を教えるのは大抵の人ができると思いますが、イルカに曲芸を教えるのは、一般の人にできることではありません。それは、曲芸をする、というのが動物の「自然状態」とあまりにかけ離れており、極めて高度で密度の高いトレーニングを必要とするからです。
私はイルカに曲芸を教えるのに必要なトレーニング時間がどの程度のものなのかは知りません。でも、恐らく、週40時間を2年間というのは、それに匹敵するか、上回るものではないかと推測します。
つまり、自閉症児をロヴァース式行動療法で「治す」というのは、イルカに曲芸を教えるのと同程度以上に困難で専門性が必要な行為であるということと同時に、行動変容というアプローチだけで自閉症児の障害を克服させるということは、イルカが曲芸をするというのと同程度以上に「自然状態からかけ離れた」ことだ、ということなのです。
ロヴァース式の早期集中介入を否定するつもりはありません。むしろ、結果を出している、という意味においてロヴァースは偉大な存在です。この方法に積極的な親御さんに対しては、本当にやりとげることができるならきっと効果があるでしょう、と応援したい気持ちになります。
それでもしかし、私には、どうしても引っかかるところがあります。
「自然状態からかけ離れた訓練」が、本当の意味で血となり肉となるのか、というのが1点。一度曲芸を覚えたイルカも、放っておけばすぐに芸を忘れます。早期集中介入も同様に、2年の集中介入期間後も、継続的な介入が必要だということになっています。早期集中介入の成果が意外と定着しないことを、ロヴァース派は自閉症児の行動の汎化の困難さに求めているようですが、私はそれだけではないような気がします。
これでは一般の家庭では実践できない、というのがもう1点。時間的にも費用的にも人的資源的にも、とてもこの方法をすべての家庭で実践することは不可能です。
どんなに高コストであっても福祉行政が提供すべきだ、という考え方に私は賛同しませんし、かといってごく一部のお金持ちだけが受けられる療育ほどエゴイスティックなものはないと思います。
何か、違うことが必要です。
少なくとも、自分が志向する「頑張らない家庭の療育」のためには、早期集中介入とは違う、別のアプローチが必要です。そう考えて、私は、早期集中介入には取り組まない、という選択をしました。