2016年09月05日

自分が受けた療育のことを調べたら、自分が両手利きな理由がわかった話。(3)

この話題、長くなったので分割して書いてきましたが、今回が最終回です。

小学校高学年のころに出た私の吃音の主たる原因が、当時私の祖母が私に対して熱心に行っていた「利き手の矯正」にありそうだ、ということが判明したため、それまでかなりべったりの「おばあちゃん子」だった私は、両親の強い働きかけにより、祖母から「分離」されました。
そして実際に、その環境修正によって私の吃音は劇的に軽快したわけです。

そんな中で、ここにはもう1つの切ない物語がありました。

この、私の吃音の問題というのは、それまで祖母が主導権を握り、実際にそれなりの成果を上げていた「私への(けっこうスパルタ的な)教育」についての、祖母の最初にして最大の挫折になりました。
そして、最後は「戦犯」みたいな雰囲気のなかで手元から孫を「奪われた」祖母は、それまでの溌剌とした雰囲気が嘘のようにあっという間に老け込んでいってしまいました。
私自身も中学生になって、反抗期というほどでもないですが親離れ的なメンタリティになっていったので祖母とも疎遠になり、祖母は一日中、かつて「祖母と私の部屋」だった離れの部屋で一人でテレビをずっと見ているようになりました。

その後、祖母は叔父の家に引き取られ、さらにそこから老人ホームに移りました。このあたりの細かい経緯は教えられていませんが、少なくとも叔父の家に引っ越すことについては、祖母自身の強い希望があったとは聞いています。
やがて大学生になって上京し、「なんちゃって反抗期メンタリティ」の抜けた私は、遠く老人ホームで暮らす祖母と年数回程度の手紙のやり取りをするようになりました。
私の手紙を祖母は大変喜んでいたようで、毎回、手紙の最初には私からの手紙が届いたことへの喜びが、最後にはまた手紙を書いてほしいということが書かれていました。
でも、そんな祖母からの手紙があるときから急に乱れて何が書いてあるか分からなくなり、こちらからの手紙にも返事が来なくなってしばらくしてから、祖母の死を知りました。
葬式が終わってから知らされたので、最後のお別れができなかったことが今でも心残りです。
私自身は祖母に対する悪い記憶はまったく残っておらず、私の好奇心を邪魔せずに、逆にいろいろなことを教えてくれた先生のような存在だったと思っています。私の「学ぶ」ということへの基礎を作ってくれたのは間違いなく祖母でしょう

ともあれ、こうして、私はいま吃音で困るということはなくなり、代わりに、箸は右でスプーンとフォークは左、鉛筆は右でチョークは左、マジックペンは左でも右でも書けるという中途半端な両手利きが残りました
私自身、利き手の矯正を受けたはずなのに中途半端に直っていないのはなぜだろう、ということを覚えていなかったのですが、そういう事情があったことを初めて知りました。

また、教育熱心でそれなりに「成果」もあげていて、教わる子どもの側もそれを楽しんでいるように見えて、さらに本人さえ楽しいと思っていたとしても、それでもその「熱心な教育」が実は子どもを精神的に追い込んでいたりすることがありうるんだ、ということを身をもって経験したことが、私の教育観、さらには療育観に影響を与えているということもあるかもしれませんね。
(了)
posted by そらパパ at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 療育一般 | 更新情報をチェックする
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