2016年08月29日

自分が受けた療育のことを調べたら、自分が両手利きな理由がわかった話。(2)

さて、私自身の曖昧な記憶を頼りに、親に私が過去に受けたはずの吃音の療育について実家の親に聞いてみたところ、最初に京大病院に行って医師と話をしただけで、「どうやらこれが原因らしい」というものがあっさりと特定されていたようです。

それは、

祖母による利き手の矯正

でした。

両親が共に多忙だったことと、祖母が私を離さなかったことから、私は典型的な「おばあちゃん子」でした。
ちょうど京大病院通いが始まる頃、つまり小学校の高学年まで、私は祖母と同じ部屋で寝ていたくらいです。(大きくなってから聞きましたが、それは祖母の希望だったようです。)
祖母は私の教育に非常に熱心で、祖父や曽祖父の持っていた古い本を私に読ませたり、知恵の輪やパズルなどの知育玩具で遊ばせたり、ローマ字を教えたりといったことを、私が幼稚園くらいのころからずっとやっていました。

そんななか、祖母がもう一つ熱心に取り組んでいたのが、左利きだった私の利き手の矯正でした。
祖母にとっては、左利きというのは「恥ずかしいこと」で、小さいうちに右利きに矯正しないと立派な大人になれない、といった価値観を持っていたようです。
ところがその矯正はあまりうまくいかず、祖母は熱心さのあまり、かなり激しく私にあたったりしたこともあったようです。
そして、おばあちゃん子だった私は、祖母の期待に応えようと必死だったのだろうと思います。
でも、それでも、そんなにうまくいきませんでした。

そんなころに出てきたのが、私の吃音だったのです。
その時点では、祖母の利き手矯正のスパルタ教育と私の吃音が始まったことの関係について、私自身も祖母も含めて、家族の中では誰も気づく人はいませんでしたが、さすがにそのあたりのプロである京大病院の先生には親と私へのインタビューですぐにぴんときたのでしょう。

なので、解決のソリューションとして、私自身へのトレーニング(療育)もさることながら、より原因である可能性の高い「家庭内の環境」を是正することが必要だと、医師は親に告げたわけです。

この頃、もしかすると親自身も、祖母が私を囲い込んで離さない状況をなんとかしたいと思っていたのかもしれません。
この日を堺に、私には個室が与えられ(田舎の家なので部屋はたくさんあった)、寝る部屋も祖母とは別になり、祖母には今後は子どもの教育に関わりすぎないこと、特に利き手の矯正はやめるようにということが告げられました。
親としても自分の親にそういったことを告げるのは辛かったでしょうし、もちろん祖母も抵抗しただろうと思いますが、吃音の問題を誰よりも心配していたのも祖母であり、その原因が自分にあると「専門家から」告げられたこともあって、強く反論できず、同意せざるを得なかったんだろうな、と思います。

そのような環境の切り替えとあわせて、1日10分程度の発音練習が、家庭での療育メニューとして取り入れられました。
その結果、私の吃音はみるみる軽快し、間もなくほとんど目立たないレベルになりました。
軽快のスピードの速さからいって、やはり「環境の問題」が最大の原因だったと思われます
そして、初回の来院から3か月ほどたった2回目の来院で、「もう問題ないので念のため1年ほどしたら来てください」と言われ(このあたりで自宅での発音練習も終わり)、それから1年後の「3回目」で「再発していないので治療終了」となったのです。

もう少し続けます。


【参考】吃音について知るきっかけとして、押見先生のこの作品をご紹介します。(紹介記事

志乃ちゃんは自分の名前が言えない
押見 修造

また、印象的なラップが今でも語り継がれる「スキャットマン・ジョン」氏は、吃音それ自体を音楽に昇華させた稀有な存在でした。

ベスト・オブ・スキャットマン・ジョン
スキャットマン・ジョン



(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 20:23| Comment(5) | TrackBack(0) | 療育一般 | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

自分が受けた療育のことを調べたら、自分が両手利きな理由がわかった話。(1)

今日は、「家づくり」のシリーズ記事ではなく、単発のエントリを久しぶりに書いてみたいと思います。

きっかけの一つは、この記事を見かけたことです。

http://mainichi.jp/articles/20160817/k00/00m/040/092000c

吃音という障害についてのアンケートの話題でした。

この記事を見て、私は先日、実家に帰省したときに親と交わした会話のことを思い出していました。
それは、

私はかつて「療育」を受けたことがある。

ということです。

記憶がパッチワークのようにしか残っていなくて、詳細は覚えていないのですが逆に部分的な記憶はものすごく鮮明で、電車とバスを乗り継いで病院に向かうために、母と二人でバス停でバスを待っている場面の映像をいまでも繰り返し思い出したりするのです。

でも、そのバス停の場面は思い出せる一方で、肝心の病院でのできごと、療育の内容はなかなか思い出せませんでした。
たしか、治療の対象は私の「吃音」だったはずで、時期としては小学校くらいということは覚えているのですが、それ以上はほとんど記憶になく、また、療育を受けていた割には病院に行ったのはせいぜい3回程度で、そんな少ない回数で一体何をやったんだろうというのも(覚えていないので)謎でした。

さらに言えば、中学校以降で吃音で悩んだ・困ったという記憶もほとんどなく、現在もそうです。
ろくに療育の回数も重ねられなかったのに、あっさり吃音の問題がなくなってしまったということも、まあ「自然に改善したんだろうな」くらいにしか覚えていなかったわけです。

そんななか、今回、帰省中にふとそのことを思い出したので、親にその頃のことを初めて聞いてみたのです。

そうしたら、意外なことが分かりました。
以後は、親に聞いた話、そしてその話をきっかけに私が改めて思い出した話を再構成してまとめています。

私が吃音の治療のために病院に連れて行かれたことは事実で、小学校高学年のころに吃音が目立つようになったので、学校の先生からもすすめられて、京大病院に連れていくことにしたそうです。
そこで親への聞き取りと、子ども(つまり私)へのカウンセリングなどを行ない、結果、割とあっさりと「これが原因だろう」ということが特定されました

それは、当時の(私自身を含む)家族には、ちょっと意外な「原因」でした。


【参考】吃音について知るきっかけとしては、青春とコンプレックスについて描かせたら右に出るものがいない、押見先生のこの作品がいいと思います。(紹介記事

志乃ちゃんは自分の名前が言えない
押見 修造

また、吃音それ自体を武器にして成功した稀有な存在として、いまでもアーティストとしての斬新さを失っていない、(私も大好きで今でも聴いている)「スキャットマン・ジョン」氏をあげたいと思います。

ベスト・オブ・スキャットマン・ジョン
スキャットマン・ジョン
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2016年08月15日

自閉症の子どもと暮らす家づくり(81)

17)子ども部屋のレイアウト(1)

このシリーズ記事の最初のころに書いたとおり、我が家に2人目の子どもが生まれたことが、今回の家づくりの1つの大きなきっかけになっています。
そんなわけで、今回の家には当然に子どもの過ごすスペースを作ることになったわけですが、最近は子ども部屋の作り方についてはさまざまな意見があります。

端的にいうと、これまでのように子ども用に個室を用意すると、子どもがそこにこもってしまって家族とのコミュニケーションがなくなるから、あえて子ども部屋を作らない、という考え方がかなり有力になっています
これは、かつての日本的な間取り(すべての部屋がつながっていて部屋の中に移動の動線があり、かつ仕切りはふすまで上部は欄干があったりしてプライバシーがない)から、団地などに代表される洋式の間取りに変わり、すべての部屋が廊下によって分断された個室になっているという「プライバシー重視」の間取りになったことへの反動として生まれてきた流れだと考えられます。

この考え方にしたがった場合、リビングの一部に子ども用のスペースを作ったり、2階の階段を上がったあたりにホールのようなオープンスペースを用意して、そこを子ども用に使わせるとか、そういった間取りプランになります。
あるいは、廊下から直接子ども部屋に入れる動線をあえて作らず、リビングを通らないと部屋に出入りできないように設計する(リビングと子ども部屋の仕切りも、ドアではない緩いものにする)といったアイデアもあります。
さらには、個室を作る場合でも、子ども部屋に内窓をあけて、階下のリビングからの吹き抜けとつなぐことで、リビングから子ども部屋の中が見えたり、内窓から子どもが顔を出してリビングと会話ができるようなプランなどもありますね。

でも私はこういった、子どもからプライバシーを取り上げる間取りにはあまり賛成ではありません
私自身、子どもの頃、自分の部屋はあったものの日本式の古い間取りだったため、弟が自分の部屋に行くときに私の部屋の中を通らなければならなくなっていたのが本当に嫌でした。
少なくとも思春期以降の子どもには、プライバシーが守られた部屋が与えられるべきだと考えています。
ただ逆に、子どもが一人で寝るようになったら、いきなり完全にプライバシーが守られた快適な個室が与えられてしまうというのは、「時期尚早」だろうとも思いました。

そこで、子ども部屋についてはこんな風に設計することにしました。

1)プライバシーは適度に守られるが、完全な密室にはできないこと。
2)わざわざ快適性を損ねることはしないが、快適性に関する要素を他の部屋に優先的に割り当てることで、相対的に快適性を下げる。
3)子どもが小さいころと成長したあとで使い方が変えられるように工夫する。

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2016年08月08日

自閉症の子どもと暮らす家づくり(80)

16)リビングにつながる和室の設置

新しく設計する家には、四畳半の部屋を2つ用意しました。
一つは2Fの子ども部屋で、もう一つが1Fのリビング脇の和室です。

このうち、まず1Fの和室ですが、1FのLDKのスペースをあえて広げずに、四畳半の区切りを作って和室を作りました

これにはいくつか意図がありました。

まず、個室として使う可能性です。
もしかすると将来、夫婦どちらかの親と(一時的であっても)同居することもあるかもしれません。いま実家にいる私の弟が、上京してくる可能性もゼロではありません。加えて、友人などが泊まりにくることもあるかもしれません。
そういった「誰かの(それなりの期間の)上京にも柔軟に対応できるよう、予備の個室として、一部屋作っておきたいと考えました。

もう一つは、子どもが幼い間の遊び・勉強スペースとしての用途です。
建売に引っ越す前に住んでいた3LDKのマンションには、LDKの隣に和室がありました。ここで生まれたばかりの上の子をよく遊ばせていたのですね。LDKはフローリングなので転ぶと危ないですし、長い時間直接床に座っているとお尻が痛くなったりしますが、和室ならそういった心配をあまりせずに小さい子どもを遊ばせることができます。
建売になってからはそういう部屋がなくなってしまったので、下の子はベビーベッドにいる時間が長くなってしまい、なかなか自由に遊ばせられる時間も短くなってしまいました。
新しい家ではそういったことがないよう、子どもが自由に遊べるスペースを和室で確保したいとずっと考えていました。
また、このスペースは、下の子に個室が必要になるまでは、勉強をするスペース・余暇を過ごすスペースとしても活躍することでしょう。

こういった意図をもって作る和室ですので、部屋のプランにあたってはおのずと次のような条件がついてきます。

・個室として、寝泊まりまで含めて想定する部屋なので、最低限の寝具を入れられる収納を作りたい。
 →ということで、半畳の押入れをつけることにしました。

・娘の遊び・勉強スペースとして想定する部屋なので、廊下から入る独立した部屋ではなく、LDKとつながるオープンな共用スペース的な配置にしたい。
 →LDKのとなりに和室を作り、かつ小さなドアなどではなく、広い面でLDKとつながる配置にしました。

ところで、実はこの2つの条件には、大きく矛盾する部分があります。
それは、

・LDKと和室の間をどうやって仕切るか。

という問題です。

個室性という観点からは、LDKと和室の境界には、間仕切りやドアを設置してしっかりプライバシーが守れる工夫が必要です。
一方、子どもの遊びスペースという観点からは、境界はできるだけ存在せず、あたかもLDKと連続した空間であるかのようにする工夫が必要です。

この矛盾する2つの要請を考えたとき、一番無難なのはふすまのような引き戸を並べて、普段はそれを開いておくという方法でしょう。
でもこれでも、最低限「引き戸1枚分」は常に余計に仕切られてしまいますし、枚数の多い引き戸というのはコストも高く、また戸を動かすレールだけで意外に多くのスペースをとってしまいます。

そこで、今回はどちらかというと「遊びスペース」性のほうをやや重視し、

・間仕切りはカーテンにする。

という方法で解決することにしました。
LDKと和室の境界部分の天井にカーテンレールを取り付け、そこに天井から床までカバーできる背の高いカーテンをとりつけ、必要に応じて開いたり閉じたりするというアイデアです。

これなら、「開いている」ときには境界を全開にでき、必要に応じてカーテンを閉じることで必要最低限のプライバシーを確保することもできるわけです。
posted by そらパパ at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 療育一般 | 更新情報をチェックする

2016年08月01日

自閉症の子どもと暮らす家づくり(79)

間取りの工夫について、さらに続けていきます。

15)収納スペースの強化

我が家はとにかくモノの多い家です(というか、私がモノの多い人なのですが(笑))。
実際、これまで家の中にはモノがあふれていて、例えばルンバみたいな掃除機は絶対に使えないような状態だったわけですが、新しい家ではそういったことを極力避けられるように、とにかく収納スペースをしっかり確保することに全力を注ぎました。

その最たるものが、12畳を超えるサイズの法令ギリギリの広さのグルニエですが、さらにそれ以外に、

・2Fに2畳の独立したクローゼットルーム
・私が使う洋室、妻が使う和室、それぞれに1畳のクローゼット・押入れ
・1Fの和室に半畳の押入れ
・キッチンは収納フル装備(シンク下、シンク上、背面上、背面下(オープンシェルフ)
・トイレ収納(1Fは埋め込みボックス、2Fは枕棚)
・洗面室枕棚
・玄関階段下枕棚
・その他


など、ありとあらゆる場所に収納スペースを設けました。
その一方で、リビングのシステム収納のような、汎用性の低い家具型収納はいっさい採用しませんでした
こういった収納は時間がたつと時代遅れになることが多く、また部屋のなかの家具配置にも制約ができやすいので、収納はあくまで「四角いスペースを用意する(できるだけ多く、できるだけ広く)」だけにして、そこにメタルラックやプラケースを置くことで具体的な収納を実現するスタイルです。

また、今回選んだハウスメーカーでは、なぜか「枕棚はいくら作っても無料」という面白い条件がついていましたので、枕棚がつけられそうな空間にはすべて枕棚をつけました
結果、当初は「ただの四角い部屋」になる予定だった2Fの収納部屋は、枕棚とハンガーのついた「ウォークインクローゼット」に無料で設計変更することができました(笑)。
それ以外にも、玄関の階段下や、2Fトイレの上部の空間などにも、もともと有料で収納をつける予定でしたが、枕棚だけで十分に収納力をつけられそうだと分かったので、すべて無料で枕棚をつけることにしました。
これによって、コストをかなり(数十万円単位で)下げることができたと思います。

また、キッチンのスペース内には凹みを作って半畳分の「冷蔵庫置き場」を作ったのですが、冷蔵庫の奥行きとして半間分=90cmは必要ありません。
そこで、冷蔵庫置き場の奥行きが75cm程度になるようにして、余った15cmは冷蔵庫置き場の間仕切りの反対側=ちょうど階段下のホールになっていた場所に、奥行き10cm程度の薄い収納スペースを作りました

このようなさまざまな工夫によって、収納力を最大限に高める工夫をこらしてあります。
posted by そらパパ at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 療育一般 | 更新情報をチェックする
子どもが自閉症かもしれない!どうしよう!という親御さんへのアドバイスはこちら
孫が自閉症らしい、どうしたら?という祖父母の方へのアドバイスはこちら

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