聲の形 第1巻・第2巻・第3巻
大今良時
講談社 少年マガジンKC
まんがの単行本も、いよいよ来週月曜日に3巻が発売されますね。
3巻は最後に驚きの展開が待っている(はず)ので、これまで2巻までお持ちの方はぜひ3巻も読んでいただきたいと思いますし、まだ読んでいない方は3巻発売を期にまとめて読むのもとてもいいと思います。ぜひ。
ところで、先週はこのシリーズ記事でまさに今連載中の「聲の形」の展開を話題にしましたが、そちらもまだ話が続いています。
いちおう、27話での植野のセリフはある程度露悪的なものだった、という整理で話が前に進んでいくようなので、そちらはそちらでこの先を見守っていきたいと思います。
さて、ここからは本論に戻りたいと思います。
今回、このシリーズ記事で着目しているのは、「聲の形」の小学生編でいみじくも示されているとおり、障害者(だけでなく、いわゆる社会的弱者と呼ばれる人たち)へのいじめのなかには、単に「異種の存在を排除する」といった「古典的」なものだけでなく、「弱者が公的に保護され支援されていることに対する『衡平化圧力』としての私的制裁」といったものがありうる、ということです。
それがどのようなものであるかということについては、前々回のエントリで箇条書きで書きました。
ここでは、その中身をもう少しシステマチックに見ることで、問題の構造を明らかにすると同時に、そのような「いじめ」を抜本的に解決しうる方法と、応急処置的に解決する方法についても、あわせて構想していきたいと思います。
その副産物として、障害について「社会の理解を深めていく」ことがなぜ必要なのか(そのことと、障害者への「いじめ」がどのようにつながっているのか)、ということについても1つの答えが出せるように思います。
そのために、このようなグラフを導入したいと思います。
続きがあります・・・