前回、「しない」ということばの対象となる行為が実際には存在しない、というのが、しないということばの「難しさ」の1つの大きな要素になっている(だろう)、ということについて触れました。
つまり、するかしないかを聞いている時点でも、その「行為」は行なわれていないですし、その質問に対して「しない」と答えた場合には、結局最後まで、その「行為」はいちども現れず消えていきます。(一方、「する」と答えるパターンの場合は、言った後でその行為が現に現れるので、「要求すると出てくる」という、マンド的な比較的難易度の低い=学習させやすいやりとりになります。)
簡単にいうと、大人が「○○をする?しない?」と子どもに聞いて、子どもが「しない!」と答えて、大人がそれにしたがって○○をせずに済ませた場合、「○○」は結局「なかったこと」「話題にのぼっただけ」になるわけです。
○○は、ことばの世界以外にはまったく登場していません。
でも、「話題にのぼっただけ」ではあるものの、コミュニケーションとしては、「○○が話題になった(提案されて、断られた)」ということを双方が理解している必要があります(そうでなければコミュニケーションが成立していないわけですから)。
そのために必要なスキルとして、前回の記事では、いわゆる「内言語スキル」をあげましたが、もう1つ当然に必要になるスキルが「する?しない?の対象になっている行為を理解していること」、つまり、「○○する?」と聞かれたときに「○○」ということばが示している行為を知っていて、理解できる、ということです。
これは少し考えてみると意外と奥が深い話です。
続きがあります・・・