2013年06月24日

NOといえる(ようになる)療育 (6)

このシリーズ記事、後半ということで、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションが、他のコミュニケーションと比べても相当に難易度が高い、ということをいろいろな角度から考察しています。

前々回、前回の2回の記事で、その「難しさ」の1つの要素として、「しない、というのはイントラバーバルに相当する、複雑な言語行動である」について触れました。
今回も、その続きになります。(イントラバーバルの話題は今回が最後になります)

イントラバーバルというのは「Aと言われてBと返す」という言語行動であり、「○○をください(マンド=要求のことば)」や、「Aと言われてAと返す(エコーイック=模倣)」と比較すると、はるかに複雑です。
ですから本来であれば、娘くらいのことばの遅れ、知的な遅れのある子どもにイントラバーバルを教えるのは至難の業だと考えられます。
ですから、一般論としては、この部分がハードルになってなかなか進まない、ということが十分に想定されるでしょう。
娘の場合に関して言えば、この部分はたまたま、「なに?」というマジックワードの存在によって比較的容易にクリアできましたが、これから自分のお子さんなどに「しない」に相当することばを教えていこう、という場合には、この部分もしっかり意識する必要があるんじゃないかな、と思います。

イントラバーバルを教える基本は、「クイズ」だと思います。

続きがあります・・・
posted by そらパパ at 21:19| Comment(3) | TrackBack(0) | 娘の話 | 更新情報をチェックする

2013年06月17日

NOといえる(ようになる)療育 (5)

さて、ことばの発達が著しく遅れていた娘に、イントラバーバルという複雑な言語行動を教えるのは、一般的にいえばかなり難しいことのはずでした。

でも実際には、我が家では、「イントラバーバルを教える」ということに限定していえば、比較的スムーズに娘に身につけてもらうことができたのです。
というのも、娘は、ことばを覚えたてのころから、なぜかイントラバーバルとして通じる魔法のことばがあったのです。

それが、

「なに?」

という質問でした。

娘は、私たちが語りかける「なに?」ということばに対して、その場の状況に応じて、欲しいもの、やって欲しいこと、気になっていることなどの「マンド的発話」を返す、ということがかなり小さいころからできていたのです。

もともと、絵本などを指さして名前を(親に)言わせる、という遊びから「ことば」の世界に入ってきた娘は、逆の遊び(私たちが絵本を指さして娘が名前を言う)のときに、「なに?」と問いかけながら指をさす、といったことを続けた結果、「なに?」という問いかけにイントラバーバルで答える、ということが偶然できるようになっていったわけです。

でも、特に自閉症の子どもにとって、「ある瞬間にできている」ことは、「その後もずっとできる」ことを必ずしも意味しません。
これは、娘を育てていて日ごろから実感していることでもありますし、また同時に、私自身がもっている自閉症に対する仮説からも導かれることだったりします。(たとえば、俗にいう「折れ線現象」のように、一度できていたことができなくなる傾向とも関連しています。そして、こういう「学習の困難」がある意味、自閉症の「本質」なのではないか、というのが、私が以前1冊めの拙著で書かせていただいた「一般化障害仮説」というものになります。)


自閉症―「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育
新曜社
※拙著です。

そういった「自閉症がゆえの学習の定着の困難」をふまえ、我が家でことばの療育をするときに、強く意識していたことについて触れておきたいと思います。

それは、

続きがあります・・・
posted by そらパパ at 21:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 娘の話 | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

NOといえる(ようになる)療育 (4)

さて、最近になって娘は実際に、何かに誘われて、でもそれをやりたくない(やる必要がない)ときに、「しない」と答えることでそれをやらないという意思表示ができるようになりました。

私は、娘が少しずつことば(や絵カード)による意思表示ができるようになってきた頃から、やがてはこの「いや、それはやりたくない」という意思表示のコミュニケーションを教えたい、とずっと思ってきました。
でも、じゃあどうやって、どんな手順で教えようか? と考えたとき、そのあまりの「道のりの長さ」には、気が遠くなる思いでした。

そして娘は、私がイメージしていたほぼすべての「長い道のり」を実際に少しずつ前に進んでクリアしていきながら(でも、順番に着々と、というのではなく、停滞と謎の飛躍(笑)を繰り返して)、ようやく数年をへて、この「しない」ということば(コミュニケーション)を獲得したわけです。

では、なぜそんなに、この「しない」ということばが「難しい」のでしょうか?

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posted by そらパパ at 21:15| Comment(5) | TrackBack(0) | 娘の話 | 更新情報をチェックする

2013年06月03日

NOといえる(ようになる)療育 (3)

娘が、私たちから何らかの行動を促されたり誘われたりしたとき、それをやりたくなければ「しない」と言うことでNOの意思表示ができるようになったのは、比較的最近のことです。

この「しない」ということば、最初は、外出時の寄り道(歩いて外食ランチに出かけた際に公園や神社に立ち寄ること)をしたい・したくないというときに限って出てきていましたが、そこから少しずつ般化し、やがて、自宅や学校で、私たちや先生からトイレに誘われたときにも、尿意のないときには「しない」と言えるようになりました。

これは、トイレトレーニングの過程を考えたとき、小さいけれども本当に大きな一歩(a small but great step)だと言えます。

なぜならそれは、トイレトレの過程の大きな段階としての「定時排泄」から「自立排泄」に進むために欠かせない進歩だからです。

続きがあります・・・
posted by そらパパ at 21:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 娘の話 | 更新情報をチェックする
子どもが自閉症かもしれない!どうしよう!という親御さんへのアドバイスはこちら
孫が自閉症らしい、どうしたら?という祖父母の方へのアドバイスはこちら

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